第55話 漆黒の疾風、絶望の中に英雄は……



ヴィクターの、黄金の雷光を纏った姿が、ゴアウォーカーの肉壁に穿うがたれた風穴の奥へと消えていく。その最後の輝きを見届けたレイヴァンは、静かに振り返り、眼前に広がる、おぞましい現実と対峙した。


レイヴァンの一撃によってこじ開けられたはずの活路は、既に周囲の肉塊を取り込み、グチュグチュとおぞましい音を立てながら再生を始めている。


「……行かせはしないよ。ここから先へは、一匹たりとも」


低く、確かな声でレイヴァンは呟く。



そう、レイヴァンは理解している。

ここで退けば、すべてが終わる。自分がこの場を離れた瞬間、三万のゴアウォーカーと、そこから生まれ続ける無尽のクリムゾンアイが、その敵意と殺意をただ一人、先行したヴィクターへと向けるだろう。


いくら殲滅戦が得意なヴィクターといえども、フロントライン砦で待ち受けるであろう指揮個体ブレインと、この圧倒的な数の暴力に挟み撃ちにされては、ほぼ確実にすり潰されるであろう。


兄として。ヴァンガルドの騎士として。

なにより、弟を誇りに思う者として——それだけは、絶対に、させない。


レイヴァンは、ただ一人、絶望の軍勢の前に立ちはだかる。


視界いっぱいに広がるのは、地平線の彼方まで続く、黒くうごめく絶望の海。およそ三万のゴアウォーカ―。

その巨体は、まるで大地の癌細胞のように脈打ち、周囲に濃密な腐臭と、吸い込むだけで肺が焼けただれそうな瘴気しょうきを撒き散らしている。


だが、それだけでは終わらない。

その肉壁の至る所から、何かが孵化している。ブチブチと肉が裂け、胎動するように生まれるのは、異様な瞳を持ったクリムゾンアイ——


ぬらぬらとした体液にまみれた異形たちが、次々と地面に這い出てくる。その数、もはや不明。正確に数えることすら意味を失う、終わりのない絶望の誕生。


一体一体が、幾人ものヴァンガルドの騎士を屠ることができる脅威だ。

それが、今、数百という単位で、ただ一人の男にその殺意を向けている。


普通の人間であれば、この光景を目の当たりにしただけで、心が折れる。

発狂して地面に崩れ落ちるだろう。戦うという意思すら、削ぎ落とされる。


これが、“数”の暴力だ。


「三万体、か……。嫌になるね……普通に考えれば、絶望的な戦いだ……」


レイヴァンは、押し寄せるクリムゾンアイの第一波を、大剣の一薙ぎで吹き飛ばしながら、乾いた笑みを浮かべた。


「でも、ヴィーは……あいつは、何日も、何週間も……そんな絶望の中で、たった一人で戦い抜いたんだ」


その声には、悔恨が滲んでいた。


彼の脳裏に蘇るのは、あの日。フロントライン砦から生還したヴィクターの姿だ。血に塗れ、声も出せぬほどに消耗し、子供とは思えない冷たさを湛えた弟。その姿を見てなお、自分は……何もできなかった。


ただ、無力に倒れ伏していた。

弟の戦いに、何一つ応えられず。


あの時、僕がもっと強ければ――

背中を預けられる兄であれば――

肩を並べて戦えていたなら――

ヴィクターの寿命は、彼の魂は、もっと長く、そして穏やかに輝けていたのかもしれなかったのに――。



「僕は情けないけど……それでもヴィクターの兄だ。だから……こんなところで弟に負けてられない、いい加減かっこいところもみせないとね」


その言葉は、鼓動を震わせる呪いのようであり、誓いそのもので。


「ヴィーは、絶対に勝つ。指揮個体を倒し、アルフォンスを助け出す。だったら——僕は——」


レイヴァンは、剣を構え直す。


「その未来を邪魔するものは邪魔なんだ……全部、全部、この場で片付ける。

それが……兄である僕の役目だ。だからさ……ここで引けないよね、ミレイナ……!!」


静かに、深く、かつて愛した者の名を呼ぶ。

心の奥底で、固いかさぶたとなって眠っていたはずの痛みが、そっと目を覚ます。だが、その痛みさえも、今の彼には力になる。共に戦い抜き、そして守れなかった、かけがえのない存在の喪失。その記憶は、確かに彼の背を押していた。


ミレイナの最期を、目の前で迎えたあの日。何もできなかった。何も守れなかった。その無力感を、絶望を、二度と繰り返してはならない。だから、今度こそ、自分の全てを懸けて立ち向かう。


絶望の奔流の前に、一人でも抗い、足止めし、弟が切り開く未来への道を繋ぎ止める。


それこそが、彼の“贖罪”であり、“誇り”で――

“僕が生きる意味”なんだ



——レイヴァンは逃げない。

その瞳には、燃えるような闘志が宿っていた。地獄の炎すら焼き尽くさんとするほどの、純粋な意志の炎が。


足元を軋ませる肉の波が、じわじわと、しかし確実に距離を詰めてくる。

クリムゾンアイが吠え、爪を研ぎ、無数の赤い眼がレイヴァンというたった一つの獲物に、その全ての殺意を注ぐ。


だが、彼は微動だにしない。

むしろ、重心を落とし、ゆっくりと、しかし深く息を吐きながら、その場に深く腰を落とし、そして、まるで目の前の絶望全てを睥睨へいげいするかのように、高らかに名乗りを上げた。



「——僕の名は、レイヴァン・フォン・ヴァンガルド」


「この命に代えても、弟の未来を通す——それが、僕の覚悟だ!」



次の瞬間、大地が爆ぜた。

漆黒の疾風が吹き荒れる。

ただ一人、暴風のように駆けるその姿は、戦場を切り裂く“英雄”そのもので。



――この絶望の戦線を、その身一つで背負う《英雄》。


未来を、ただ一人繋ぎ止める、漆黒の騎士が今ここに立つ。


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