第53話 王子閃さんは未来を約する
今はシックな雰囲気のカフェだけど、先生がここに入ったときは、きっと所狭しと物が置かれていたのだろう。
箪笥だったり、行李だったり。
「ふふ。不思議ですね。物置だったところで、こうも寛いでいるなんて」
「それもそうだ」
私たちは顔を見合わせて笑い合った。
「お待たせしました」
やって来た珈琲と紅茶は、どちらも文句なしに私たちを笑顔にした。
「ん。まろやかだな。苦みが少ないから、珈琲苦手な人でも飲みやすいと思う」
「そうなんですね。こっちは、黒文字の風味がすっきりしていて美味しいです」
特に自分で作るブレンドティーは、ポットが特殊で、ちょっとテンションが上がってしまった。
座った鹿を象った台には、それぞれ二つのガラスポットが乗っている。
胴体の部分と、角の上部。
まず、角の上のポットに、好きな量の茶葉……石川県産の加賀棒茶と能登紅茶、黒文字茶の三種を好きな配合で……を入れる。
胴体のポットに入ったお湯を、
お茶が程好く出たところで、胴体へポットを戻すと……あら不思議。角上ポットからお茶が下のポットへと落ちて行くのだ。
錬金術の道具みたいで、楽しい。
これで味も美味しいのだから、本当にお得だ。
「! 確かに、すっきりした味わいだ。加賀棒茶の香ばしさとよく合う」
「……うん。苦みが少ない気がしますね。飲みやすいです」
二人の飲み物を交換するのも、心躍った。
……こうして、クラスメイトと好きな飲み物を交換しあいっこするなんて初めてのことも知れない。
そもそも、自分の趣味をこれだけ語っても引かれないどころか、貸した本を読んでくれたり、こうして一緒に推し作家さんの足跡を辿ったりしてくれる人に出逢えたこと自体が初めてなのだ。
これまで私が心からお喋りを楽しんだ相手は、今は亡き母方の祖父しか居なかった。
それを寂しいと思ったこともあるにはあるけれど、だからと言って趣味の合わない人たちを巻き込むことも、自ら趣味の合わない人たちのところへ行くのも違う気がしたので、人付き合いは早々に諦めていた。
だから。
「……とても不思議な感じですね」
こうして誰かと、好きなものや興味があるものを分かち合えるだなんて。
それを相手も楽しんでくれているなんて。
「うん。蔵だったってしっかりわかるのに、居心地好いのって不思議だ」
王子さんは、私の言葉を違う風に取ったようだ。私は笑って、
「押し入れの中が意外と落ち着く……のと同じ感覚でしょうか」
そちらへ舵を切る。
「だとしたら、意外と秋聲先生も理解してくれるかも知れないな」
「こんな風に作り変えるなんてって驚かれつつ、ゆっくり出来るなら悪くない、みたいにお書きになったりして」
「先生は頼むなら、珈琲かな。ブレンドティーかな」
「ブレンドティーに興味はあるけれど、どうしたらいいかわからないから珈琲にした……と仰られるやも」
そんな『もしも』の話に興じながら、他の秋聲先生の作品についてもお話しした。
「『足跡』は、自分は結構ハラハラしながら読んだかな。ほら、最後の方の。見付かるんじゃないかって」
「確かにあのシーンはハラハラしますよね」
「『あらくれ』はまだ途中なんだけど……あの結婚式は無いと思った」
「あそこ、私も読んでて腹が立って腹が立って……!」
「あの話はハッピーエンドになるのか?」
「ふふふ、それは読んでからのお楽しみですよ」
「それもそうだ」
「他にも金沢が舞台のお話ってあるのだろうか?」
「ええ。徳田秋聲記念館さんが、金沢が舞台の短編集を他にも出してらっしゃいます。『あらくれ』の次にお貸ししますね」
「! お願いする。……記念館さんも行ってみたいな」
「……今度、一緒に行きますか?」
「いいのか?」
「はい! 実はひと月に一度、学芸員さんが特別展示の解説をされてまして。その解説が毎回とても面白くて、興味深いんですよ」
「それ、聞きたい!」
「展示も、毎回すっごく凝ってらっしゃって『ここまで見せて下さるんですか!?』ってなるんです」
「楽しみだな」
「はい!」
ふと、会話が途切れた瞬間。
私の胸に、ぽつんと灯りが灯った。
野望、にも近い、未来の望みが。
「あの」
「ん?」
それを口にするとき、少し声が震えたけれど、私はそのまま話を続ける。
「こちらの、お家の方、お兄さんが住んでらした、秋聲先生がお泊りになっていた建物は、宿泊施設になってるんですけど」
「うん」
「結構、そのままらしいので、私、いつか……高校卒業を目安にお金を貯めて、泊まろうって思ってるんです」
卒業旅行の代わりに、と私が言って、王子さんが頷いた。
「そのとき、もし、良ければ、あのいっしょ、に」
「南雲さんが良いなら」
王子さんの手が、私の手を取った。
「是非、自分も一緒に泊まりたい」
王子さんの真っ直ぐな眼差しが、私を捉える。
私は嬉しくて震えそうになるのをこらえながら、その手を握り返し、真摯な眼差しに微笑みを返した。
「……嬉しい。夢みたいです」
絶対に、叶えたい夢だ。
「夢じゃなくて、予定だ。絶対、泊まりに来よう」
「はい」
すごい。すごいな。
未来なんてどうなるかわからない。本当に叶えることが出来るかどうか。
でも。
同じ夢を見る人が今目の前に居るのは……『友だち』が居るのは、とてもとても、嬉しく、頼もしかった。
「それまで、金沢で辿れる足跡を辿りましょうか」
二人で。
「うん」
私たちは顔を見合わせ、これから辿る足跡に想いを馳せた。
店員さんがディスクを入れ直した蓄音機から、第九の音が祝福のように流れ始めた。
END.
ゆるゆる文豪足跡たどり 飛鳥井 作太 @cr_joker
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