返礼の祠
二ノ前はじめ@ninomaehajime
返礼の祠
小さな祠の中に棲んでいた。
山に建てられた
時折、
長い歳月を祠の中で過ごした。山は四季によって表情を変え、春には新緑が眩しく、秋には色づいた。寒い季節には雪が降り、
外に出る気はなかった。祠の中は居心地が良かった。木漏れ日の中、樹上で小鳥たちが
人里離れた山の中でも十分に賑やかだった。これ以上の
十二分に満たされていた。そう思っていた。あの
その歯で噛み砕く前に声が聞こえた。十に満たないほどの童が、しゃがみこんで両手を合わせていた。粗末な着物で、
これは祈りだろうか。
口を収め、静かに観音開きの扉を閉じた。人を食わない理由はなかった。ただ、小さな人間の童が一人で山まで来ているのが珍しかっただけだ。帰り道に迷ったわけではなく、どうやら目的があって里からここまで登ってきたらしい。
しばらく観察していると、童は立ち上がってお
とても食えたものではない。
何度か太陽と月が入れ替わり、また童がやってきた。以前と同じ姿勢で手を合わせ、祈る。やはり意味はわからない。ただ瞼を固く閉じた表情は真剣で、おそらく大事なことなのだろう。通りかかった獣で腹を満たしたので、
意味のない祈りを捧げ、立ち上がる。再び頭を深々と下げて去っていく。今日の捧げ物は泥団子ではなかった。鮮やかな紫色の菊の花が一輪供えられていた。そのうち風に飛ばされて、木立に消えていった。
童は供え物を変えることが大事だと考えているらしい。足を運ぶたびに、さまざまな物を供えた。
木漏れ日の下で、
幾度となく祈られても、この童が何を願っているのかわからなかった。おそらくは内容が聞き取れても理解できなかったに違いない。
長く暮らした祠での生活で、小さな童との見えない交流はわずかな変化をもたらした。その来訪が不快だったならば、とうに血肉を
その寝顔は安らかであった。このまま夜になれば里には帰れず、山の獣の
時の流れなど意識したことはなかった。ある日を
やがて童が再び現われた。みすぼらしい格好が、より貧相に見えた。その表情に生気はなく、目の下は落ち
ただ、おそらく願いは叶わなかったのだ。
沈黙を守る祠に歯を食い縛り、童は木の下に落ちていた棒切れを拾った。ふらつきながら目の前で振りかぶり、振り下ろそうとした。
やめろ。初めて誰かに願った。
この祠を壊そうとするなら、食わねばならなくなる。
童は両手で振り上げた木の棒を取り落とし、そのまま崩れ落ちた。こけた頬を涙が伝う。こちらに
うなだれていた童は立ち上がり、覇気のない足取りで祠の前から立ち去った。その背中が遠ざかるのを見送る。なだらかな山道で、
その日以降、童は訪れなくなった。何度も四季を繰り返し、冬には積雪に埋もれた。柔らかな木漏れ日の下、
どれほどの年月が過ぎただろう。遠方から騒がしい気配が伝わってきた。この
夜、山の麓が
やがて急いで駆けてくる足音が聞こえてきた。祠の前を通り過ぎる。多少背丈が伸びていても、その
馬の脚に人が
本来ならば人同士の争いに関わることはない。
ただ、返礼はしよう。
石祠の扉を突き破り、顎を剥き出しにした。馬ごと人間の男を呑みこみ、噛み砕いた。
祠の中へ顎を引き戻すと、尻餅をついたままの童がこちらを見つめていた。その表情は
ふと童が口にした言葉の響きを思い出した。確かこう言ったのだ。
さようなら、と。
返礼の祠 二ノ前はじめ@ninomaehajime @ninomaehajime
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