【短編版】白華と龍

安崎依代@1/31『絶華』発売決定!

『お。ほんとにいやがった』という判断が、男を蹴り出したつま先を見てできたのだから、我ながら笑える。


「っ……てぇなっ!! 何しやがるっ!!」


 座敷から蹴り出されてきた男は、廊下の反対側に入れられたふすまを吹っ飛ばしながら、さらにその先の座敷に倒れ込んでいた。ちょうど階段を上がりきり、二階の廊下に足をかけた京二きょうじから見れば、男は右側の襖の陰から現れて、左側へ吹っ飛んだ形である。


「せっかくこの俺が可愛がってやろうっつってんのに……っ!!」


 いかにも高そうな金貼り極彩色の襖を二枚も吹っ飛ばしておきながら、男はそんなことにも構わず己が蹴り出されてきた座敷の奥へ罵声を張り上げた。男にとっては破れた襖も体に走る痛みも、今は些事であるらしい。


「オレぁこの店のオンナじゃねぇ」


 そんな男に答える声は、芯の芯まで冷え切っている。そうでありながら聞く者の心を引きつけてやまない、水晶でできた鈴を振るような澄んだ女の声だ。


「散々言ってやっただろうが」

「この店の女だろうが、なかろうが関係カンケェねぇっ!!」


 男は京二の登場にも気付かず、京二からは襖の陰に隠れて姿が見えない女に向かってわめき続けている。


 ならばしばらくこの茶番に付き合ってやるか、と京二が傍観を決め込んだ瞬間、男は聞き捨てならない言葉を口走った。


「この俺が金積んでテメェを買ってやるっつってんだよっ!!」


 思わずピクリと片眉が跳ねる。


 だが京二が何か行動を起こすよりも、女が己でやり返す方が早かった。


「へぇ? やれんのかい?」


 嘲笑を隠さない声を上げた女は、スルリと襖の陰から廊下へ踏み出す。


 そして容赦なく、白いつま先が男の側頭部に叩き込まれた。


「こんな腕っぷしも財布も弱っちいお前がよぉ?」


 色鮮やかな高級友禅の裾が割れ、雪のように白い足が膝上まであらわになることも構わず男を蹴り飛ばした女は、そのまま男の鳩尾みぞおちに踵を叩き込むと上から男を見下ろして綺麗にわらう。そんな女の秀麗な顔を隠すかのように、襟足だけを長く伸ばし、後ろでひとつにくくった黒髪がサラリと揺れた。


「それじゃあ、お手並み拝見といかせてもらおうか?」


 女の言葉に男は女の足を払い除けようと躍起になっているようだが、どれだけ男が体に力を込めようとも、女の体は小揺るぎもしない。逆にミシミシと男の鳩尾に女の華奢な足がのめり込んでいくのが京二から見ても分かる。


沙羅さら


 そんな女の足に男の汚い手がベタベタと触れていることに我慢できなくなった京二は、声を上げながら二階の廊下へ足を踏み出した。その声に男はハッと顔を跳ね上げたが、当の女の方は肩を揺らすことさえしない。恐らく彼女は京二の登場など、とうの昔に察していたのだろう。


「テメェ、こんなトコで何して……」

「きょっ、京二の兄貴っ!!」


 ひとまず男の上から足を退けさせようと、京二は女に声をかける。


 だがその言葉は女に足蹴にされた男によって遮られた。


「助けてくだせぇ京二の兄貴っ!! 俺ぁこの女を座敷に上げてやるっつってんのに、この女ときた、ガッ!?」

「テメェはひとまず黙ってろ」


 だから京二は、足袋に包まれたつま先を軽く振り抜くと、女が蹴り飛ばした側とは逆になる側頭部に蹴りを叩き込む。女が鳩尾を押さえたままだったから、衝撃がうまく逃げずに首がどうこうなったかもしれない。


「おい沙羅。お前、こんなトコで何してやがる」


 男を黙らせた京二は、女……沙羅の肩に手を置くと、男と沙羅を引き離す方向へ沙羅の肩を引いた。


 その力に、ようやく沙羅が京二を見上げる。芸者然としたキツめの顔立ちの中に『邪魔すんじゃねぇよ』という不満の色を見て取った京二は、眼鏡メガネの奥にしまい込んだ瞳を剣呑に細めた。


「羽織も着ねぇで。だからこんなチンケな野郎が勘違いしやがんだ」

「あの羽織着てたら、関係者だって一発でバレんだろ」


 ──テメェ……狙って着てこなかったな?


 どうせこのじゃじゃ馬娘のことだ。いつものごとく、自身をエサにして獲物この男を釣り上げるために、わざとどこかに脱ぎ捨ててきたのだろう。


 ──羽織コイツぁ本来、そんな簡単にほっぽりだしてきていいモンじゃあねぇはずなんだがなぁ?


 京二は微かな苛立ちを溜め息に混ぜてこぼすと、己が纏っていた羽織を脱いで沙羅の頭の上から落とした。


 一瞬迷惑そうに顔をしかめた沙羅だが、さすがにこの羽織が帯びる『重さ』は理解できているのだろう。叩き落とすことも、突っ返すこともできなかった沙羅は、仕方なく己の体には大きすぎる羽織を肩に羽織るようにして纏う。


「きょ、京二の兄貴……?」


 そんな二人の様子を見ていたのか、倒れ伏した男が細く声を上げた。それにチラリと視線を落としてやれば、男はカタカタと小さく震えている。


 京二が纏う羽織は、ただの羽織ではない。


 牙を剥き合う二頭の龍が背中に染め抜かれた黒羽織は、とある組織における京二の地位を示す物だ。


 その羽織は本来、下賜された当人以外、そうおいそれと触れていい代物ではない。ましてや羽織るなど、到底許されざる所業だ。


「ま、まさかその女、京二の兄貴の情婦イロだった、とか……?」

「ア? コイツが自分の羽織を忘れてるから貸してやっただけだ」


 まるで独占欲を示すかのような京二の振る舞いに、男は引きった声を振り絞る。


 だが京二はそれを不機嫌に斬り捨てた。


「本来ならコイツぁ俺の羽織を分捕らずとも、自分の羽織を持ってる。俺とまったく同じ、双龍の黒羽織をな」

「へ……?」


 京二の発言に凍り付いた男は、鈍い動きで沙羅を見上げた。対する沙羅はただ無感情に男へ視線を注ぎ続ける。


 そのしんと冷え切った冷徹な眼差しで、男はようやく沙羅の身元にアタリがついたのだろう。ガタガタとさらに体を震わせた男は、肘で後ろへにじり下がろうと今更もがき始める。


「あ、あんた、まさか……!」


 二頭の龍が牙を向き合う代紋は、この青雲せいうんの裏社会のいただきに君臨する極道家のもの。


 その代紋を背に負うのは、『双龍』最高幹部のみ。


「八大龍王の紅一点、『舞龍王ぶりゅうおう』の沙羅……っ!!」

「御名答」


 男が今更ながらに辿り着いた真実に、沙羅はあでやかな笑みを浮かべてみせた。しかし沙羅の色香に惑わされていたであろう男は、今や恐怖に顔を引き攣らせ、大きく震えるばかりだ。


「オレの縄張りシマを荒らしやがったドブネズミが、今度は京二の縄張りシマで好き放題始めたって聞いたからよ」


 そんな男に何を思ったのだろうか。


 沙羅はもう一度素足のつま先を床から浮かせるとヒュッと小気味よく振り抜いた。


「いーいご身分だなぁってなもんで、ツラァ拝みにきてやったっつーわけだ」


 今度の狙いは脇腹だった。容赦なく土手っ腹を抜かれた男は、無様に床に叩きつけられると苦しそうに咳き込む。だが沙羅が表情を動かすことはない。


 代わりに顔をしかめたのは、京二の方だった。


「おい。そんなしょうもねぇ理由なら、テメェの手下にでもやらせりゃいいだろうがよ」


『その程度のことで八大龍王の座にあるお前が直接乗り込むなんて』と苦言を呈すれば、沙羅はハンッと嘲りを隠さずに笑う。


「このドブネズミ、オレのシマを荒らす前にげんさんのシマも荒らしてんだよ」

「はぁ?」


 源さん、と呼ばれる人間も八大龍王の一人だ。


 彼の管轄シノギは高利貸し、そして沙羅のシマと言えば賭博業である。京二が管轄しているのは女衒ぜげん業……つまりこの遊郭一帯が京二の支配下にある。


 ──つまりこいつぁ、源さんトコで借りた金で沙羅んトコの賭場に入り浸り、それぞれのツケを踏み倒して遊郭遊びと洒落込んだってことか?


 恐らく最初から遊興の金を支払うつもりなどなかったのだろう。つまりこいつは最初から京二のシマも荒らす心積もりだった、ということだ。


「バラして売り飛ばしてもいいか、カシラに先に訊いてきた」


 京二の胸中に納得が広がるのを沙羅は感じ取ったのだろう。チラリと京二を見上げた沙羅は、心底楽しそうな笑みを口元に広げてみせる。


「『支払い能力があっても、支払う気がねぇ人間なんぞに用はねぇ。さっさとバラして売っぱらえ』ってよ」

「まぁ、カシラならそう言うだろうな」

「ツケを払って余った分は、杉さんトコにコイツを引き渡したヤツがもらってっていいらしいぜ?」


 ──なるほど?


『己をエサとして使うため』以外にも理由があったのか、と沙羅を見下ろすと、沙羅はわずかに笑みの種類を変えた。


 先程までの笑みよりも、より酷薄な。


 若い女の身空で『双龍』最高幹部の一角に座すに相応しい、ひどく暴力的で、ひどく艶やかで……見た者の魂を引きちぎって連れ去っていくかのような、ひどく麗しい微笑み。


「山分けするかい? 『光龍王こうりゅうおう』」


 正直、端金はしたがねに興味などない。


 ただ、沙羅からの誘いを断るという選択肢もなかった。


 この危険極まりないじゃじゃ馬娘が、こんな風に相乗りを誘ってくるなど、珍しいことだったから。


 何より、目の前の男に……京二が惚れ抜いて必死に口説き落とそうとしているオンナに粉をかけようとしたクズ男に、己とテメェの違いを見せつけるのにちょうどいいから。


 だから京二は、あえて酷薄な笑みを口の端に浮かべると、皮肉たっぷりに沙羅の言葉に答えた。


「いいな、乗った」


 恐らく沙羅はその笑みの意味が分からず、男には京二が醸す冷気の意味が分かったのだろう。京二を見上げた男は、今にも卒倒してしまいそうなほど青白い顔をしている。


「頭のテッペンからつま先まで」


 そんな男に向かって、京二はあえて笑みを含ませた声を投げた。


「せいぜいい値で売れてくれや」


 そしてせいぜい、沙羅の懐を潤す財源になればいい。


 野心を隠そうとしないこの白華が、龍を喰らい尽くすための元手になればいい。


 そんな独白とともに、この不愉快な茶番を終わらせるべく、京二は腰に差し落としていた刃を抜いた。

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【短編版】白華と龍 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki

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