演出

私は他人の人生に手を加えずにはいられない。

それが救済であれ、破滅であれ、終幕が私の構想通りに運ばれるなら、それでいい。


幸永という素材は、出会った時から美しかった。

脆く、未加工で、見る者の胸を打つ不安定なバランスを保っていた。

他の者が“気の毒だ”と見過ごすものを、私は“未完成の彫像”と見た。

彼はまだ壊れていなかった。それが、惜しくて、堪らなかった。


芸術とは素材だけで成立しない。

道具が必要だ。照明も、音響も、そして…血も。



戦争が終わって復興が始まり、国内のサーカスの興行も徐々に活発になってきた頃、私は再びサーカスの仕事に帰ってきた。

長らく軍務に就いて離れていた仕事だが、ありがたいことに戦前に共に仕事をした佐伯という男が私のことを覚えており、補佐に入ってほしいと頼まれたのだ。なんのための戦いなのか全くの無駄に終わった戦争と違い、サーカスの仕事には意味がある。創造という意味に飢えていた私は喜んで手伝いを申し出た。


佐伯はかつて所属していたサーカス団の仲間を集めて新しくサーカス団を作った。戦後間もないのとできたばかりの団であることから人手が足りず、団長補佐として入った私も曲芸師として、イリュージョニストとして、猛獣使いとしてステージに立ち雑用もこなした。


そのサーカス団で主に雑用や曲芸の補助として働いていたのが、幸永という少年だった。

人目を引く美しい容姿をしており、口数は少なく大人しい、人の言うことをよく聞く子だ。年齢は17、18歳ほどで、他に同年齢の人間がいないからかそういう性格なのか、誰とも打ち解けずに独りで過ごしていた。


団内で問題が起きているとわかったのは私が働き出して2ヶ月ほど経った頃だ。

着替えをしている時、幸永の脇腹に痣があるのに気がついた。自然に痣ができる場所ではない。どこかでぶつけたのかと聞いても黙っている。何かが起きているな、と思った。

その何かは数日後にわかった。

幸永がナイフ投げの男に暴行を受けている現場を目撃した。

酷いものだった。殴る、蹴る、首を絞める、犯す。

酷いことだと思ったが、私はあのとき止めなかった。止めたくなかった、と言ったほうが正確かもしれない。


使える、と思ったのだ。

団内の害虫である粗暴なナイフ投げの男を排除し、この少年を私にとって都合のいい駒にするにはどうすればいいか、私にはすぐに分かった。

幸永を殺人者に仕立てればいい。

幸永は、暴力の前では無力だった。

だが私は知っている。無力は罪だ。

それが彼自身の命を削って行われることであっても、彼は“役割”を果たすべきだった。

あのような美しい容姿と沈黙が、ただ打ちのめされるためにあるなど、誰が許すというのか。……だから私は、彼を“殺す者”に変えようと思った。

幸永がナイフ投げの男を殺すよう誘導し、殺人に、暴力に躊躇がなくなれば、私の裏の仕事にも役に立つ。

あのナイフ投げの男を罰する者が誰もいないなら、彼自身に裁かせるしかない。

今はただ声もなく耐えているだけの子供だが、彼の内側には爆発的な暴力の芽が密かに芽生えている。私には、それが分かる。

この世界では、暴力こそが暴力に通じる唯一の言語なのだから。



興行後の打ち上げでみんなで酒盛りをしている場で、私は何気なくナイフ投げの男に声をかけた。


「今日の演技、よかったよ」

「よぉ先生、珍しいじゃねえか、あんたが褒めるなんて」


そう言いつつ上機嫌に酒を飲んでいる男に、私は続けて声をかけた。


「君の演技はいつも評価してるつもりだよ。技術があって、危なっかしいところがない。それでいてスリリングで観客を飽きさせない。いい腕をしている」


これは本心からの言葉だ。腕は良い。人間性の醜悪さを差し引いても、だ。


「なんだよ今日に限って…悪い気はしねえけどよ」


いずれ来る最期の日の前に、評価できるものは評価しておきたくて、私は言葉を続けた。


「君は人間的には評判が悪いけれど、腕は良い。この世界は実力が全てだ。何を為すかだけで評価が決まる。わかりやすいだろう?」


空になったグラスに酒を注いでやりながら、少し離れたところからこちらをじっと見ている幸永を意識して、聞き取りやすい声で言う。


「それにしても、人を殺すことのできる道具で曲芸をするのは、分かっていても怖いものだね。特にあのナイフ。切れ味が良さそうだ。俺がやったら大怪我するだろうな」


「へっ、先生みてえなインテリができることじゃねえのさ」


なみなみと注いだ酒を飲み干すのを見届けながら、幸永がこの会話を聞いて心の刃物を研ぐ様子を想像した。

こんな醜悪な男ではなく、美しい幸永こそ、ナイフ投げが似合う。冷酷に人を刺せるようになったらさぞ、素晴らしい演目になるだろう。

今はただその日を待ち、仕掛けを仕込んでいくだけだ。


それからの日々に代わり映えはなかった。

相変わらず幸永への暴力と凌辱は続き、私はそれを知らないフリで興行や雑務をこなし、時が来るのを待った。


ついにその日は来た。

いつものように様子を見に行ったら、幸永が地面に落ちていたナイフを素早く拾ってナイフ投げの男を滅多刺しにしている現場に出くわした。何度も、何度も、執拗に心臓を狙って突き刺している。激怒に歪んだ白い顔に鮮血が飛び散り、鮮烈な印象を与える光景だ。

鮮血を浴びた白い顔は、あまりに劇的で、完璧だった。

やがて我に返ったのか、憑き物が落ちたように無表情になり、ナイフを握りしめたまま呆然と立ち尽くした。


演出を加えるには絶好のタイミング。


「おや、派手にやったね」


いつものように穏やかな調子で声を掛ける。この瞬間は自分の命もかかっている。逆上して刺し殺しに来る可能性もあるからだ。だが幸永は返り血を浴びた顔をこちらに向けただけで、動く素振りはない。


いける。


演出の成功を確信しながら、決められた台詞を投げかけた。


「片付けがまだだね。手伝おうか?」


「君と俺で、片付けるんだよ。その死体をね。」


私の指示に従い、幸永は実に従順に片付けをこなした。なかなか手際が良く才能がある。

思った以上に手駒としても作品としても良くできていて、私は嬉しくなって優しく声をかけた。


「君が死刑になるなら、そのときは俺も一緒に死んであげるよ。共に罪を背負った仲だからね。」


望みどおりに壊れてくれた、望みどおりに動いてくれる美しい駒。

専ら評論だけで絵が描けないのが残念だ。

一幅の絵を完成させたかのような満足感に満たされながら、私は表の仕事の文章を綴った。


「美は、破壊の瞬間にしか完成を許されない。

彫刻家が石を砕き、画家が筆で肌を裂く。

すべての芸術の完成とは、暴力である。

そこに血があり、苦悶があり、沈黙があり、そして美がある。

それは、絶望の中から生まれる唯一の“秩序”だ。

秩序を生み出す者は、世界という舞台を支配する演出家であり、神だ。

芸術を志す者は、皆、神になろうとする。不遜で、傲慢な魂を持って。」

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造形 久保ほのか @honokakubo

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