刺青

ちびゴリ

刺青

 パーーッ!


 背後からクラクションの音が響く。我に返った俺は前方に目を向ける。ボーッとしていたのか青信号に変わったことに気付かなかったようだ。舌打ちもしない。悪いのは俺だとアクセルを踏む。


 なんとかなる。楽天的に振舞っているつもりでも数日前のリハの時、監督から怒鳴られた言葉がいまだにどこかに引っ掛かっているのだろう。


―――「演じてるのがわかるようじゃダメだ」


 高校卒業と同時に飛び込んだ素人劇団で二十年。仲間内からは賞賛もされたりもしたが、所詮は素人。やはりプロの世界とは違うと痛感せずにはいられない。それでも天から舞い降りたチャンスだ。ちょい役ながらエンドロールには名前が出る。


 そうだ、あそこに流れるんだ。上手い事いけば転々とした仕事にもピリオドが打てるかもしれない。俺は運転しながら何度も台詞を口にし、らしい表情を作る。


 あと三十分も走れば撮影現場に着くだろう。時計にチラと目を向け再び台詞を口にする。


 設定では都内となってはいるが、撮影現場は地方でサンピン俳優の俺には送迎などというものはなく自分で行かなければならない。仮に途中で事故ったところで代わりなどいくらでもいるということか。


 地方と言っても都会と思わせる賑わいが必要だ。そのため市街地のほぼ中心で撮影が行われるらしい。なるほどと俺はそれらしく連なった建物に眼をやる。


 ナビの音声を頼りに片側二車線の道を流れにのって走っていた時、左の路地から軽バンが勢いよく飛び出して来た。場所からして一時停止の標識があるはずだが、ほとんど無視に近い。左車線を走っていた俺は咄嗟にハンドルを切って避けクラクションを鳴らした。


 こんなところで事故にでもあったらそれこそ洒落にならない。この時ばかりは舌打ちが出た。 


 不意に何かが光ったと思いミラーを覗く、すると先ほどの黒の軽バンが真後ろにピッタリと付き、ジグザグに車体を揺らしながらパッシングしている。


 クラクションに逆切れでもしたか。いずれにしてもこんな輩で時間は消費したくない。右側を並走していた白い車が前方へと遠ざかったのを見計らって、軽バンがすぐさま右車線に滑り込んだ。そして俺の車の横にピタリと着け声を張り上げている。


 意に介さず俺は正面を向いていた。それが癇に障ったのか加速した後で前へと躍り出て急ブレーキを踏む。行動はある程度把握していたため然程慌てることもなく俺も車を止めた。


 勢いよくドアを開けて茶髪の男が降りて来る。年恰好は三十代くらいだろうか。こちらを向いた時点で既に目は三白眼だ。俺の車の窓を乱暴に叩いて大声をあげる。


「舐めてんのかぁ~!」

 微動だにしない俺に男はさらに続ける。

「開けろぉ~、こらぁ~っ!」

 話だけでも聴くかと俺は窓を下ろした。


「てめぇ~っ!ふざけてんじゃねぇ~!おらぁ~ヤクザだぞ」


 そう言って男が俺のシャツを掴んで力を入れた時、濃紺のシャツのボタンがはじけ飛んだ。


 その直後、男の手がスッと離れた。前方を見ていた俺はゆっくりと男の方へと顔を向け呟いた。


「どちらの組でしたかね?」


 男の目は俺の顔と開けたシャツの間を行き来している。そして夢遊病者のように数歩後ずさりし素早く腰を折った。


「すいません!調子こいてましたっ!ヤクザでもなんでもないんですっ!勘弁してくださいっ!」


 宛ら米つきバッタのようだったろうか。俺は行けとばかりに指で指し示す。何度も頭を下げながら男は車に乗り込むとアクセルを踏み込みそのまま赤信号を無視して行った。


 俺はそんな光景を目にした後でシャツの間から覗く刺青に視線を落とす。ペインティングとは言え本物の彫師が時間を掛けたものだ。パッと見なら間違いなく本物に見える。もっとも一度はその道に誘われた俺だ。それなりの迫力もあったのだろう。



―――「どちらの組でしたかね?」


 本番は一発オーケーだった。監督は撮影の後で、「背中がゾクッとしたぞ」と親指を突き上げた。


 あの輩に感謝しなければいけない。


 次のオファーが舞い込んだ時、俺はあの一件を思い浮かべながら口角をあげた。

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刺青 ちびゴリ @tibigori

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