夏の骨

セオリンゴ

夏の骨

 昭和48年8月上旬、一匹の猫の死骸が道端の蔓草の中で朽ちつつあった。


 その日は学年招集日。学校への道で私はその死骸と出会った。


 学年招集日とは夏休み中に一学年だけが登校する変な日だ。

 いつもは集団登校で、6年年の私は黄色の旗を持ち、幼稚園児の手を引き、田舎の抜け道を急ぐバイクに注意を払う。


 その気遣いを忘れ、独りのんびり歩いた。

 水田の世話をする人以外、人影もまばらな田舎の夏の朝。

 弛緩した時間に蝉の声だけが響く夏の朝。


 昔の街道筋に出た。道沿いの民家のあいまに田畑の畔がいくつか続く。畔に草が伸び、それを蔓草が覆って道の端にばさりと落ちていた。その蔓草の中に死骸はあった。 


 足元から30㎝の所だった。

 飼い猫か野良猫か、若いのか老いているのか、雄か雌か、分からない。

 身をかがめた瞬間、猛烈な腐乱臭に襲われた。死骸は蛆虫が湧き、毛皮は流れ落ちる何かに濡れていた。戦慄に襲われ、反射的に身を引いた。が、目を離せない。


 人間も死ねばこうなるという生物の終焉の姿だった。

 家で飼っている猫が消えると祖母は言ったものだ。

「死ぬ時期が来ると飼い猫でも死に場所を探すんや」

 猫好きの母も、同じことを言う。


 猫は良い場所を見つけたなと思った。

「近くに寄らない限り臭いが分からないし、蔓の葉が隠してくれている」


 私はそれを誰にも話さなかった。特にクラスの人間には。夏の暑さで腐り落ちていくさまを、蝿と蛆にたかられるさまを、静かにしておきたかった。

 話せば大人は穢れに眉をひそめて忘れるが、子供は興味本位と怖いもの見たさで繁みを暴くかもしれない。それは許しがたかった。


 数日後の特別登校日も、21日の全校登校日も、下級生の先頭を行きながら、草叢を見なかった。妹と学校のプールに行く時はわざと忘れていた。

 猫が人知れず腐って消えますように。

 汚らしいと指をさされませんように。


 お盆のあとで大きな台風が通過した。朝夕に秋の気配が降りてきた。


 9月1日、集団登校の列が次々と道に出た。班長は黄色の旗を掲げ、日焼けした小学生の群れが賑やかに道を行く。

 

 例の繫みが近づく。私は素早く蔓草の隙間を見た。


 白い、それはそれは白い骨があった。

 猫の頭蓋骨が天空の太陽を浴びて光っていた。台風に滑らかに洗われ、美しく光る白い骨。死の穢れはきれいさっぱりと流され、やがて粉になる前の一瞬の輝き。

 生命の終焉を高らかに語る骨だった。


 その後、私は何度も親族の葬儀でお骨上げに臨んだが、あれほど美しく白い骨に出会ってない。火葬は人為的すぎて、骨の美しさを留められないのだろう。

 自分の骨もいずれ、あの白さとは違うものになる。それでいいと思っている。

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夏の骨 セオリンゴ @09eiraku

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