異聞ノ参 命令

 今となっては、遠い昔のことである。


 唐国からくにより渡り来た道登法師どうとうほうしと云う賢人がいた。


 法師を名乗るが、既によわい千年を迎えようという不老不死の仙人だ。仏法に道術、陰陽に閨房けいぼうとあらゆる術を身に宿し、常しえに変らぬ二十七ほどの風貌は、行き交う女が尽く腰を崩すというほどの美男である。


 道登には弟子がいた。名を制多せいたと云う。


 当代並ぶ者なしの武人であり、類い稀なる仙骨を持つ男である。七歳の頃より道登に連れそうこと二十年。修行の甲斐あり、すでに不老長命に域にあった。飄然ひょうぜんとした佇まいの青年は、見かけは二十歳ほどの偉丈夫だ。道登とは違った魅力を持つ美男なのだが――制多の目にあるのは唯一人の女、美夜みやの姿のみ。


 その制多の傍らに、常に寄り添う天女の如き美婦こそが、美夜である。


 齢十八、九とも見えるなまめかしき女の正体は、変じれば真黒き大鳥の姑獲鳥こかくちょう、人の姿は産女うぶめという妖魔であった。縁あって制多一生の友となり、今では道登二人目の弟子として妖仙への道を歩んでいる。とりわけ、煉丹術に天分を示す才媛であった。


 そんな三人の姿は今、奥州平泉衣川館ころもがわのたての一画に在る。


 持仏堂の一室、法師と二人の弟子に対するは、平家追討の英雄――源義経みなもとのよしつね。傍らに侍る武人は、武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいただ一人。そして、肩を寄せ合う義経よしつねの妻子、郷御前さとごぜんと四歳になる童女の姿のみである。


 源氏の棟梁である異母兄、源頼朝みなもとのよりともに疎んじられ、命を狙われ続けて追い込まれた末路の地がここであった。


 しかし軍神の申し子の如き異母弟の義経は、猫のひたいほどとなった陣地にあってさえ、その覇気にいささかの陰りも見せはしない。


「久しいじゃねえか制多、壇ノ浦だんのうら以来か。おい、なにしにきやがった?」


 射かけるような視線を、制多は柔らに受け流す。


「おまえの首をろうてんじゃあないよ、九郎。詳しい話は、御師さんがすっから」


 弟子に促されて、道登は涼やかに用件を語る。


泰衡やすひら殿に、頼まれてきたのです」


 道登の一言で、薄暗い持仏堂の堂内が、暴風の如き殺気で満たされた。床板を足の裏で叩きつけて義経は立ち上がり、道登を見据える。


「んだとっ! ならっ……いや、あんたならヤろうと思えばもうとっくに、か」


 瞬時に熱くなるのだが、冷えるのも早い男だ。殺気を鎮めて腰を下ろすと、居住まいを正した。


「分かっていただけたなら、話が早い」


 対する道登は、飄々ひょうひょうとしたまま毛筋一つも乱さない。


「それで、頼まれたとは?」


 横から、弁慶べんけいの重い声が割り入った。


「命を、お救いしてくれ……と」


 この期に及んで――と、義経一行は思ったことだろう。


 再三の頼朝よりともの命に屈した藤原泰衡ふじわらのやすひらは、かつて奥州藤原家にて庇護した義経を攻めるに至るも、心の底にはまだ、どうにか生き延びてほしいという一心を残していた。


 そこで泰衡は、藤原清衡ふじわらのきよひら以来一族と旧知の縁ある道登に、法師の未知なる道術の力にすがった――というのが、今この場であるのだ。


「どうやって? いくさで生き延びても、兄者の手先は地の果てまでも追ってくるぜ」


 訝しむ義経の目はしかし、この上もなく面白そうにしている。


「死んでいただきます」


 涼風に舞うように、道登はさらりと言いのける。目くらましですがね――と、笑んで付け加えるのも忘れない。


「とにかく、少々刻がいります。というわけで弁慶殿、髭を借りますよ」


 言うと同時に、道登の手の中にはもっさりとした弁慶の髭が蓄えられていた。つるりとした弁慶の顔を見た義経が、からからと笑う。


 手の内にある髭を、道登は握りつぶす。再び開いた手のひらには、真っ黒な玉がひとつ転がっていた。ぽかんと口を開けたままの弁慶に向けて、道登は髭の玉を指先ではじく。まっすぐ口腔に吸い込まれ、武蔵坊は丸薬を丸呑みにしてしまった。


 奇怪な出来事に一同の視線が集まる中、弁慶は嘔吐えずき、喉を押さえて身を折った。


「んぐっ!? おぇっ、おおぅ……」


 巨躯が震え、ごぼりと口から、肉の塊を吐き出したのである。肉塊は見る間に膨らみ人型を成し、弁慶そっくりの裸の男ができあがった。


「まあ……なんと、むさくるしい」


 思わず単衣ひとえの袖で顔を覆ったのは、美夜である。


「着物は私が着せましょう」


 道登が印を結んでさっと手を振る。偽弁慶は煤けた法師の衣をまとった。


「それと」と言って道登は、自らの髪を数本抜いて床に散らす。するとごろりと、床の上に血にまみれた美男の生首が転がった。ご丁寧に、なにやら恨みがましい顔まで作ってある。


「私の首を手土産に、傀儡くぐつに芝居をさせましょう」


 笑みながら道登が顎をしゃくると、偽弁慶は偽道登の生首を拾い上げた。最後に薙刀を持たせれば、〝傀儡・武蔵坊弁慶〟の仕上がりだ。


「――で、我らが武蔵坊殿に一戦交えて頂く間、俺たちはなにをされるんだ?」


 ますます面白いことになってきたと興味津々、義経が身を乗り出して訊いた。


「先ほど申しました通り、御曹司とお連れの方々には死んでいただきますので――」


 言いながら道登は、懐から白紙で作った三つの人型を取り出し、義経、郷御前と娘の前に差し出した。


「こちらに血を一滴、人型の胸のあたりに含ませてください」


 義経は潔く手のひらを刃で裂くと、人型が真っ赤に染まるほどの血を与えた。


 郷御前と娘は、眉根を寄せて痛みを堪えながら、小刀でほんのわずかな切り傷を指先に作り、それぞれの人型に血を吸わせる。


 三つの血濡れた人型を受け取ると、道登は傀儡弁慶の肩をぽんと叩いた。


「では、働いてもらいましょうか弁慶殿」と声をかけるや、偽弁慶はのしのしと歩き出し、持仏堂の外へと出て行くのだった。



   §


 弧を描いて、法師の生首が衣川ころもがわの空を飛ぶ。


 前列に立つ敵兵の足元に落ちた道登の首が、恨めし気に鎧武者の顔を見上げた。


 思わず後退る兵たちを逃さんと、武蔵坊弁慶の大音声が轟く。


「泰衡ーぁっ! 使者の首、返すぞおっ!」


 館を取り囲む五百騎の兵がざわめいた。


「さあっ、かかってこい、武蔵坊弁慶が相手だ!」


 大薙刀の石突で地を打って、弁慶が大見得を切る。


「敵は一人ぞ! 討ち取れい!」


 騎馬武者の後ろから届く声は、泰衡の飛ばす檄である。鬨の声を挙げ、槍を構えた武者たちが一斉に弁慶目掛けて討ちかかる。


 互いの刃が届く間合いに迫るや、弁慶ははすに構えた大薙刀を大きく横に薙いだ。刃の軌跡に旋風が巻き起こり、突き出された槍の穂先が尽くに切り飛ばされる。


 強風と弁慶の気迫に気圧された兵たちが足を絡めて後退るところへ、空を切り裂く銀光が一閃――吹き出た返り血に弁慶の衣が朱に染まった。


 武蔵坊の凄まじき気迫と剛力に、泰衡の兵たちが浮足立つ。


「ええい怯むな! 矢じゃ、矢を射かけい!!」


 泰衡の号令が轟いた。豪雨のように、弁慶目掛けて無数の矢が降りそそぐ。


 始めこそ薙刀で打ち払いもした弁慶であるが、やがて一本二本と身に矢が刺さるごとに動きが鈍った。重い足取りで敵兵の前に進み出る弁慶の身体に、無数の矢が突き立ってゆく。


 それでも、弁慶の歩みは止まらない。ようやく足を止めたのは、破れかぶれに打ち込まれた大太刀や槍が、巨躯の臓腑を貫いたときだった。


 こうして武蔵坊弁慶は、膝すらつかず仁王立ちのまま――絶命した。


 後の世に語られる、〝弁慶の立往生〟とはこのことである。


 ただ――立往生したのは、傀儡の肉案山子にくかかしであったのだが……。



   §


 持仏堂の外から響く大音声と戦場の様子を聞いて、弁慶は渋い顔をした。


「ずいぶんと大仰おおぎょうなんだが……俺はいつも、ああなのか?」


 誰となく訊く弁慶の肩を、にやにやしながら小突く義経が、道登を見やった。義経の視線を受けて、道登が口を開く。


「さてみなさん。これにてお別れです」


 そう言って道登は、持仏堂から外へと通じる隠された抜け道への板扉を示した。


「あんたの術の仕上げを見ていきてえんだが」


 法師の視線が、口の端を上げる義経の面から郷御前と娘に移された。


「お二人に、御曹司一家のむごい姿をお見せしろと?」


 道登の言葉を聞いて怯えた娘の姿に、義経は道術見物をあきらめた。


「ちっ、面白いもんを見損ねちまうか。まあ、仕方ねえ」


 義経一行を抜け道へと促す制多に、道登が意外な言葉をかける。


「お前も行くのですよ、制多」

「え? なにを――」

「後の始末は私が一人でやります。お前は御曹司をお守りして、北へ旅立ちなさい」


 それはまさかの、別れの言葉。


「なんで、御師さん……それって、破門ってことかい……っ?!」


 突然に師弟の別れを告げられて、制多は戸惑うばかりである。


「違いますよ。ただちょっと、暇を出すだけです」

「…………」

「そうですね、武者修行に出されたとでも思いなさい。御曹司との旅になるのです、波乱万丈間違いなしですよ?」


「武者修行……」と呟く制多に、義経は笑みを浮かべて首を縦に振る。


「おまえと私には仙縁により強い縁が結ばれている。いつか必ず、また逢えます」

「……分かったよ、御師さん。おいら、行くよ」

「ついでに、私がかつて修行した唐国の姿を、その目で見てくるのも良いでしょう」


「それとこれを」と、道登は懐から瓢箪ひょうたんを取り出して制多に手渡した。


「御曹司とみなさんを瓢箪の中へ迎えなさい。お前が懐で守るのですよ」


 頷き受け取った制多は、かねてからの疑問を口にした。


「いつも思ってたけど、この中ってどうなってんだい?」

「私が造った、ちょっとした仮住まいです」


 仮住まいと聞いて、制多はますます訝しむ。


「でもさ、ひでり神をここへ入れたら……神酒になったよね?」

「おおっと! そうでした。館へ客を招くことを念じて使うのです、忘れずにね」


 悪戯っぽく笑って道登は、さっさと瓢箪を使うようにと制多に手を振った。瓢箪の口を向けて底を叩くと、義経一行は瓢箪の中へと吸い込まれる。


 静かに瓢箪の胴に耳を当て、制多が不安げに訊くと――


「九郎、どうだ――溶けちまってないかい?」


 くぐもっているが、機嫌の良い声が耳に届いた。


「おお! こいつはすげえや。天朝様もびっくりだぜ」


 ほっとして瓢箪を懐にしまうと、制多は道登に向き直った。


「御師さんはこれから、どうするんだい?」

「私は私でね、これでけっこうやることがあるのですよ。まずは……古い友の仙人修行に付き合う約束がありまして。しばらくは、そちらにかかりきりでしょう」


 道登の言う〝しばらく〟が数年なのか数十年なのか、制多には見当もつかない。


「たまには姉弟子様の顔も、見てやっておくれよ?」

「おや、お前が滝姫様を気にかけていたとは思いませんでしたよ」


 泣き虫で意地っ張りな娘の姿を思い返して、師弟は朗らかに笑いあう。


「御師さんはさ、無自覚に女を泣かせ過ぎなんだよね」


 弟子の注文に道登は珍しく、口をとがらせる。


「お前がそれを言いますかねえ」と返される制多は、意味を解さずきょとんとした。傍らに立つ美夜は、ただ目を細めて柔らに笑むばかりだ。


「さて……偽弁慶のからくりがバレても面倒です。急ぎなさい」

「御師さんっ、達者でな!」

「お前もね。不老であっても不死ではないのだから、身体には気を付けるのですよ」

「うん!」


 ありし日の少年のように、制多は答えた。


 曇りなき童子そのままの瞳に、涙はない。


「美夜……制多を、頼みます」


 微笑みかける道登に、美夜はただ頷きを一つ返した。


「美夜、懐へ」


 応えて美夜は、小鳥に変じて制多の胸に飛び込む。


 師を一瞥して制多は、もう振り返ることなく抜け道へと、駆け出すのだった。



   §


 持仏堂に残るは、道登法師ただ独り。


 人型にしゅをかけて、自刃して果てた義経たちの姿を作り上げた。


「ほどよく燃やすとしますか」と、腕を払ったとたんである。


 辺り一面が、火の海になった。猛火の中でも、道登は春の野原を歩くが如きである。そうしてほどなく炎の陰へと、仙人の姿は消えるのだった。



 こうして――制多と美夜は、道登法師と別れたのである。


 義経とともに蝦夷地へと渡り、果ては大陸、草原に生きる騎馬武者の国へと行き着いた。源義経はのちに、大陸に覇を唱える新たな国の礎となるのであるが、その陰には常に、制多と美夜の姿があった。


 そして――のちに制多は、美夜とともに大陸の半島より対馬に渡り、倭国へと還るのである。師の言葉どおりに道登と再会し、ついに仙道を得るに至るのだが……語れる話は尽きはしない。しかし――それはまた、別の機会にて。


    <了>

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流浪の賢人とその弟子、異聞 まさつき @masatsuki

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