後編

 土井利勝の旗本部隊のは、宗矩の秀忠本陣への帰陣と同時に始まった。

 そのは、秀忠軍全軍に波及し、大混乱におちいった。


「た、立花侯、立花侯」


 今になって秀忠は、この歴戦のいくさ人を頼ろうとした。


「こうなっては退き陣しかないと思う……」


 だから殿しんがりをやってくれ、と言いたかったのかもしれない。

 そこを宗茂はさえぎった。


「これは異な仰せ」


 宗茂は大野治房とその軍を見ていた。

 じっと見ていた。

 その結果、この突撃はすさまじいが、秀忠の本陣には至るまいと思った。

 治房とその軍の、疲弊している様子が見て取れたからである。


「……ゆえに、退くに及ばず。むしろ退くと、全軍の士気にかかわり申す」


 あたかも、大坂方が豊臣秀頼の出陣を待ち望み、それをもって士気を上げようとしていたように。

 ここで徳川秀忠が退陣したら、士気は下がってしまうだろう。


「こればかりは、致し方ありませぬぞ」


 宗茂は刀を抜いた。

 宗矩も抜いた。



 秀忠もやりを取って戦おうとしたが、本多正信に止められた。


「いくさは、全体で観ればわが方が勝っております。さようなことを御大将みずからがなさる必要はありません」


 この時、秀忠を囲むように、宗矩は前面に、宗茂は背面に位置していた。

 宗矩、宗茂ともに打ち合わせしたわけではなく、ごく自然に動いた。

 あとで宗矩は沢庵に語った――「何となく、宗茂どのにいたら、そうなった」と。

 沢庵は答えた――「それが、いくさ人というものだろう」と。

 とにかく、場は大混戦である。

 宗茂の言うとおり、大野治房の軍勢は、疲弊しており、組織だった攻撃はしてこないが、それでもぽつぽつと何人かがかたまりになって、攻めかかって来ていた。


「徳川だ!」


「家康か、家康か」


「いや、家康じゃない方だ」


 酷い言われようであるが、多少なりとも気ががれればおんの字である。


「射よ」


 宗矩は麾下の兵に命じた。

 背後の宗茂をうかがうと、何も言わない。

 い、ということなのだろう。

 自然にそう伝わって来た。

 大野治房の兵は、宗矩が命じた弓箭により、ばたばたと倒れた。

 第一波はこれでしのいだ。

 あとは、これを繰り返せば。

 そうまで思った時だった。


「…………」


 岡山口、奈良街道に吹く風が変わった。

 今は五月、初夏。

 青々とした木々が、その葉をさらさらと揺らす。音をなす。

 その音に、羽音が混じって。


「……羽」


 何かの鳥の羽が、宙を、ふわり、ふわりと。

 舞い下りて来た。

 もしかして――鶚鷹みさごか。


「柳生どの」


「立花候」


「羽を斬れるか」


 何を言っているのだろう。

 徳川秀忠などは、露骨に不審げな表情をした。

 だが宗矩は考えた。

 一瞬で。

 そして感じた。

 木々の隙間から、何者かが、いや何者ではない、何人かが走ってきている。

 その無音の疾走が。

 跳躍が。

 木の上の巣の鳥を、飛ばした。 


「来る」


「何人だ」


 その立花宗茂の問いは、対手あいての人数ではない。


「七人」


か」


 宗茂の声を背に、宗矩は走った。

 木々の間から迫る、刺客に向かって。

 対手あいての総数は十。

 鎧の草摺りの音がする。

 だが気にしない。

 気にならない。

 そんないとまがないくらい。

 はやく。


「……シッ」


 ひとり、斬った。

 羽を斬るように。

 木の上から、まるでましらのように飛んでくる対手あいてだった。

 空中の対手あいてを斬りながら、そのまま屈んで、真正面から来る相手を。


「……ッ」


 討たれる時にも声を洩らさず。

 対手あいては、忍びたちか。

 右から忍び寄る敵をいなしながら、左から駆け抜けようとする敵の背中を斬った。

 右の敵の敵意が膨らむ。

 かまわずその隙を刺突。

 討った。


「やはり上様狙いか」


 敢えて口に出す。

 動揺を誘う。


「そのような企ては、この柳生宗矩が許さん!」


 敵意を集中させる。

 元より、陽動が狙いなのだろう。

 前の方の木々の間から攻めかかり。

 真の狙いは、秀忠のうしろに回った三人。

 だが。


「……か」


 そこには九州の鶚鷹みさご、立花宗茂がいた。

 宗茂は血刀を振り、迫り来る三人相手に、死闘を演じていた。


「七と三。足して十。つまり、貴様らは……」


 言わせんとばかりに、宗矩に攻撃が集中。

 手裏剣をはじき、鎖分銅をけ、最後の小刀は蹴り飛ばした。

 次の瞬間には、小刀の持ち主を斬った。

 伸びきった鎖分銅を引っ張って、もんどりうった対手あいてを突いた。

 そして最後に。


「逃げてもかまわんぞ」


 言葉を飛ばして、止めた隙を狙った。

 逃げるにせよ怒るにせよ、そのひと呼吸が、宗矩の間合いである。



「終わったか」


「終わりました」


 立花宗茂は宗矩と同時に戦闘を終えた。

 宗矩の方の対手あいての意識をぐためかもしれない。


「……そうまで器用ではない」


 宗茂は笑って否定した。

 愛刀の刃の欠けたところを見せ、実に強かったと言った。

 そういうことにしてくれているとしても、ここは厚意を受け取るべきだろうと、宗矩は頭を下げた。

 まわりをうかがうと、さすがに数の多い秀忠軍が盛り返し、大野治房は負けを悟って、さっさと兵をまとめて撤退していった。


「……か」


 宗茂はそう言って感心した。

 この人はこういう時、そう言うのだな、と宗矩は思った。

 秀忠は先ほどからずっと硬直していたが、その醜態を誤魔化すかのように、今度こそ攻めるぞと馬を進めた。

 風が吹いていた。

 今度は、何も感じない。

 羽も、飛んでこない。

 そういえば、さっきの十人の刺客、いつの間にか死体が消えていた。

 つまりは、誰かが命令して、隠したのだろう。

 霧のように。

 そして、その誰かとは。


「かの者の兄君は、上田にて病を癒していると聞く。それを気にしたのだ」


 宗茂は、聞いてもいないことを答えた。

 先ほどより、語りが増えているが、おそらく、宗矩は、そう語っていい相手と認識してくれたのではないか。


「行くか」


「はい」


 立花宗茂と柳生宗矩。

 二人の友誼は、ここより始まる。


【了】

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鶚鷹(みさご)飛ぶ時 ~大坂夏の陣、岡山口の戦い~ 四谷軒 @gyro

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