第34話 静寂の底、厄災の産声
ヴィクターが意識を取り戻してから、既に20日が経過していた。
フロントラインでの死闘で負った傷は、エリアスを中心とした第五部隊の治療と、ヴィクター自身の驚異的な回復力によって、もはや日常的な動作に支障がないほどに癒えていた。
もっとも、
それでも、ヴィクターはただベッドの上で安静にしていることを早々に放棄し、こそこそ黙って
特に、ヴィルヘルムなんかは強烈で
ヴィクターを主家の子供扱いなどせず扱ってくるため『またいやがるのか!!休んどけ!!クソガキ』と思っ切り頭を叩いてくる。
それを見て第三部隊副隊長のオスカー何かはクソ笑ってるが。
第三部隊はイカれてるわ。
あれはガーランドの系譜だしな。
主家の子の頭を叩くな!!
くそアホめ!!
そんな事が頻発したものだから
流石にエリアスもある程度の許可を出し、身体機能の回復を目的とした軽い運動――歩行訓練や、身体強化を使用しない縛りで剣の素振りなどを始めていた。
しかしながら落ち着かない。
『……いい加減、魔法使って動いてええやろ……少しぐらいええか』
っと油断するとだいたい見張ってる騎士達の奴らにバレて怒られる。
絶対に聞き分けのない子供と思われとるわ。
窓の外からは、ミドルライン砦の活気が伝わってくる。新兵たちの訓練の声、城壁をさらに厚くする為の改修する槌音、そして時折響く騎士たちの力強い掛け声。フロントラインでの絶望的な状況を思えば、嘘のような光景だった。
「もうヴィクター!!無理は禁物だってば!!顔色は戻ってるけど、まだ、
軽すぎるリハビリを行うヴィクターの元にクラリッサが訪れた。
少し心配そうな顔で声をかける。
彼女の隣には、さらに逞しさを増したアルフォンスも立っている。
「はぁ………分かってるよ……
でも、もういいだろうに。
どんだけ過保護なんだよ、長すぎるって……」
ヴィクターはもう勘弁してくれと言わんばかりの態度で不満を漏らした。
「って、それより、アル。エクリプスの動きは?父様や兄様がまだ、気を揉んでほしくないとかいって会議に参加させてくれなくて、情報が全然ないんだけど」
その問いに、アルフォンスが眉をひそめた。
「それが……依然として全く動きがない。斥候を何度出しても、影すら確認できないそうだ。まるで、一匹残らず消え失せたみたいに」
「正直、不気味よね。このまま何もしないなんて考えられないもの」
クラリッサも同調する。彼女の言葉には、拭いきれない不安が滲んでいた。
ヴィクターも同じ思いだった。
あの
そして、父ダリウスと兄レイヴァンに力の代償と余命を告げた際、前世の記憶に触れようとして言葉を封じられた、あの不可解な感覚。
あれは一体何だったのか。ヴィクターの心には、得体の知れない「何か」の存在が、重くのしかかっていた。
……ほんとわからん事ばかり。
いい加減にしてくれ……神エリシュオンも寝とんのか?
その辺がわかる様にする仕様の祝福にしてくれ。
はよ答案用紙紙よこせや。
「父様やロイズたちは、この状況をどう見ているんだ?」
「ダリウス様もレイヴァン様も、連日会議を重ねて状況を検討してるよ。エクリプスが再度侵攻してきた場合に備えて、砦の防衛体制の最終確認と、新兵を含めた全部隊の連携訓練を強化を優先してる。王都からの支援物資も続々と到着し、
アルフォンスが答える。その口調からは、ミドルライン砦が着実に戦力を増していことが伺えた。
マンパワー万歳。
ってかフロントラインの時から
こうしといたらよかったんや。
これまでは、他国がこの隙をついてくる懸念も有って、大々的にヴァンガルド支援を行う事が難しかったらしいが。今回の件を上手く使って、民衆の思考を誘導し、王家への支持は貴族達含めて過去最高らしい。
これによって、他国の諜報が民衆を唆し王国内部で分断工作を行う事への懸念もよっぽど少なく、他国との物資の取引を大量に進める形をとったとか。
前から思うが、歴史を辿ってもアドリアナ王家クソ優秀なんだよな。
過去に読んだ建国神話でも運命神アリアドネーが見初めた一族とか書いてて眉唾かと思ったもんだが、この
間違いなく事実だろう。
昔は神同士がじゃれあいで喧嘩してその結果、人類滅ぶところまで行ったらしいけど、神アリアドネーが初代王に神託を行い、滅びの運命を掻い潜るかの様に導いたってなってたが……
ええ話やん?
いや……それなら天界に引き篭もるのやめて、ヴァンガルドもなんとかしてほしい。
……ただ、どの神も割と人目線ではクソばかりだから全く信用ならんが。
「……なら、俺も早く本格的な鍛錬に復帰したいところなんだけど」
ヴィクターが呟くと、クラリッサがやんわりと釘を刺す。
「エリアス様からの許可が出るまでは、大人しくしていてくださーい!今のヴィクターが無理をすれば、本当に取り返しのつかないことになるかもしれませんから!!」
その真摯な眼差しに、ヴィクターは
言い訳の言葉を探しつつも、見つからず嫌々ながらも小さく頷くしかなくて——
◆
父ダリウスと兄レイヴァンも、その日の会議を終えてヴィクターの部屋を訪れた。
彼らの表情にも、依然としてエクリプスが沈黙を守っていることへの警戒心が見て取れた。
「……ヴィクター、身体の調子はどうだ。エリアスからは、順調に回復していると聞いているが」
ダリウスが尋ねる。その声には、以前のような張り詰めたものはなく、息子を気遣う父親の温かさがあった。
「はい。もう痛みはほとんどありません。ただ、まだ
「焦ることはないよ。今は身体を元に戻すことだけを考えてね。休める時に休まないと、過去の僕の様になる。僕達も、そして王都も、ヴィーが稼いでくれた時間を無駄にはしないさ」
レイヴァンが笑いながらも力強くヴィクターに伝えた。
家族や仲間たちの言葉に、ヴィクターは胸の奥が温かくなるのを感じる。
しかし、同時に、語ることのできなかった秘密と、見えざる存在からの干渉、そしてアビスが潜む深淵の闇が、心の片隅で静かに蠢いているのを感じずにはいられなかったが
いまは、家族と親友と。
母様が此処にいないのが残念だが
このささやかな幸せを感受して——
◆
——遥か世界の底。
光の概念すら存在せず、時間さえも意味をなさぬ絶対零度の深淵――。
そこはアビスの精神そのものが凝縮された領域であり、万物の法則がねじ曲がり、存在と非存在の境界面すら曖昧に揺らぐ、原初の混沌が支配する場所。
底なしの暗黒がどこまでも広がり、そこからは生命の気配はおろか、安らぎという概念すらも完全に排除されていた。
アビスは、ヴィクターの『外界の理』によって多くの眷属を完全な虚無へと還された。
それはアビスにとって、存在の根幹を揺るがす屈辱であり、同時に、ヴィクターという存在への歪みきった執着と、捕食者としての本能をさらに燃え上がらせる
もはや、単にエクリプスを「数」で補うだけでは意味がない。ヴィクターという特異点を打倒し、その稀有な魂を自らの内に取り込むためには、より強大で、より悪意に満ちた、そして何よりもヴィクターを「楽しませる」ための「個」が必要だった。
魂が焼け
——眺めていた。
アビスの意志が、形を持たぬまま深淵の暗黒に響き渡る。それは音ではなく、魂に直接干渉するような、絶対的な命令。
すると、深淵の底に澱んでいた無数の魂魄たちが、まるで悪夢に
かつてエクリプスによって無慈悲に殺され、魂ごとアビスに取り込まれ、無限の苦痛の中でその形すら失いかけていた人間、魔獣、そして名もなき生物たちの魂の残滓。
それらが、アビスの呼び声とも言えぬ歪んだ波動に呼応し、黒々とした魔力の渦の中心へと、数百万のエクリプスと共に引きずられるように集い始めた。
溶けた魂の群れ。殺された者、喰われた者、喰らった者
――その全ての"残骸"が、今、ひとつの悍ましい
だが今回は、従来のように堆積した魂を
アビスの意志により、深淵にうごめく数百万のエクリプスたちが、甲高い悲鳴を上げながら強制的に"素材"として引き裂かれ、その存在ごと溶解していく。
無数の
獣の腕がねじ切れ、虫の眼が無数に潰れ、口腔が歪み、内臓がぶちまけられる……
そのすべてが"個"としての意味を失い、ねばついた漆黒の
一際巨大なベスタゴス型のエクリプスが、断末魔を上げながら喉を食い破られ、その身体から噴き出す名状しがたい“ナニカ”を、別のエクリプスが
——まさに、地獄の"分解工場"と呼ぶにふさわしい光景。
エクリプスたちがエクリプスを喰らい、アビスの
その中には、アビスに囚われた人間や魔獣の魂も無数に混じり合っていた。
兵士、元教国の民、騎士、魔法使い――かつては「意思」を持っていた者たちの霊魂が、未だ断ち切れぬ現世への執着を悲鳴に変えながら、容赦なく闇に引きずり込まれていく。
魂の絶叫が、血の雨のように深淵を染め上げていく。その狂おしい光景を、アビスは頬を微かに赤らめ、恍惚とした表情で見つめていた。
溶け合う魂たちが上げる苦悶の悲鳴は、彼女にとっては何よりも甘美な音楽であり、生命が混沌へと還る様は至高の芸術。
その唇の端が、底なしの愉悦に歪み、うっすらと開かれる。そこから漏れるのは、言葉にならない、しかし明らかに歓喜に打ち震える熱い吐息。
我が愛し子のヴィクターをもてなすための「玩具」が、最高の形で、最もおぞましく仕上がっていく様は、アビスにとってこの上ない悦びだった。
粘つく暗黒の魔力が、それらの魂を強引に練り上げ、一つの強大な意志のもとに統合していく。
やがて、その悍ましい魂の集合体の中から、一際強大な「個」が、おぞましい産声を上げながら姿を現し始めた。
黒曜石を無理やり溶かして塗り固めたような、ぬらりとした質感の外皮。その表面を、赤黒い血管のようなものが蛇の如く這い回り、禍々しい光を明滅させている。
そして、その額の中央には、この世全ての苦痛と憎悪を凝縮したかのような、巨大な深紅の一つ目が爛々と輝いていた。背中からは焼け爛れたドラゴンの翼を思わせる巨大な皮膜が突き出し、身体の節々からは鋭利な骨の突起が拷問具のように突き出ていた。
――やがて
――GkHHiiYgッ…!!!! ギ”ャ”ァ”ァ”ァ”ァ”アッ!!!!!
その狂気の
――紅蓮に輝く“眼”がグルリと廻る。
それは見るためだけのものではない。
ただ"在る"だけで、万象の
世界が拒絶し、あらゆる生命が本能で
その邪眼が、虚無の空を仰ぐ。
翼もなく、足もおぼつかない。
それでも、"それ"は確かに、圧倒的な存在感を放ちながら立っていた。
まるで――
地獄の王が、ついに顕現したかのように。
――アァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
再びの咆哮。深淵に
かつて個であったものは、今や絶対的な群れの本能に屈し、この新たなる"異形"に、恐怖と忠誠を捧げた。
その叫びは、言葉ではない。しかし、確かに告げていた。
――狩りの始まりを。
アビスは
その顔に浮かぶのは、愛しき我が子に贈る、最大にして最悪の贈答品を前にした、母性の狂気に他ならない。
「さあ……存分に
"それ"は喋らない。
言葉など必要としない。それは、ただ咆哮するだけの、純然たる災厄。
世界が生んではならなかった
"ひとつの存在"
——その紅蓮の眼は、遥か彼方
ミドルライン砦の方角をじっと見据えていた。
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