幼い頃から、可愛い綺麗だと褒められ、それこそが自分の価値だと思い定めて育った主人公。
その主人公が、およそ華やかさに欠けた存在、自分の価値観での「美しさ」とは違う存在に心奪われ、嫉妬してしまう。
実に人間的で、ある意味安心してしまいます。
一方で、嫉妬され、主人公の価値観を押し付けられた存在。
最後の場面で異様さ、そして異様だからこその美しさというものが引き立ちました。
美しさというと、容姿の美醜、あるいは見事な生き死にといった人としての行動の美しさというものがまず思い浮かぶのですが、また別の美しさ、触れてはならない、憧れも出来ない美しさというものもあると、改めて考えさせてくれる短編でした。
美しさとは一体何か。芸術の持つ迫力とは何か。そんなことをしみじみ感じさせられる作品でした。
主人公である「私」は容姿に恵まれ、人から注目もされる美少女。
そんな彼女がある時に心を惹かれる「香り」と出会う。お屋敷の敷地に植えられた沈丁花。香りには魅力があるのに、見た目は地味なその花に落胆を覚える。
それでも、ふとスケッチブックを手に取り、絵を描こうとし始める。
そんな彼女のもとに現れる一人の女性。地味な外見の女性は彼女の絵に興味を示してくるが、その時間に妙な不快感を覚えてしまう。
地味な女。地味な外見の花。そんなものに心を惹かれてしまいそうになる自分に嫌気が差し、彼女はあえて「現実にはないカラフルさ」で沈丁花の花を描いてしまう。
本作で描かれているのは、「派手」と「地味」の対立構図。派手さは人の目を引くけれど、果たして「地味」なものに圧倒的な優位性を持つものなのか。
絵画でも小説でも、創作全般においては「モチーフ」で何を選ぶかが重要なポイントとなる。大勢の目を引くようなカラフルなもの。大衆に受けそうなキャッチーなもの。そういうものばかりがもてはやされる一方で、「地味なもの」はただ沈み込んでいくだけで終わるのか。
芸術の奥の深さというものについて改めて考えさせられる一作でした。自然の持つ力の大きさや奥深さ。そういったものを見抜き、芸術として表現しうる作品が存在すること。そうした「本物」を前にしては、ただ大衆受けするだけの派手な作品は「薄っぺらな偽物」に見えてしまう。
この作品を読んで最初に頭に浮かんだのが、長谷川等伯の「松林図屏風」でした。色合いなんてほとんどないのに、強くの人の心に訴える「幽玄な美」があること。そういう事実を改めて思い出させられるのも、本作の大きな魅力の一つだと言えるでしょう。
「派手」と「地味」の戦いは、「上辺」と「中身」の戦いでもある。
そういう『美』について色々と考えさせられる、静かにして独特な幻想美に満たされたとても素晴らしい作品です。
春未だ浅い道。ふと、路傍にまで漂い出る
強く麗しい花の香に心を奪われる。
一体、何の香りなのだろう。
興味を惹かれるのは無理からぬこと。
この凛として甘く、それでいて強烈な印象
まるで著名な絵画に衝撃を受ける様な。
どんな花から匂い出すのか、好奇心を
止める事は出来なかったが。
この、控えめな花は。
想像とは違う清楚で小さな花房は、彼女の
心に仄暗い想いを抱かせる。
幼い頃から蝶よ花よと育てられて来た。
人よりも見目麗しく生まれた事、そして
絵画の才を褒め称えられて来た。
花に香りを与えるのなら、それを戴く花で
なければならない。その 思い を、只管
スケッチブックに投入する。
純白の 花の思い を、鮮やかな色彩で
塗り潰してゆく。何に対してなのか、誰に
対してなのか。
それもいずれは枯れ落ちる。
沈丁花の濃い芳香は、朽ちても尚、記憶の
底に燻り続ける。そして春が来る度に
思い出す、その甘く鮮烈な痛み。
沈丁花の 香の檻 に囚われたまま。