空高く舞い上がる白銀の結晶を双翼として、闇夜を切り裂こうと決意した。

「自分の死期は、自分で決めたい」


 汚泥の底から口だけを出すようにして、夫にそれを知らせた。


 散々「俺が稼いでやってるんだから」と、己の優位性を主張していた彼は途端に、


「家族のためを思って働いているのだから、辛いとかはないです」

「未来が無いのであれば、もう仕事はどうでも良いです。(物件の契約期限が終了し次第)辞めます」

「約束したのに、幸せにできなくてすみませんでした」


 と、弱腰になった。


 ――私の心の悲鳴すら、罪悪感を利用して封ずるのか――

  そうとしか思えなかった。


「言葉遣いに気を付けて」


「夫婦なんて、所詮は他人だよ。お互いを想いあわない限り、関係性は壊れてしまうよ」


「人が喋っている時に、強い言葉で遮るのはやめて。人の話は最後まで聞くのが礼儀だよ」


 怒りをぐっと飲みこんで、諭してきた数々の言葉を思い出す。

 全身を飲み込んでいる泥の表面が空気によって、ぼこりとふくらみ、弾けていった。

 気泡の中につめこんだ、数々の私の言葉は、想いは、どこへいったのだろう?


 きちんと、成仏してくれたら、良い。

 私の視界は、色彩を欠いたままだけれども。


 夫も、私を追い詰めたくて、強い言葉を使ったわけでは無かったのかもしれない。

 彼にとっては「自分が一番正しくて、輝いている」のであって、妻はただの、モブだったのだろう。

 だから、妻を馬鹿にしても、何の罪悪感も無いのだ。


 ネガティブな忠告をするパートナーを、どんなに残酷な言葉で切り捨てたとしても、自分への愛は変わらない――母親すら子供に愛想をつかすことがあるのに、そんなお伽噺が通用するものか。


「ねえ、私、確かに太ったよ。

 でもそれは、いろんな辛さをごまかすために、食に走ってしまったからなのさ。

 その前提をすっとばして、目の前で癇癪を起こして泣いている子どもをなだめもせず、理性を保つために甘い物を食べながら、必死で事態を鎮静化させようとあれこれしている妻を、助けもせずにさ、肉体の醜さをディスって楽しい?

 私は、嫌だよ」


「じゃあ、俺はもう何も言わない」


 きっと――俺はそんなつもりで言ったわけではない。ちょっと妻のブスさ加減をいじって楽しんだだけなのに、ねじくれた受け取り方をするなんて、お前が悪い――そう言いたいのだろうな、と思った。

 十年、夫婦だったのだ。沈黙の裏に隠された彼の本音くらい、手に取るようにわかる。


「そんな事を言うんなら、お前の事はもう、放っておく」


 夫はそう言って、こたつに半身を突っ込んで寝転んだ。


「判った。放っておけば良い。

 でも、私はもう、気持ちを押し隠すのは辞めるよ。

 嫌なものは嫌だって言う。

 あなたがそれを受け取らないのは自由だよ。

 でも、私はもう、黙らない」


 視線を窓の外へ移す。

 竜巻の如く円を描くようにして雪が踊り、地の底から天高く、舞いあがるのが見えた。

 白銀の空から降りてくる細かな結晶が、私の決意を後押ししてくれたように思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ベロニカのように死ぬことにした 植田伊織 @Iori_Ueta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る