7

 流れる景色の中、少し開けた窓から入る風に髪を遊ばせる。

 高速道路のほとんど同じような景観に、どこかホッとしている自分がいた。


 あの後、いつの間にか眠っていた俺は、意外と神経が図太いのかもしれないと思った。

 誰も俺を起こす者はなく、昼前に居間に行くと、親たちがのんびりテレビを見ていた。

 俺もだらだらとただ映し出される画面を見ながら、一緒にご飯を食べる。

 やっぱり、あれは夢だったんだ。だって、何もかもが普通だ。おかしなことなんて一切ない。

 そのように一人納得したくて自身に言い聞かせていると、黒猫がとことこと目の前を歩いて行った。

 その姿に思わず、びくりと肩が跳ねる。


 ――もしかして、レーちゃんも来ているのか?


「よしよし」

 母親が猫の背や咽喉を撫でている。

 いとこのペットはその愛撫に目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。どうやら喜んでいるらしい。

 しかし、ほのぼのとした光景であるはずのそれは、俺の動揺した心を落ち着けてはくれなかった。


 そして、トドメの一撃――


「いい子ね、ノエル」

「え?」

 ――今、何て言った?

「何、どうしたの」

「いや……の、ノエルって?」

「あら、知らなかったの? この子の名前よ。今朝レイちゃんが、今日は友達と遊びに行くからってここに預けていったの。皆、出掛けていて家には誰もいないんですって」

「へ、へえ……」

「さ、ダラダラしてないで早く食べてしまってね。この後、皆でお墓参りに行くって言ったでしょう? 片付けや準備もしないといけないのよ。今日の夕方には帰るんだから。わかってるの?」

「わ、わかってるよ……」

 俺は味のしなくなったご飯を一気に流し込んで。着替えると言って、部屋の布団へと逃げるように閉じ籠った。


 あの猫は、ノエルだった。

 俺とレーちゃんと、猫と。

 あの時、あそこには他に誰もいなかった。

 ずっと俺たちだけだった。

 俺には、他なんて何も見えなかった。


 ――じゃあ、イツって誰だ。


 子どもの頃に俺は、そのイツってやつと会っているのか?

 ダメだ、全然思い出せない。

 いったい誰なんだよ、そのイツって。


 まさか。いや、そんな――



「なあ、父さん」

 俺は、運転席でハンドルを握っている父親に話し掛ける。

 よく考えなくとも地元民だ。何か知っているかもしれない。

「ん、何だ? 休憩ならあと五キロだから、もう少しだぞ」

「いや、そうじゃなくてさ。あの家から歩いて少ししたところに、首きり地蔵があるだろ?」

「ああ、そうだな」

「その道を右に行った先の森の中に、小川があるんだけど」

「ああ、あったなあ。懐かしい」

「そこって、この時期は何か危ないの?」

「時期?」

「いや、レーちゃんが川に入ったらダメだって言ってたから」

「なんだお前、覚えてないのか」

「え?」

「子どもの頃、そこで溺れただろう」

 溺れた? 俺が?

「あんなに浅いのにとは思ったが、足を滑らせて気絶でもしたんだろうな。水を飲んで倒れていたところを、レイちゃんが教えてくれたんだ」

「そんなこと、あったっけ……」

「まったく、呑気なものだなあ。ばあちゃんにこっぴどく叱られていたくせに」

「あ――」

 そうだ。そういえば、そんなことがあった。

 思い出した。子どもの頃、今回みたいにレーちゃんと一緒に、涼しいからって川で遊んでいたんだ。

 そしたら、誰かに足首を掴まれたように動けなくなって、溺れた。

 そうして目が覚めると同時。ばあちゃんにすげえ怒られたんだ。


 盆の時期に水辺で遊んじゃいかん。水に呼ばれるぞ――と。


 それが迷信だったのか、科学的根拠に基づくものなのか、遊びに行かずに全員がちゃんと揃ってご先祖様をお迎えしなさいという意味が含まれていたのか――

 今となっては、もうわからない。

 わかりっこないことだけれど。

 それでも、やっぱり俺は子どもの頃にだって「イツ」とは出会っていなかった。

 俺は子どもの頃から、嘘を吐いていたのだ。

 レーちゃんに対して、俺は昔から偽りを口にしていた。

 だって、俺とレーちゃん以外には誰もいないのに。ここにいると堂々と言われて、見えないなんて言えなかったのだ。

「お前、いつもあの地蔵様の近くで遊んでたな」

「え、そうだっけ」

「通るたびに祈ってただろ。天才になりますように、とか」

「覚えてないや」

 だとしたら、あの地蔵には願いを叶える力はないらしい。

 所詮、迷信でしかないようだ。

「一体一体に丁寧にお辞儀してたんだぞ、お前。ああでも、いつ様にまで願い事を言うものだから、あの時は焦ったな」

「え?」


 いつ様?


「ほら、左から二番目の。空席の地蔵様だよ。見なかったのか?」

「いや……そこだけ何もなかったのは、見たよ」

「それがいつ様だ。空席の地蔵様。逆さ願いのいつ様」

「逆さ願い? 何それ」

「ずっと昔からある、誰が言い出したかもわからない、あの地域の言い伝えだよ。空席の地蔵様は呪いの地蔵様だってな」

 スッと心が冷えた。

 おかしいな、あんなに暑かったのに。

「の、呪いって……ははっ、冗談だろ?」

 呪いだって? イツが?

「まあ、よくわからん風習のようなものだ。噂話みたいなもんだよ」

 父親は呑気に笑っている。俺は恐る恐る生まれた疑問をぶつけた。

「もし祈ったら、どうなるの?」

「なんだお前、気になるのか」

「いいじゃん、教えてよ」

「そうだな……話では、首から上に関する願い事が叶うといわれている」

「願い事を叶えてくれるなら他と一緒だし、呪いにはならないんじゃないの?」

「それだけ聞くとな。だが内容が正反対なんだよ。例えば脳の病気になるとか、首を切られて死ぬとか」

 さらっと告げられた言葉に、俺は反応が遅れた。

「っな、何だよそれ……」

「学生時代は、何かあればすぐに結び付けて言ってたな。頭をぶつけて何針も縫う怪我をしたやつがいれば、誰かがいつ様に願った呪いじゃないかって」

「……」

 そうだ。俺、一度だけレーちゃんに言ったんだ。

 二人以外誰もいない。「イツ」なんて見えないって。

 そうしたら、泣きそうな顔で怒って。確かあの地蔵の元へ一直線に向かって、何かをお願いしていたっけ。


 ――その後、川で溺れたんだ。


 意識を失う寸前に見たのは、よく知ったいとこの、見たこともない笑顔。

 その時だ。どうしてだかはわからないけれど、とにかく彼女に謝らなきゃって思ったのは。

 目が覚めて。大人たちから解放された俺は、真っ先に慌ててレーちゃんへと、あの言葉は嘘だって、「イツ」はいるって謝ったんだ。

 それからはいつも通りだったけど、何だか怖くなって。俺は田舎から、レーちゃんから逃げるために帰省を拒むようになった。

 そうして、記憶を彼方に押しやっていたんだ。

 俺は、レーちゃんに……いや、そんなまさか。

 噂、だよな。迷信でも何でもいいけど。だって所詮、噂は噂だろ?

「次は半年後だな。正月」

「え?」

「お前、どうするんだ?」

 父親は気が早い。

 まだ帰宅途中だというのに、次の帰省の話だなんて。

「そんな先の予定なんか、見えねえよ」

 わかるわけがない。だって、俺には何も見えないのだから。

 彼女の考えていることも、隣にいたのかもしれない「イツ」も。

 だから俺は、また同じ選択をする。

 だって噂なんて結局、信じるかどうかは自分が決めること、なのだから――

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空席の地蔵様 広茂実理 @minori_h

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