後編
土井利勝の旗本部隊の崩れは、宗矩の秀忠本陣への帰陣と同時に始まった。
その崩れは、秀忠軍全軍に波及し、大混乱に
「た、立花侯、立花侯」
今になって秀忠は、この歴戦のいくさ人を頼ろうとした。
「こうなっては
だから
そこを宗茂はさえぎった。
「これは異な仰せ」
宗茂は大野治房とその軍を見ていた。
じっと見ていた。
その結果、この突撃はすさまじいが、秀忠の本陣には至るまいと思った。
治房とその軍の、疲弊している様子が見て取れたからである。
「……ゆえに、退くに及ばず。むしろ退くと、全軍の士気にかかわり申す」
あたかも、大坂方が豊臣秀頼の出陣を待ち望み、それをもって士気を上げようとしていたように。
ここで徳川秀忠が退陣したら、士気は下がってしまうだろう。
「こればかりは、致し方ありませぬぞ」
宗茂は刀を抜いた。
宗矩も抜いた。
*
秀忠も
「いくさは、全体で観ればわが方が勝っております。さようなことを御大将みずからがなさる必要はありません」
この時、秀忠を囲むように、宗矩は前面に、宗茂は背面に位置していた。
宗矩、宗茂ともに打ち合わせしたわけではなく、ごく自然に動いた。
あとで宗矩は沢庵に語った――「何となく、宗茂どのに合わせていたら、そうなった」と。
沢庵は答えた――「それが、いくさ人というものだろう」と。
とにかく、場は大混戦である。
宗茂の言うとおり、大野治房の軍勢は、疲弊しており、組織だった攻撃はしてこないが、それでもぽつぽつと何人かがかたまりになって、攻めかかって来ていた。
「徳川だ!」
「家康か、家康か」
「いや、家康じゃない方だ」
酷い言われようであるが、多少なりとも気が
「射よ」
宗矩は麾下の兵に命じた。
背後の宗茂をうかがうと、何も言わない。
自然にそう伝わって来た。
大野治房の兵は、宗矩が命じた弓箭により、ばたばたと倒れた。
第一波はこれでしのいだ。
あとは、これを繰り返せば。
そうまで思った時だった。
「…………」
岡山口、奈良街道に吹く風が変わった。
今は五月、初夏。
青々とした木々が、その葉をさらさらと揺らす。音をなす。
その音に、羽音が混じって。
「……羽」
何かの鳥の羽が、宙を、ふわり、ふわりと。
舞い下りて来た。
もしかして――
「柳生どの」
「立花候」
「羽を斬れるか」
何を言っているのだろう。
徳川秀忠などは、露骨に不審げな表情をした。
だが宗矩は考えた。
一瞬で。
そして感じた。
木々の隙間から、何者かが、いや何者ではない、何人かが走ってきている。
その無音の疾走が。
跳躍が。
木の上の巣の鳥を、飛ばした。
「来る」
「何人だ」
その立花宗茂の問いは、
「七人」
「
宗茂の声を背に、宗矩は走った。
木々の間から迫る、刺客に向かって。
鎧の草摺りの音がする。
だが気にしない。
気にならない。
そんな
「……シッ」
ひとり、斬った。
羽を斬るように。
木の上から、まるで
空中の
「……ッ」
討たれる時にも声を洩らさず。
右から忍び寄る敵をいなしながら、左から駆け抜けようとする敵の背中を斬った。
右の敵の敵意が膨らむ。
かまわずその隙を刺突。
討った。
「やはり上様狙いか」
敢えて口に出す。
動揺を誘う。
「そのような企ては、この柳生宗矩が許さん!」
敵意を集中させる。
元より、陽動が狙いなのだろう。
前の方の木々の間から攻めかかり。
真の狙いは、秀忠のうしろに回った三人。
だが。
「……
そこには九州の
宗茂は血刀を振り、迫り来る三人相手に、死闘を演じていた。
「七と三。足して十。つまり、貴様らは……」
言わせんとばかりに、宗矩に攻撃が集中。
手裏剣を
次の瞬間には、小刀の持ち主を斬った。
伸びきった鎖分銅を引っ張って、もんどりうった
そして最後に。
「逃げてもかまわんぞ」
言葉を飛ばして、止めた隙を狙った。
逃げるにせよ怒るにせよ、そのひと呼吸が、宗矩の間合いである。
*
「終わったか」
「終わりました」
立花宗茂は宗矩と同時に戦闘を終えた。
宗矩の方の
「……そうまで器用ではない」
宗茂は笑って否定した。
愛刀の刃の欠けたところを見せ、実に強かったと言った。
そういうことにしてくれているとしても、ここは厚意を受け取るべきだろうと、宗矩は頭を下げた。
まわりをうかがうと、さすがに数の多い秀忠軍が盛り返し、大野治房は負けを悟って、さっさと兵をまとめて撤退していった。
「……
宗茂はそう言って感心した。
この人はこういう時、そう言うのだな、と宗矩は思った。
秀忠は先ほどからずっと硬直していたが、その醜態を誤魔化すかのように、今度こそ攻めるぞと馬を進めた。
風が吹いていた。
今度は、何も感じない。
羽も、飛んでこない。
そういえば、さっきの十人の刺客、いつの間にか死体が消えていた。
つまりは、誰かが命令して、隠したのだろう。
霧のように。
そして、その誰かとは。
「かの者の兄君は、上田にて病を癒していると聞く。それを気にしたのだ」
宗茂は、聞いてもいないことを答えた。
先ほどより、語りが増えているが、おそらく、宗矩は、そう語っていい相手と認識してくれたのではないか。
「行くか」
「はい」
立花宗茂と柳生宗矩。
二人の友誼は、ここより始まる。
【了】
鶚鷹(みさご)飛ぶ時 ~大坂夏の陣、岡山口の戦い~ 四谷軒 @gyro
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