火車

夔之宮 師走

火車

 俺は年が明けることにわざわざ意味を持たせることができなくなってきた。ちょっとした連休だというだけで、12月末の俺が新年を迎えたからと何かが変わるわけでもないと達観するようになった。こういうの加齢というのだろう。

 どこだかで聞いたが、『If an ass goes a-travelling, he’ll not come home a horse.(ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない)』という慣用句があるそうだ。俺はまさにこれだ。年末を迎えたところで、新しい俺に成れるわけもない。


 ありがたいことに新年早々から仕事はそれなりにあり、なかなか定時で帰ることもできず1月の中旬を過ぎた。


 その日、俺は仕事を終え、同僚たちと池袋駅近辺で軽く酒を飲み、その内の幾人かとラーメンを食べにいった。とうに終電は過ぎている。同僚たちはタクシーに乗り、俺は東池袋にある家に向かってぶらぶらと歩いていた。


 人気のない住宅地を歩いていると、目の前の路地から1月には似つかわしくない半袖半ズボンの男が段ボール製のような箱を抱えて飛び出してきた。

 俺は自分自身がコートを着ていることを思わず確かめた。冬だ。どう考えても冬だろう。

 男は、だらしない私の身体と比べても二倍はあろうかという腹回りであり、一般的には肥満の範疇に入る体つきをしていた。池袋を歩いていると、冬でも観光客と思しき外国人が半袖や半ズボンで歩いているのに遭遇したりもする。

 俺は一瞬驚きはしたものの、まぁ、そういう人もいるかと思い、ことさらに気にすることなくすれ違うこととした。すぐ近くを通る男はふうふうと息を切らせており、箱を大事そうに抱えている。


 男とすれ違った後、数歩もいかないところで、背後にぽたりと音がした。俺は思わず振り返ってしまうと、路上に手が落ちているのが見えた。


 大きさからすると、どうも子供のようだ。手首からさっぱりと切り落とされたかのように見える。

 ぽったりとした指がかわいらしく見えた。夜なのに、いや、夜だからこそ肌の白さが際立っている。


 俺はそれが人形のものなのか、あるいは人間のものなのかを考えないようにし、見たことすらなかったことにするように前を向いて歩き始めた。

 その時、また、ぽとりと音が聞こえてくる。俺はそれを聞き過ごすことができず、またも振り返ってしまう。


 路上にはまるで赤ちゃんのようなサイズの足が落ちている。足首の断面がこちらを向いており、真ん中に見える骨のような円とその周りを取り巻く赤い繊維のような束が見えた。

 俺は思わず息をのむ。じわじわと視線を上げると、箱を持った男がこちらを見ているのがわかった。

 改めて見ると、率直に言って体系には似合わないこざっぱりとしたマッシュヘアで、丸いフレームの眼鏡をかけている。眼鏡のレンズには街灯が反射し、その視線が見えない。だが、間違いなく俺を見ている。確信できる。


 男はゆっくりと足を拾い上げ、手に持った箱に入れた。そのまま立ち去るのかと思いきや、改めて俺を真っ直ぐに見返してきた。レンズが光って視線がはっきりとはわからないが、俺を見ている。間違いない。


 俺はとっさに視線を逸らし、男と反対方向へ歩き始めた。しばらく何も考えずに歩く。そこの十字路を右折すれば俺の住む部屋はすぐだ。


 俺は道を曲がりながらカーブミラーを見てしまう。そこには箱を持って俺を見ている男が映っていた。俺は駆け出した。

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