ある日、主人公のもとに「廉井徳夫」を名乗る人物からメッセージが届く。これを新聞に載せてもらったところ、そこの新聞記者が調査に名乗り出る。
現代が舞台であるものの、基本的に登場人物の回想で進み、2000年代、主人公たちが学生であった頃の話が繰り広げられる。もちろんモキュメンタリーとしては素晴らしい作品だが、私からはこの2000年代の世界観について言及したい。
2000年代にもいろいろなことが起こっている。震災や事件、切れる17歳なんて言葉も話題になった。私の地元でも若者の事件が発生していたらしい。こうした2000年代の空気や雰囲気が作品の中に取り入れられ、息をしている。物語はもちろん、この世界の空気感を個人的には素晴らしいと感じたし、あの時青春を送っていた人に読んでもらいたい作品と思っている。
また、詳細は割愛するが構成も分かりやすいので、モキュメンタリー初心者やミステリーは自分で推理せず、物語に従うタイプの方にもおすすめ。
震災後の神戸という舞台に、記憶と噂、そして「言葉」が絡み合う『廉井徳夫君を探しています』。読んでいて、まるで現実と幻想の狭間に迷い込むような感覚を覚えました。六散人氏の筆致は冷徹でありながらどこか詩的で、匿名社会に潜む暴力と、それに無自覚に加担してしまう人の脆さを鋭く抉り出しています。
“廉井徳夫”という名前が実体を持たない存在であるほどに、人々の恐怖と後悔がそこに形を与えていく構図は見事で、まるで都市伝説が現実を侵食していく様を目の当たりにしているようです。震災で失われた街並みの中、語り継がれる「記憶」は真実を救うのか、それとも新たな歪みを生むのか――
虚構と現実、記憶と忘却の境界を曖昧にするこの作品は、単なるサスペンスを超えた“記憶の寓話”として深く心を揺さぶりました。
主人公の紀藤宗也は、出張先のホテルに届いた謎のメッセージ「そろそろ思い出してよ。ヤスイトクオ」によって、中学時代の友人であるはずの廉井徳夫の名前だけは鮮明に思い出すものの、その顔や関係性に関する記憶が完全に欠落していることに気づきます。
そして、廉井徳夫の存在が「絶対に思い出してはならない」ほど忌まわしいものであったと。
ストーリー展開がユニークで、新聞の尋ね人広告を見た新聞記者が、主人公に代わって「廉井徳夫」を探し始めて、取材記録を残していく形で進んでいきます。
ネットの噂では、「震災で亡くなり、夜中に学校をうろつく幽霊」という噂もありました。
廉井徳夫の名前を思い出すとき、何が起こるのか、主人公がどうなってしまうのか、とても気になる作品です!
これは、主人公に送られてきた、1通の謎のメッセージから幕を開ける物語。
記憶の中の違和感をたよりに、過去を探る主人公と、その関係者たち。
「ヤスイトクオ」の存在を辿るうちに徐々に明らかになる、おぞましくも哀しい出来事の数々に、毎話ごとに衝撃を受けるような読書体験が待っています。
緻密な伏線や、計算され尽くした情報の出し方はまさにミステリーですが、
25年前に起きた出来事をめぐる様々な登場人物たちの思惑や、主人公の揺れ動く心理を追求した描写は、重厚な人間ドラマを見ている気持ちにもなります。
そして、個人的な感想にはなりますが、これは謎が解けて万事解決、というミステリーではないと思います。
むしろ、謎が解けたからこそ、目の前にいる人が「いったい何者なのか?」という、根源的な問いに立ち返る哲学性も秘めた御作品だと感じます。
ぜひご一読ください。
きっと読んだ後も、読者の「ヤスイトクオ」探しは続きます。
本作は、ひとこと紹介通りの言葉が終始頭に浮かぶ物語になっております。康井徳夫と言う謎の人物に終始翻弄されていきますし、廉井徳夫に繋がるであろう数々の事件も複雑に絡みあってくるので、その混乱が深まるばかりです。けれど、その混乱が面白くて、「どうなるんだろう」と読む手が止まらなくなります。
作者様の素晴らしい技巧が駆使されて、紡がれている物語になっておりますので。多角的な面白さが楽しめますし、一体、誰が。何が。どうして。と言う疑問が尽きない事件の数々が持つ深みに私達読者はハマるばかりです!
ホラーでもあり、ミステリーでもある今作。色々な不可解が重なる面白さが最高です!なので、皆様もぜひ読んでみてくださいませm(__)m
1995年から1997年にかけて、日本の社会を変える二つの出来事が起きました。1995年の阪神・淡路大震災と1997年の神戸連続児童殺傷事件です。
日本は古より災害が多いですが、それらは国が貧しく人が築いた財産が少ない時代に発生していました。高度経済成長を成し遂げ世界に誇る富を築き上げたところで数分で富を失い呆然としたのが阪神・淡路大震災でした。そこから防災の必要性が叫ばれ社会制度が大きく変わりました。
神戸連続児童殺傷事件については長く語らせてください。悪名高い旧・少年法が制定された1947年は、日本国内は現在の海外の新興国に似て、特に大都市に戦災孤児という名のストリートチルドレンを多数抱えていました。みなさまが見聞きする新興国と同様に、生活のために窃盗を行う青少年を厳罰に処せば少年院と刑務所がパンクするという単純な不可抗力を抱えていました。神戸連続児童殺傷事件が発生した直後には少年犯罪の凶悪化が喧伝されましたが、統計に基づき、昔の方が少年犯罪者の層が厚かったことが正確に認知されるに至りました。現代は幸せですが、裏を返せば少年犯罪者には Natural born killers (生まれながらの殺人者)だけが残っていることを意味します。社会が豊かになり子供が次々と健全に育つことに慣れてしまい、社会は青少年の危険性を忘れました。率直に言って舐めきっていました。そこへ久しぶりに生まれながらの殺人者が現れたことで社会が恐怖したのが実情です。法制度を運用し続けるうちに社会が別物になっていることに気づかず、生まれながらの殺人者へストリートチルドレンを保護育成する法律で対処するという矛盾が噴き出したのが神戸連続児童殺傷事件でした。
上記の出来事はどちらも兵庫県神戸市で起こりました。1995年にはもう一つの出来事であるオウム真理教事件が東京で起きました。それに比べても、大都市とはいえども中規模と言ってよい都市で国を揺るがす事件が立て続けに起きたことで、神戸市は特異な状況にありました。
懲りて、という言葉がありますが、懲りたのは痛みを覚えたからです。そこには犠牲がありました。巨大な、巨大な。
巨大な犠牲の裏に、悲劇に膿んだ社会から見向きもされなかった小さな犠牲があったのではないか。その疑問というか現実社会と矛盾せず整合する点を本作は突きます。
語り口は極めて現実的で日常的です。途中に普段だったら驚くほど大きなオカルト現象の兆候を見ます。それが巨大な悲劇に組み込まれていく、その論理に息を呑みます。
このような事件は存在したかもしれません。複数存在したかもしれません。今になって聞けば悔しさばかりでカタルシスはありません。それでも存在しておかしくないと皆様が思うでしょう。
鎮魂。手垢がついた言葉を思い返さざるを得ません。
[お詫びと訂正]
当初の本レビューでは、神戸連続児童殺傷事件を1995年に起きたと記していました。正確には1997年(阪神・淡路大震災の2年後)に起きています。ここにお詫びし、冒頭の段落を訂正しました。
「そろそろ思い出してよ。 ヤスイトクオ」
この伝言を受け取った会社員、紀藤宗也は困惑する。
廉井徳夫。
記憶にある名前。
おそらくは中学生の頃の友人。
そして、それ以外は朧げにしか思い出せない人物。
中学時代の友人を思い出さずにはいられない強い思いが紀藤を苛む。
考えあぐねた彼は、廉井徳夫を探す新聞広告を掲載する。
その文章を見た新聞記者、五十嵐慎哉は、紀藤の奇妙な人探しへの協力を申し出た。
────物語は、そこから外へと動き出す。
五十嵐が辿る廉井徳夫の周辺にいたであろう神戸市立東中学校関係者たち。
それらの人物が語る言葉を記した、ルポルタージュのような証言記録。
〝阪神大震災〟〝池田小事件〟〝酒鬼薔薇事件〟
実際に起きた過去の出来事が証言に絡み、物語は迫真のリアリティを帯びる。
兵庫県の方言で語られた肉声のようなインタビュー証言。
独白。事件記事。
さまざまな形式の情報が積み重なるうちに浮かび上がる真実と誤解。
物語が進む毎に増えるそれら補助線が、読む者へ廉井徳夫の正体に繋がる道筋を指し示す。
本作を読む者は、きっと思いを巡らすことだろう。
自分の過去、幼い頃の友人のことを。
そこに、奇妙な記憶がないかを。
誰もみな、すべての過去を覚えてはいられない。
だから〝怖いこと〟が記憶の中にないとは、誰にも言いきれない。
不安と不穏な記憶と忘却の織りなすミステリーである本作を、ここにお勧めしよう。
読めば、あなたはきっとこの物語を忘れられなくなるはずだ。
良きにつけ、悪しきにつけ。
そう、なるはずだ。
作中人物の手記や新聞記事、取材記録の形を取って語られるモキュメンタリ―方式のミステリ。
物語は製薬会社に勤める男、紀藤宗也が宿泊するビジネスホテルで、何者かからのメッセージを受け取ったことから始まる。
「そろそろ思い出してよ、ヤスイトクオ」
<廉井徳夫>という名前は確かに紀藤の記憶にあったが、それが誰だったか、何故その名を今思い出せと言われるのか、何も思い出せない。どうしてもその名が気になって仕方のない紀藤は、新聞記者である五十嵐の力を借り、廉井徳夫に関する調査を進めていく。
そんな筋書きで過去の連続殺人事件と廉井徳夫との関わりが次第に明らかになっていくのだが、ぼんやりとした記憶を掘り起こし、事件の詳細が明らかになる過程がなんとも薄気味悪い。
この気持ち悪さは一体どこから来るのかというと、おそらくはこの作品「人間の記憶のあいまいさ」をテーマとして扱っているからだろう。
ある程度年を重ねると分かるが、人間は結局直近の二、三年の生活に基づいて生きている動物で、昔の記憶は「幼い日の記憶」や「学生時代の記憶」としてパッケージングしたまま頭の片隅にしまい込んでいる。そのパッケージにはいい思い出だったとかラベルが張ってあるわけだが、何かのきっかけでそれが開封されると実は過去に人に傷つけられた恐怖や傷つけた罪悪感など、直視したくないものが飛び出してくる場合もある。
本作には、「阪神大震災」や「池田小事件」など実際に起きた事件について言及される場面が度々あるが、それが読者に嫌なリアリティを感じさせることに一役買っている。
もしかすると、忘れているだけでここに書かれている事件は実際に起きてたんじゃないか?と自分の記憶のあいまいさを突きつけられ現実と虚構の境界がおぼつかない心持ちにさせられるのだ。
自分も過去に封印したおぞましい記憶があるのではないか?とわが身に置き換えて感じることで、フィクションの枠を超えた不安感を読者に与える。ホラーものだと「今これを読んでいるあなたは呪われます」などの手管を使って迫真性を与えようとするケースがあるが、効果としてはそれに近いものがある。
カクヨムには「近畿地方のある場所について」や「右園死児報告」といったモキュメンタリ―ホラーの傑作が既に存在しているが、それらと比較しても本作は新しい切り口を提供できていると感じる。
モキュメンタリ―好き、珍しいテイストの作品を読んでみたいという人は、ぜひ一読して欲しい作品だ。
製薬会社に勤める男が、出張先のホテルで
と或るメッセージを受け取る。
そろそろ思い出してよ。 ヤスイトクオ
これを見た瞬間、恐ろしい程の動揺と
何故かよくわからないフラッシュバックを
伴うが、肝心の 廉井徳夫 という人物の
心当たりはない。
尤も、そろそろ思い出してと言う位だ。
忘れている事が前提なのだ。
どうしても気になり、求人広告を出す彼の
許に、一人の新聞記者が訪ねて来る事から
物語は一気に加速する。
かつての同級生の誰もが首を傾げる。
廉井徳夫 などというクラスメイトは
居なかった筈だ。
それなのに
何処かで聞き覚えのある、その名前。
十数年前に、彼等の周りで起こった
不可解な女生徒の死。自殺とも他殺とも
判断されなかった彼女の 死 にも
廉井徳夫 の影が見え隠れする。
噂は拡散し、無意識の深層へと沈み込む。
謎は、時に優しく語りかけるが決して
その手綱を緩める事はない。そして我々を
捉えて離さない。
ようやく、思い出したのか?
ヤスイトクオ とは ─── 。