いつかの場所から

昼星石夢

第1話いつかの場所から

 見回りにはこたえる季節だ。寒さにはいくらか強いとはいえ、向かい風に息が止まる。耳を畳んでいたせいで、ボスの声が聞き取れなかった。

「おい、ゴン。そっちの柱は異状ないかって聞いてんだ」

 ボスの冷ややかな目に、ゴンは早足で近くの電信柱のにおいを嗅いだ。

「ああ。問題ない。いつもここを散歩コースにしている洋犬のにおいだけだ」

 柱に脇腹を擦り付け、暗い夜道に目をはしらせ、耳を澄ませる。

「冷えるっすねえ、マジで。こういう時は飼い犬時代が恋しくなるっす。あったけえ寝床に、肉の出汁が効いたスープ」

 ゴンの弟分のポチが大きな独り言をいう。ふらふらと無警戒に視界の隅をかすめる。

「おら、ポチ! ぶらぶらするんじゃねえ。そこのゴミ置き場から、食い物になりそうなものを探せ」

 ボスの罵声に「うぃぃす」と小さくなったポチは、軽い足取りでゴミ置き場へ向かい、生ごみをあさりはじめた。ゴンは周囲を警戒する。この間のように、薬のにおいを漂わせた、不気味な人間どもに見つからないように。隣町のグループの奴らが、その人間どもに捕まって殺されたとボスに聞いた。お前がしっかり見張っていないと、次は俺達の番になる。ボスにそう脅されたばかりだ。

「お! いいもの見っけ。少しかじっただけっすよ。もったいねえ!」

 紙袋に顔を突っ込んだポチが尻尾を振る。

「うるせえ! でかい声を出すな。これも持っていけ」

 ボスが鼻先で示した袋は、においから察するに腐りかけの野菜が入っている。

「いらないっすよ。誰が食うんっすか」

「お前はいらないんだな。わかった。言っておくが、この生活を長く続けられる奴に、お前のような偏食の奴はいない」

「わっかりましたよ、持っていきますから」

 ポチが渋々、野菜の入った袋もくわえる。

 ――と、人間のにおいが鼻をかすめる。一本先の道の角からだ。

「走れ! 人間だ!」

 ゴンが叫ぶと同時に、ボスとポチは野性の素早さで駆けだした。

 商店街を抜け、住宅街の裏道を一目散に走り去り、人間のにおいが薄い、こんもりとした森の奥の廃車置き場へたどり着く。ここがゴンたちの住処すみかだ。

「あら、おかえり。何? 慌てて。これから優雅に獲物を頂こうとしていたのに」

 ネネが前足で獲物を挟んで伏せていた。獲物は元の形をとどめていない。

「何を狩ったんだ?」

 ゴンは興味本位で鼻をひくつかせた。ガルル、とネネが威嚇する。

「取るんじゃないわよ。ふん、ネズミよ。いいでしょ」

「よく食えるな」

 顔を背けてボスが吐き捨てる。ああ見えて、火の通ったものしか、ボスは食えない。

「それなら、この肉は俺達で分けよう」

 ボスは言いながら、ポチの「ちょ、くわえて走ってきたのに、俺の分、こんだけっすかぁ?」という言葉を無視して、食料を分配していく。ボスが食べ始めると、ゴンも口をつけた。旨いも不味いもない、ただ必要なだけだ。

「ちょっとポチ。アンタ臭いわよ。川で体洗ってきなさいよ」

「無茶言わないでくださいよ、姐さん。今だって凍えそうなのに」

 ここから走って数十メートルの距離に川がある。喉が渇いたゴンは、月明かりを頼りに軽く走った。後ろからポチが追いかけてくる。先に着いたゴンは、震える水面に映る、歪んだ自分を束の間見つめると、舌で水をすくった。

「ゴンの兄貴、俺、体洗ったことにしてください。お願いっす!」

「濡れてなきゃバレるだろ」

 ゴンは鼻を鳴らすと、不気味な暗い森へ引き返した。獣の鳴き声のような風が、周囲の木々をうならせる。仲間達が踏み固めたことにより、辛うじて通れる獣道は、常に何かに見つめられている気がした。

 住処の溜まり場に戻ると、ボスとネネが揉めていた。

「ったく、ゴミばかり集めやがって」

「ゴミじゃないわよ。私のコレクションなの」

「何がコレクションだ。捨ててこい!」

「嫌よ。私のねぐらに何を置こうが、私の勝手よ」

 ネネは、生活に不必要な物まで、町や川辺で拾ってくる癖がある。ネネの寝床には、ペットボトルや網やボールが所狭しと置かれている。

 ゴンの視線が、目新しい拾い物を見つけた。

「これ、今日拾ったのよ。ピンクで可愛いでしょ」

 それはフリスビーだった。

 ――と、ゴンの頭の中で、ある映像が再生される。

 無垢な子犬が、小さな人間と遊んでいる。原っぱを満ち足りた表情で駆ける。そしてフリスビーめがけて土を蹴る。小さな人間に駆け寄る。尻尾を振りながら……。だが、そこでノイズが入る。映像は車の後部座席で俯く、さっきより少し大きくなった人間と、その顔を舐める成犬に変わる。スライド式のドアが開き、人間が外へフリスビーを放った。犬は車から飛び出して、追いかけた。土を蹴り、キャッチして振り返ると、車が発進したところだった。犬は、一瞬、首を傾げると、今度は車を追いかけた。みるみるスピードを増す車を、最初は驚いた眼で、次第に困惑と不安に駆られた眼差しで。走って走って足が千切れるぐらい走ったが、とうとう追いつくことはできなかった。だが諦めきれず、微かな匂いを辿って、探し回った。来る日も来る日も、あの匂いを探した。

 ――あの子は、今頃どこで何をしているだろう。嫌な思いは、していないだろうか。

 ゴンは、はっと我に返ったかのように、全身を振った。

 ――バカな。嫌な思いをさせられたのは俺だ。

「悪趣味だな」

 ネネに呟くと、ゴンは彼の寝床である、積み上げられた廃車の中の一台に消えた。

「なによ! ほんっと、分からずやばっかり」

 ネネの声が、忘れられた空間にこだました。


 いつものゴミ置き場から、よそ者のにおいを感知した。

 ボスもゴンと同じく、警戒感を漂わせている。

 白い秋田犬が、ゴンたちのえさ場を漁っていた。気配に気づき振り向いた顔は、若い頃のゴンにそっくりだった。ボスが近づくと、秋田犬はごろんと仰向けになった。ボスは、秋田犬の腹を無言で見つめ、鼻をひくつかせると、興味を無くしたように食い物を探し始めた。ゴンとポチは、ボスにならい、秋田犬を無視して食料の調達に取り掛かった。秋田犬は彼らの後ろ姿を、光のない真っ黒な瞳で見つめ続けていた。

 ボスが移動を始めると、秋田犬も黙ってついてきた。辛抱溜まらず、ポチが「アンタ名前は?」と聞くと、微かに「マロです」と答えた。ポチは、自分より大きな犬が後ろを歩いていることを気にするどころか、弟分ができたことに気をよくしたようだった。

 ボスは脇道にそれて、小さな公園に向かった。街灯の明かりも頼りない、夜の公園のベンチに、一人の人間が腰かけている。人間はボスに気づくと、「おう」と片手をあげた。この人間は、川の近くの畑を所有していて、ゴンたちが畑を荒らす小動物を狩っていることを知り、密かに餌付けをしていた。もっとも、ゴンたちはこの人間をえさ場の一つとして見ていたが。

「おお? 友達か? 見たことない犬だな。悪いな、今日はあんまり持ってないんだ」

 この人間の持ってくるものは、犬用のちゃんとしたおやつなので、マロを除く三匹は夢中で食らいついた。無くなってからも、名残惜しく地面を嗅ぎ、人間の持ってきた袋を嗅ぎ、諦めて舌で口を舐めた。

 それからボスはまた歩きだした。去り際、人間が「今度はお前の分も持ってこよう」と言うのが聞こえた。一列に歩いていると、マロの腹が鳴り、ポチが笑った。この道順なら普段は住処に戻るはずだが、ボスは道を折れて、ゴンも知らない神社の境内に入った。拝殿の階段脇に、エサ皿が置かれていた。ポチが近づくと、グルルルとボスが唸った。ポチは首を縮めて、退いた。マロは、伏せて欠伸をするボスをじっと見つめたあと、エサ皿に口をつけた。辺りには猫のにおいが充満していた。


「ずいぶん遅かったじゃない」

 住処に戻ると、ネネが怪訝な顔で迎えた。

「あら、だあれ?」

「マロっすよ、俺の弟分っす」

「またオス? んもーー。で? どこから来たの?」

 ネネがマロを寝床から見つめる。

「僕は、人間の家族を探しています。小さな、女の人間で、尻尾を振りたくなるような、柔らかい香りがします。ご存じありませんか」

「諦めな」

 ボスがにべもなく言った。マロは、さっきと同じようにじっとボスを見つめた。

「この子、昔のゴンに似てるわね」

 ネネが、フフと、ゴンに囁いた。

「だまれ」

 ゴンは扉の外れた寝床にくるまった。

 マロはそれから、新しいメンバーとして、淡々と役割をこなした。ほとんど喋らず、ただポチの途切れない自慢話に相槌を打っていた。与えられた指示は忠実にこなし、ネネの狩りも手伝った。だが、町に出ると、マロはいつだって鼻をスンスンと四方に巡らせることを忘れなかった。ゴンたちと行動を共にしながらも、心は別の場所にあるようだった。

 そしてある日、ゴンたちが昼寝をしていると、マロは突然起き上がって耳を立て、住宅街の方を瞬きもせず食い入るように見つめだした。

「何? どうしたの?」

 四匹はマロの気配に目を覚まし、ネネが欠伸をしながら尋ねると、「あの子です」と呟くやいなや、マロは猛然と駆けだした。

「おいおい」

 ポチが慌てて後を追おうとすると、「めろ!」とボスがポチの前に立ちふさがった。

「お前の姿を余計な人間にさらすな」

 ポチはキュルルルと前足で地団駄を踏み、くるくるその場で回っていたが、やがて諦めた。

「そうがっかりせずとも、すぐに戻るさ」

 ボスは、ポチに不敵な笑みを浮かべた。

 その言葉通り、マロは一日経った食事の時間に、ゴンたちの住処へ戻ってきた。ゴンには、一日しか経っていないのに、ひどくやつれて見えた。

「また捨てられたか」

 ボスの嘲笑を無視して、マロは寝床としていたワゴン車の後部座席に入っていった。ゴンは上目遣いにその様子を眺めながら、マロがいた家の車はきっとこんな形なのだろうと思った。

 マロはそれから、以前にも増して無口になり、反応を示さなくなった。ポチが絡んでも鬱陶しそうに頭を振るだけで、飽きてしまったのか、ポチも構わなくなった。それでも、町に出てスンスンと鼻をひくつかせることだけは、変わらなかった。

 ゴンは、マロのそんな態度が気に入らなかった。元の家が恋しくて、ボスのもとを離れた経験は自分にもあったが、未練がましく人間の気配を探るようなことはしなかった。

 それから数週間後、食料の調達前に、川で二匹だけになったゴンは、水を飲むマロに言った。

「そんなに探したけりゃ、ここから去ればいい」

 マロは背を向けたまま、ぺろん、と口を拭うと、しばらくして答えた。

「僕はまだ、人間を信じたいのかもしれません」

 その日、ゴミ置き場からの移動中、マロは「お世話になりました」とだけ言って、くるりと反対側へ歩いて去っていった。

 ボスもポチも、ちらと振り向いただけで、次のえさ場へ向かっていった。ゴンはマロの後ろ姿を見えなくなるまで、ただ黙って見つめていた。


 マロがいなくなってから、季節が一つ進んだ頃、フリスビーで遊ぶネネとポチを見ていたゴンは、ふとマロの気配を察知した。

 すっくと立ち上がったゴンは、マロの気配を追って森を伝い、あまり近寄らないグラウンドに出た。木々に紛れて姿勢を低くし、様子を探っていると、首輪をつけたマロがリードを持った大人の人間と一緒に歩いてくるのが目に入った。ゴンには、なぜだかわからないが、マロの隣を歩くその人間は、マロの元の飼い主ではないとわかった。

 マロだけが、ゴンに気づいて、舌を出していた口を閉じ、ゴンに視線を合わせる。ゴンの前を通りすぎる時、僅かに尻尾を振り、頭を下げた。

 ゴンはマロと人間の姿が見えなくなってから、その姿を改めて思い出し、ほっと息を吐いた。マロはもう、昔のゴンのような顔ではなくなっていたから。

「帰るぞ」

 後ろからボスの声がして、飛び起きる。慌てて周囲にゴンを見ている人間がいないか確認する。誰にもバレておらず、体を振ってから振り向くと、ボスはもうお尻を向けて歩き去っていた。

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