壊れた覇王と捨てられ翡翠〜嫁に差し出された敗国の皇子なのだが、結婚相手の様子が何だかおかしい気がしてならない〜

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『女のように麗しい』と散々形容されてきたが、まさか本当に『女』としての立ち位置を強要される日が来るとは思っていなかった。


「……これで満足か?」


 紅蓋頭が取り払われ、本来の色を取り戻した視界の先。


 内心が一切読めない秀麗な顔を睨み付け、私は心の底からわらってやった。


「頭の先からつま先まで。お前の『妻』を示す装いをさせて、満足か?」


 人払いがされた寝室。物々しい寝台がデンッと据えられた部屋の中にいるのは、私と私を『妻』としてめとった男だけ。


 そう、戦に敗れた母国の滅亡を防ぐため、将として戦場を駆け巡っていた第七皇子でありながら、『妃』として戦勝国に差し出されたこの私と。


 戦勝国の国主であり、近隣各国に『覇王』として名を轟かせている、目の前にいるこの男だけだ。


 ──停戦条件として、私の身柄を寄越せと要求してきたらしいな。


 それだけならば、私の母国を牽制するために人質を取ったと考えられなくもない。


 だが『妃として差し出させた』という事実が加わると、若干意味が異なってくる。


 ──これから行われるのは、辱めだ。


 こんな容姿をしているが、将としてそれなりに有能だったという自負はある。そんな私を心身ともに『女』として扱うことで辱め、今までの鬱憤を晴らすつもりなのだろう。ついでに我が母国の戦意を完全にへし折るつもりに違いない。


 ──どんな扱いをされようとも、私は決して屈しはしない。


 私は心の底から冷笑を浮かべたまま、無言で立ち続ける覇王を真っ直ぐに見据えた。


 これでも将であり、皇子だ。己の首や体で敗戦の責を負う覚悟は、初陣の頃からできている。負ければ扱いをされるものだということを、ずっと覚悟して生きてきた。


「満足?」


『やれるものならばやってみろ』と鋭く睨み付ける私の前で、ずっと沈黙を保っていた覇王がようやく唇を開いた。


 私とそう歳も変わらないであろう若さで『覇王』という称号を負う男は、その肩書きに見合う腹の底から響くような低い声音で言葉を紡いだ。


「私が、この程度で満足するとでも?」


 鋭く整った顔に不敵な笑みを刻んだ覇王は、ゆっくりとこちらへ距離を詰めると私の方へ手を差し伸べた。


「まだまだ夜は始まったばかりだ」


『まずはその衣を、自ら脱いでもらおうか』と、当然のごとく続けられた言葉に、一瞬指先が震えてしまった。


 だが私は一度拳を握りしめることでその震えを止めると、躊躇ためらうことなく紅の婚姻衣装を脱ぎ始める。


 ──恥じらってなどやるものか……!


 たとえこれからいかなる辱めにあうのだとしても。毅然とした態度で、最後まで将としての、そして皇子としての気概だけは忘れないと、胸に刻んでここまで来た。


 ここに至るまでの道中、繰り返し胸に刻んだ覚悟を新たにしながら、私は豪快に衣を脱ぎ捨てていく。


 そんな私をあの男がどんな目で見ていよう、と、も……?


 ──ん?


 あとは内衣一枚を残すばかり、となった瞬間、どうしても気になってしまって視線が男の方へ向いてしまった。


 そこでようやく私は、男の反応が私の予想していたものとは違っていたことに気付く。


 ──なぜ、お前の方が、恥じらっているんだ……?


 私の方を見ていたはずである顔は、明後日の方向へ向けられ、目元は手によって覆われていた。しかし目元を覆う指と指の間には結構ガッツリ隙間が空いていて、そこからチラリ、チラリとうかがうように視線が飛んではサッと逸らされていく。


 ──いや、乙女か?


「そ、そこに用意した衣に着替えろ」


 私が思わず内心でツッコんだ瞬間、男は体ごと明後日の方向を向くと寝台を指差した。思わず素直に視線を向ければ、いつの間にかそこにキッチリと畳まれた衣が姿を現している。


 ──ん? もしかして先程こちらに手を伸ばしたのは……


 この装束を用意するためだったのか? 私に触れるためではなく。


「は、早くしろ! 薄着のままでいたら、風邪を引くだろう!」


 意表を突かれた私は、思わず内衣姿のままその場に固まる。そんな私の様子をどうやって把握しているのか、男は焦っているような、あるいは恥ずかしさを噛み締めているかのような声音で私を急かした。


 いや、まぁ……うん。まだまだ安心はできない。


 もしかしたら用意されている衣が、初夜に彩りを添えるかのような、いかにもいかがわしい物なのかもしれないし……


 私は警戒心を新たにしながらも、指示通りに衣を手に取る。


 ──いや、ものすごくまともな上に、かなり金子が掛けられた衣類だな、うん。


 用意されていたのは、この国の上級貴族達が着ている男性物の装束一式だった。内衣から外衣、さらには髪紐や小冠といった小物に至るまでしっかり揃えられている。


 清潔な内衣に、重ねて纏えば内から外へ、白から緑へ美しい色目を作り出す中衣と外衣。外衣の翡翠のように深く美しい色合いは、一体どのように染め上げられた物なのだろうか。襟や帯の刺繍は目が細かく、腕のある職人が細部にまでこだわって仕立て上げた極上の一品であることが、服飾に疎い私の目で見ても分かる。


 ──これに着替えさせる意図は、一体?


 頭の中は疑問で一杯だが、着ろと命じられれば否は言えない。


 私は衣を着付けると、自力で髪も整え、一度深呼吸をしてから声を上げた。


「着たぞ」


 ソワソワしながらも律儀に私に背中を向けていた男は、私の声にバッと勢いよく振り返る。


 視線が真っ向からかち合った瞬間、男がこぼれんばかりに目を見開いたのが分かった。さらに男の視線は私の脳天からつま先まで、全身を舐めるように往復する。


 そして、しばらくの沈黙の後。


「ふっ……ふぐぅ……っ!!」


 なぜか男は、不思議な悲鳴とともにその場に崩れ落ちた。


 ──は?


「やっ……やっぱり似合う……っ!!」

「は?」

「さすがは『晋泉しんぜい琅玕ろうかん』……!! 翡翠の色はやはり貴方様のためにある……っ!!」


 ──はい?


 両膝から崩れ落ち、さらに倒れ込みそうになる上半身を左腕を突っ張ることで支えた男は、右手で口元を覆いながらむせび泣いていた。


 咽び泣いて、いた。


 いや、なぜっ!?


「ああぁぁぁ憧れの御方の寝室にいるとかっ! 同じ空間で息をしているとかっ!! あまりにも不敬っ!! 不敬にもほどがある……っ!!」


 いや、私とお前なら、お前の方が立場は上なのだが……?


「あぁあ今すぐ床に埋まりたい……いや、壁になりたいっ!! 壁になって琅玕様の一挙手一投足をひっそり見守りたい……っ!!」


 ちなみに『晋泉の琅玕』というのは、私の異名だ。よく深緑色の衣を好んで着ていたことと、この人目を引く容姿のせいでそう呼ばれるようになったんだとか。


 いや、そんなことは、今はどうでも良くて、だ。


「権力振りかざして琅玕様をこちらにお呼びして良かった……! 敗戦の責を全部琅玕様におっ被せようとした晋泉のクソ貴族ども、マジで許すまじ」

「は? おい、ちょっと待て」


 いきなり壊れた男について行けずに黙りこんでいた私だったが、さすがにその言葉には黙っていられなかった。


「敗戦の責を全部私に負わせようとしていた、というのは一体何だ? そんな話、私は聞いていないぞ」

「はい? そりゃあ聞いていらっしゃらないと思いますよ?」


『デタラメなことを言うな』と非難しようとした瞬間、男は顔を上げるとキョトンと首を傾げた。そんな仕草をされると、急に目の前の男が幼くなったような錯覚を覚える。


「晋泉の政治中枢部は、『敗戦の責任は、戦場において翠廉すいれん皇子の指揮命令に問題があったからだ』として、琅玕様を処刑するつもりでした」

「な……っ!?」

「敗戦の不満を全て琅玕様に被せて引責処刑することによって、民の反感をかわそうという算段ですね」


 突然突き付けられた言葉に、私は思わず言葉を失った。男の口調が急に丁重なものに変わったことに気を向けている余裕さえない。


 ──それは、どういう……!?


 ザッと全身の血の気が引いていく。


 同時に、心の内のどこかでは、納得の声も上がっていた。


 そもそも、私が皇子でありながら最前線の激戦区で戦の指揮を執っていたのは、私が晋泉国政中枢部に煙たがられていたからだ。


 生まれの遅い第七皇子。母は近隣の弱小国家から寄越された人身御供。


 皇帝の子供の中で比べれば、私の身分は決して高くはない。そうでありながらこの人目を引く容貌と武才のためか、民や臣下からはそれなりに慕われていた。そんな私を政治中枢部から引き離すために……あわよくばそのまま戦死させるために、私はあえて常に戦の最前線に置かれてきた。


「晋泉中枢に潜り込ませた密偵からの報を受けた私は、琅玕様の処刑を回避させるべく、停戦条件に琅玕様の身代を要求しました」


 己が置かれていた状況を思い起こした私は、視線を伏せるとギリッと奥歯を噛み締める。


 だが続けられた言葉に、私はハッと顔を上げた。


「そうすれば晋泉中枢部は琅玕様の処刑を取りやめ、喜んでこちらへ寄越すと思いましたので……」

「っ……、なぜ」


 こぼれた声は、泰然とした響きを保てていなかった。弱さを隠せず揺らいでしまった声を、目の前の男は一体どんな風に受け取ったのだろうか。


「なぜ、敵国の主であるお前が、私のことを……」


 思わず私は再び視線を伏せる。


 常に強くあらねば、と思って生きてきた。そうでなければ私は、晋泉の中枢で生きていくことができなかったから。


 そんな私が弱さを隠せず声を震わせるなど、私自身が許せない。


 男の反応を恐れるかのように、私は視線を伏せ続ける。だが男からはいつまで経っても返事が飛んでこない。


「……?」


 じれた私は、思わずソロリと視線を上げる。


 そんな私の視界に映り込んだ男は、床に座り込んだまま緩く握った拳を顎下にあてると、伏せた視線を頼りなさげに揺らめかせていた。


 いや、だから、乙女か。


「あ、憧れ……だったの、です」


 再び予想していなかった反応を示された私は、先程と同じツッコミを胸中で繰り出す。


 その瞬間、男は『先程の威厳はどこへ捨ててきたのか』と問いただしたくなるような弱々しい声で呟いた。


「常に前線で刃を掲げ、兵を鼓舞する琅玕様が……貴方様の姿が、あまりにも、神々しくて……」

「こ、神々しい……?」

「帝位を押し付けられたばかりの若輩者の身に、その御姿はあまりにも尊いもので……」

「と、尊い……?」

「貴方様は、たとえクソ貴族どもの思惑の果てに処刑されるのだとしても、逃げることなどなされませんでしょう」


 そこまで言い切ってから、男はようやく立ち上がった。先程までと姿形が何ひとつ変わっていないのに目の前の男が妙になよなよしく見えるのは、乙女のような恥じらいの数々を見せつけられたせいだろうか。


 あるいは、男の纏う空気が、グッと柔らかくなったせいだろうか。


「ですから、こちらへお呼びしたのです。貴方様を、生かすために」


 フワリと、花がほころぶかのように。


 視線を伏せたままはにかむように笑った男の表情に、私は思わず吸い込まれるように見惚れていた。


 男の容貌が、一際優れていたからではなく。『覇王』と呼ばれている男が、頑是ない子供のように笑ったからでもなく。


 初めて、だったから。


 私の目の前で、こんな風に無防備に、心底嬉しそうにそっと笑う人間なんて、今までにいなかったから。


「……あ! なっ、なので、形は強制的な『嫁入り』なのですが、私から琅玕様に何かを強いるということはありませんっ! 煩い輩も湧いてくると思いますが、その都度手打ちにしていただければ……っ!」


 ……などと、静かに感動を噛み締めていたというのに。


 再び『はわわっ』と乙女よろしく恥じらいを見せた男は、何だかとんでもないことを口走り始めた。


「こっ、今晩、私はこの部屋に滞在しますが、決して琅玕様に手は出しませんので……っ!」

「はぁ」

「『初夜に妃を放置して自室に戻った』と噂されれば、また面倒なことになりかねないので、申し訳ありませんが滞在だけはお許しいただきたく……!」


『自室に戻る』ということは、ここはこいつの寝室ではないのか? むしろそこから説明してもらいたいのだが……


「私は床で休みますので、この部屋の主である琅玕様はそちらの寝台でお休みください」

「待て。待て待て待て」


 相変わらず状況に理解が追いつかないが、とりあえず目の前の男がナナメ上な発言を繰り返していること自体は分かる。


 というよりも、そろそろ『琅玕様』呼びをやめてほしい。私の名前が翠廉であることを、貴様は承知しているはずだろうが。


「国主であり、夫? である貴殿を床で休ませたら、それこそ臣下に私が責められるだろうが」

「私と琅玕様さえ黙っていれば、知られることはないかと思いますが?」

「いや、それはそうだが」


『そういう話をしているのではなく』と仕切り直した私は、寝台を示しながら呆れた視線を男に投げた。


「休むだけなら、ともに使えばいいだろう。十分に広いのだし」

「と、共寝っ!?」

「いや、まぁ……端と端に分かれて、それぞれに使えば良いのではないかと」

「お、おおお同じ寝台で休むなどっ!! そ、そそそそんな破廉恥な発言、してはなりませんっ!!」

「いや、お前、この寝台の広さ、分かってるか?」


 端と端に分かれて転がれば、双方が目一杯腕を広げても恐らく指先が触れ合うことさえない広さだ。


 その寝台でただ眠ることが、破廉恥……?


『もしかして晋泉とか倫理観が異なるのか?』と思わず哲学的な疑問を抱いた瞬間、『覇王』と恐れられているはずである男はガバッと勢いよく床にひれ伏した。


 これは、あれだ。土下座。


 なぜか強制的に嫁に取られた身である私が、私を差し出させたはずである覇王に土下座されている。


「私は床で十分ですっ!! むしろ床で寝かせてくださいお願いしますっ!!」

「お、おい」

「憧れの琅玕様と同じ部屋で息をしていることさえ信じられないのにっ!! 同じ寝台で休むとかほんっっっっとに無理なんでっ!!」

「えぇ……?」

「私の心臓が明け方までに止まったら困るでしょうっ!!」

「それは、困るが」


 ──何だか、思っていなかった方向に前途多難なような……


 ひとまず、こいつに寝台を使わせるにはどうしたらいいのだろうか? いっそ絞め落として、気絶したところを寝台に放り込めばいいのだろうか。


 予想外の方向に苦労しそうなこれからの生活に、私は思わず重く溜め息を転がすのであった。

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