第3話 兄の背中と母の想い。


「――ヴィー、しっかり掴まってて。」



父ダリウスが砦から飛び降りエクリプスの群れを追撃し爆炎をかました後のことだ。



兄レイヴァンは当然のように俺を背負い、ヴァンガルド城へと走り出した。此処から城まで約500km近くは離れており、ここ前線基地のフロントライン砦からは北へ200km程度先にミドルライン砦がある。


その砦に入る処理含めても兄なら

4時間以内でヴァンガルド城に辿り着けるだろう。

訓練で痛いほど知ってるのだ。

兄がフィジカルのバケモンな事は。



4時間おぶられるのか.....

正直、精神は大人のままでも身体は8歳。おんぶされるとか、前世じゃありえない光景だわ。


どんなやつだよ!!

恥ずかしい。

親の顔を見てみたいわ。

くそがよ。


....悲しくなったわ


……結局

「恥ずかしいから降ろして」

なんて、言う余裕すら実はないんだけれど。



何の心構えもないまま

リアル・コズミックホラーを目の当たりにしたんだ。落ち着くわけがない。


でも、おかしいんだよな……。

ただショックを受けただけにしては、身体中から力が異様に抜けるような変な感覚があるんだ。



「……ごめん、兄様。何だかおかしくて。身体に全く力が入らないんだ。」


「気にしないでいいよ。まだヴィーは8歳だしね。初めてのエクリプスはヴァンガルドの大人でもキツいんだ。」


「僕は10歳の頃にあれを見て、血の気が引いて気を失ったんだ。ヴィーはむしろすごいよ。まだ意識があるんだから。」


兄レイヴァンの声には、ほんの少し笑みが混じっている。

だが、その優しさに救われる。


「それにね、エクリプスには特殊な能力があって相手の精神に“恐怖”を染み込ませるんだ。特にエクリプスを初めて見た人ほど影響が強い。

さっきも言ったけど大の大人でも意識を失う事がある。

だからヴィーの体から力が抜けてるのもそのせいだし。むしろエクリプスの精神汚染をある程度レジスト出来てることが僕には驚きかな」


「あとはね、ヴァンガルド領以外のものがエクリプスと相対するとほぼ問答無用で意識を刈り取られるんだ」


やんなっちゃうよねー

と、兄レイヴァンはいう。


やんなっちゃうよねー

じゃねーわ。



なるほど。

造形もアレなら、能力までソレか。

盛りすぎだろう。

一応説明がついただけマシだけど、先に言っといてくれよ……


そんなツッコミが脳内を渦巻く。



「……ちょっとくらい事前に教えてくれたっていいと思うんだけど。ヴァンガルド家はいつだって情報共有する事が少なすぎるよ。」


背中越しにぼやく俺に、兄は

「悪かったね」と苦笑まじりで答えながら、いっそうしっかり俺を背負い直す。


そのまま荒れ地を突っ切るように走り始めると、周囲の風景が目まぐるしく流れていく。


この世界に来てから散々鍛えられてきたけど、やはり兄レイヴァンの身体能力は段違いだ。


たった6年の年齢差で、ここまで差がつくのか……

訓練内容だってある程度同じはずなのに。

俺だって騎士団の中堅クラスには

模擬戦で勝てるほどの腕はある。

身体能力だって前世から考えると人間辞めてると思うんだけどなぁ。



「……兄様って、やっぱりすごいよ。」



思わず本音が漏れた。

前世がどうだろうと、この兄の背中を見せつけられたら

(かなわねぇ……)

と痛感してしまうだろう。


「兄様は……あの戦いが平気なの?

言いたくないけれど....戦いたいと思えないんだ。逃げ出したいという気持ちで今は一杯なんだ」


初めて、素直に逃げたいと人に言えた。こんな事初めてだがから、逆に動揺する。


心は大人なのにという恥ずかしさを我慢してレイヴァンに泣き言を言ってしまった。

それなのに兄様は笑みを浮かべて、首を横に振った。


「平気なんてことないよ。実際怖い。エクリプスはある程度の種類はあるけど。毎回、その造形が異なるし気持ち悪いんだ。

だからあまり慣れないなぁ。

なんだろうな...生理的嫌悪感って言うんだろうね。

この嫌悪感もアレの能力な気がするけども。」


「でもね....結局逃げれないんだ。俺にはヴィーやヴァンガルド領の皆んなを守りたいって理由があるから。.....それにね。僕も守られて今がある。命のバトンを受け取ってるんだよ。だからこそ頑張れるんだ。

……ヴィーだって、戦う為の自分だけの理由をきっと見つけるよ。

そしたら、僕なんかよりもっと強くなれると思う。……ただ、強くなっても届かない事もあるんだけどね。」



「自分だけの理由……」



レイヴァンの瞳は真っ直ぐで、そこに迷いは一切見えない。

俺は逃げたいと思う気持ちは変わらない。ただ....レイヴァンのそれが俺には眩しく、そして少し羨ましく感じた。


________________



ヴァンガルド城の城壁が見えてきた。


ようやく地獄の前線基地から帰ってこられたというわけだ。

あれから約4時間ほどかかったか。

安心したせいか、ようやく身体にも活力が戻ってきた気がする。


城門の警備兵たちもこちらに気づいたらしく、姿勢を正して敬礼しているのが見える。


俺と兄様――レイヴァンは、彼らに軽く頷いて挨拶した後、しばらくしてヴァンガルド城の中へ足を踏み入れた。


中庭に入ると、メイド長や執事長等が出迎えてくれる。

「レイヴァン様、ヴィクター様、お疲れさまでした。奥様がヴィクター様のことを大変ご心配されておられます。お召し物を整えられましたら、お顔をお見せになってあげてください。」


どうやら母エリシアは、俺のことをずっと心配していたらしい。

考えてみれば、母は俺たちが訓練している最中など、あまり顔を出さない。


まぁ息子が血まみれになる

あんな光景を見たいと思う方がどうかしてると思うが



母はもともと、ヴァンガルド家から見て北東側にある「アクアルーメン伯爵家」の令嬢だ。

闘いとは縁が無かったのだろう。

ヴァンガルド流の過酷な訓練についてはあまり快く思っていないふしがある。


それでも母は一度も口出しはしないし、訓練後には決まって心配そうな顔で治癒魔法をかけてくれる。


終わったあとは騎士団の治癒師に一通りケアされてるんだけど、それでも母は必ず“重ねがけ”してくれる。


それが母なりの優しさなのだろう。


とりあえず服装も整えなきゃいけないので、汗や汚れを落として身をきれいにする。

そして、母の部屋へ向かった。



「母様、ヴィクターです。」

 


ノックして声をかけると、部屋の中から「入って」と柔らかい声が返ってきた。


扉を開けると、母専任のメイドのシャルウィがちょうどポットに紅茶を注いでいるところだった。


俺の来る時間を予測しての行動だろうか。


さすがだシャルウィ

仕事が完璧すぎる。 

どっかで見てただろ。



「ただいま母様。無事に帰ってきたよ。心配かけてごめんね。」


そんな言葉を口にしながら、部屋の中へと足を踏み入れる。


部屋に足を踏み入れると

母エリシアは椅子に腰掛けたまま、優しい笑みを浮かべて俺をじっと見つめていた。


その傍らでメイドのシャルウィが、絶妙なタイミングで紅茶が入ったカップを渡してくれた。


仄かに立ち昇る香りが、さっきまでの荒涼とした戦場とはまるで別世界みたいだ。


「ヴィクター。あなたがこうして無事に戻ってきてくれて安心したわ。」


母の声はいつもどおり穏やかで....

けれど瞳には微かな不安の色が残っている。


少し気まずくて、俺は手持ち無沙汰に頭を掻いた。

母の前では、何故か内心のいつものおふざけが出来ない。

なんというか物凄く母性を感じるのだ。



「えっと……まぁ自分は大丈夫。

何とかね。うん。ちょっと怖かったぐらいかな。」


すると母は小さく頷いて、ぽんと自分の隣の椅子を叩いた。


「こちらへお座りなさい。紅茶が冷めてしまうわ。」


言われるがまま椅子に腰を下ろすと、シャルウィがそっとカップを俺の前に置いてくれる。

淡い琥珀色の紅茶はやや香ばしく、気持ちを落ち着かせるハーブがブレンドされているみたいだ。



「どう? その紅茶は私の実家アクアルーメン領から届いたハーブを少し混ぜたものなの。少しでも疲れが和らぐといいのだけれど。」


「ありがとう、母様……。

いい香り。なんだか眠気がきそうなくらいリラックスできるよ」


確かになんとなくホッとする。


俺はカップを両手で包むように持ち、軽く一口啜ってから、改めて母を見つめた。


「母様。今日は父様と一緒に前線基地のフロントライン砦に行って……その、エクリプスを見てきた。

あれは普通の魔物とは全然違った。なんというか根源的な恐怖を感じ.....た.....んだ」



自分でこの話題を振っておきながら。あの戦場の光景でみたエクリプスが頭をよぎり恐怖感が蘇った。

そのせいで思わず言葉が途切れてしまった。


母にこんな殺伐とした話を振ってどうする。俺はコミュ障か!

バカが。



母様はそんな俺の様子を感じ取ったのか、ふわりと手を伸ばして俺の肩に触れた。


「大丈夫よ、ヴィー。

ダリウスもレイもしっかりあなたを守ってくれたでしょう? あなたが無事に戻ってきて、私はそれだけで十分よ。」


母はそう言いながら、優しい治癒の力をさらりと流し込んでくる。


何度も治癒師にはこれまで治癒魔法をかけてもらっているというのに


母様の魔法はまるで温もりというか、“安心感”が違う。


アクアルーメン領の出身だからか

水や癒しの魔力に長けていると聞く。


……美人だしな。

母の愛は強いと言う事で良い。



「……ありがとう母様。この魔法はすごいよね。なんだろう。

心まで癒されて軽くなる感じがする」


俺がぽつりと呟くと、母の瞳から一筋の不安が消えていくような気がした。


シャルウィがその様子を微笑ましそうに見つめながら、テーブルに菓子皿をそっと添える。


「ヴィクター様、甘いものを召し上がるとさらにお疲れが癒えますよ。こちらはアクアルーメン伯爵家秘伝のハーブを混ぜ込んだクッキーだそうです。」


「へえ……母様の実家って、そんなに色んなハーブがあるの?」


興味半分でクッキーを手に取り口にしてみる。

ほろほろと崩れる食感と、仄かな薬草の香りが混ざって、これがまた紅茶によく合う。


エクリプスの禍々しい残像も

柔らかな甘味の前に薄れていく気がした。


「アクアルーメンはね、水が豊富でとても美しい場所なの。泉や湖が点在していて、そこで育つハーブはどれも癒やしの効果が高いのよ。

争いも全然ないし魔物すら癒しの力で遠ざかっていくの。

.....いつか私達家族みんなで行けるといいわね」



地獄のような戦いが続くヴァンガルド領とは真逆の場所って事か。


もしそんなところで暮らせたら

どれだけ幸せだっただろうか。

なんて事を考えてしまう。

ある種、思い描いたファンタジーな世界要素はそちらにあったか........

紙一重だったな。



でも、母はヴァンガルド家に嫁いできて、アクアルーメンとは真逆に近い現実を含めて受け入れている。

純粋にすごいと思った。


アクアルーメンの事を話す際には

なぜか悲壮感と切なげな笑みを浮かべる母。

なにか複雑な事情があるのだろうと察する。


「ねえ、母様。

俺……もっと強くなってあの戦いを

終わらせるよ。そして、ひと段落着いたら絶対に行こうね」


....逃げたい気持ちはあるくせに、母の前だと強がってしまう。

声がかすかに震えたが、バレてないだろうか。


母は少し驚いたように目を丸くするが、すぐに穏やかな笑みに戻る。


「ありがとう。ヴィー。でも、貴方はまだ8歳よ。どうか無理はしないで。あなたが頑張りすぎると、私の心配が増えるばかりなんだから。」


「……うん、まぁそうだよね。

わかった。」


久々にその普通の感性に触れて心が痛くなった。

そうなんよ。

そうなるはずなんよ。

八歳頑張りすぎたら心配なるわな

普通はね!!!!



母様の手が、そっと俺の頭を撫でる。

柔らかい感触とハーブの香りが染み込んで、俺の全身の力がほんの少し抜けていくのを感じた。


エクリプスの脅威はまだ頭の片隅で渦巻いているけれど、こうして家族の優しさを感じられる瞬間があるだけで、少しは救われる気がしたんだ。

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