静かな夜だった。
祝言を控えた完子のために、城の奥で催されたささやかな宴。
茶々、千姫、秀頼、そして乳母。
たったそれだけの、はずだった。
けれどその晩、ひとつの命が密かに消えた。
誰も語らず、誰も問わず、誰も裁かないままに。
残されたのは、猫だけ。
鈴を鳴らしながら、冷たい手をなめていた。
それから十年。
猫は老い、そして死んだ。
そしてそれが、すべてを呼び覚ます。
完子の夫・九条忠栄は、ただの記憶と思われていた出来事に、
ぞっとするほど冷たい真実を見出していく。
城の中で交わされた言葉。
言わなかった者のまなざし。
そして、ひと振りの刀が引き裂いていく。
血の継承。名の偽装。
歴史が語らなかったもう一つの豊臣が、
崩れゆく城の内側から、音もなく崩壊していく。
これは、剣でも鐘でもなく、
沈黙がすべてを壊した物語。
「汝(われ)には子種がないのだ」
信長はあごをあげ、おかしそうに笑った。この不格好な猿めに子種があってたまるか、という、そんな哄笑であった。
――司馬遼太郎『新史 太閤記』より
豊臣家の滅亡。そこに至る経緯――方広寺の鐘銘事件に端を発し、徳川家からの大坂城退去要請の拒否、そして自滅的な大坂の陣――を時代小説で読むと、どうにも豊臣方の打つ手の拙さに歯がゆい思いがします。徳川方(というより家康とその謀臣たち)は確かに悪辣ですが、豊臣方の対応如何によっては、公家になるとか数万石の小大名として生きる道もあったのではないかと、後知恵ながら思ってしまいます。
本作は、そんな豊臣家の滅亡について描いた短編(ただし元は長編で、本作はその短縮版)ですが、ミステリ的な謎解き要素と、これまでにない秀頼像が光る逸品です。
中心人物は秀頼。しかし彼だけではなく、彼の前に秀吉の後継者と目されていた秀次、秀吉の愛人である茶々(淀君)、そして秀吉自身と、あらゆる「豊臣家の人々」が豊臣家滅亡に至る原因として描かれています。
徳川家という大勢力が天下の覇権を握るのは歴史の必然だったかもしれません。しかし、豊臣家が自滅的とも言える経緯で滅亡したことは、果たして必然だったのでしょうか? 例えばそこには、後世の我々では想像もし得ない深く暗い理由があるのではないか? 本作で示されたような――。
戦国時代に終わりを告げた豊臣家の滅亡。歴史好きなら、是非本作を読んで、滅びの理由について思いを馳せてみてください。