作文讀

すらかき飄乎

作文讀

 さいと二人で買物に出たのだが、目當めあての物が一向に見附みつからず、仕方無しに戾つて來た。

 うにも殘念に思はれたが、今日は祝事いはひごとの日なればとて、思ひ返󠄁した。

 今から考へれば、一體いつたい、何の祝だつたのか、又、買物も何を目當めあてに出掛けたのか、皆目かいもく思出おもひだされず判󠄁わからぬのだが、其時そのときは、然樣さやうなる疑念はがうも頭に浮󠄁かばなかつた。

 十二疊の座敷󠄁には、床柱とこばしらを背にぜんしつらへてあり、席の正面は、三尺さんじやく程󠄁ほどを開けて、左右にずらりと膳の列が向合むきあふてならんでゐた。客は何でも十人ばかり寄るらしい。

 の大きな膳の上には、すでに、こひやらたこなますやら、きじ炙肉あぶりにくやら、あはびの干物やらが、各〻おの〳〵、皿にうづたかく盛󠄁られてゐる。飯もまた、皿に山と盛󠄁られ、しほやら酢やらひしほやらの小皿の手前に、銀のさじと銀のはしとが置かれてゐた。膳の隣には三方さんぱうならび、上には土器かはらけの酒器があつた。さうして、二つの杯にそれぞれ七分目程󠄁、白く濁つた酒と黑く濁つた酒とが注󠄁がれてゐる。しかるに、整つてゐるのは余の膳のみ。客の膳の上には、まだ何もならんではゐない。

貴方あなた一寸ちよつと…… 貴方、一寸……」

 玄關からさいが呼ぶ。行つてみると、開け放たれた格子戶の外に、ぼうかぶらず、しま襯衣シヤツの上に粗い十字絣じふじがすり筒袖つゝそでを着流した小太りの男が、風呂敷󠄁を背負󠄁 つて立つてゐた。男はの姿󠄁を認めると、おもむろに深〻と頭を下げた。

「こちらは……?」

 さいたづねたはずが、先に男の方が答へた。

「へい、作文讀さくぶんよみにごぜえす。今日は、御祝おいはひと聞及󠄁びあんして……」

 さう云ふが早いか、朗朗らう〳〵たる音聲おんじやうにて――



   御聽聞ごちやうもん! 御聽聞!

   えゝ、作文讀さくぶんよみ! 作文讀!

   只今たゞいま參上さんじやう仕候つかまつりそろ

   さても、扨も

   づは、まんづは

   御覽ごらうじ! 御覽じ!

   御覽ごらうじあれかし!

   御覽じあれかし!



 節回ふしまはしも面白く口上を述󠄁べては、じつ福〻ふく〴〵しいかほで笑つてゐる。

 さて、作文讀さくぶんよみとは何だらう?

 子供の頃、曾御祖母ひいおばあさんから、何でも祭文讀さいもんよみとか云ふ門附かどづけの話を聞いた事があつたやうに思ふが、はて、それ何如いかなる筋立すぢだてだつたか、どうも全く思出おもひだされない。祭文讀さいもんよみと作文讀とでは、似て非なるものかとも思はるゝが、かく此男このをとこ門附かどづけには相違󠄂なからう。

 福〻ふく〴〵しい貌附かほつきかへつていさゝか――いやすこぶ胡散臭うさんくさいが、祝の席と云ふのに、門附かどづけことはるのは緣起󠄁でもない。

「やあ〳〵、本當ほんたうに好く來て下さつた。どうぞ〴〵、上がつて下さい」

 內心は厭〻いや〳〵ながらも態度としては鷹揚おうやうに笑みを浮󠄁かべて招くと、男は早速󠄁さつそくかまちに腰󠄁を掛け、薩摩さつま下駄げたをひよい〳〵と足でそろへた。決して行儀が良い振舞ふるまひとは云はれぬが、かろやかなる足捌あしさばきは中〻に上手うまいものであつた。ひよつくり起󠄁ち上つた所󠄁をいざなふと、摺足すりあしのやうにして附いて來る。それを半󠄁身になつたまゝ導󠄁いて行くのだが、男が步を進󠄁める程󠄁に、床板がしづかにきしみ、あまつさへ、こせ〳〵と衣摺きぬずれする音が、耳の奧を針で引搔ひつかくやうに何とも甲高かんだかく響きわたる。それうにも氣になつて仕方が無い。

 玄關げんくわんからつゞく長い廊下は眞直まつすぐぐ緣側へと到るのだが、くらしづんだ此方こちら家內やうちと、雨戶も障子も悉皆こと〴〵開放あけはなち片側を天然の遍󠄁照へんぜうさらした彼方あちらとでは、同じつゞきの床板乍ら、陰と陽とが畫然かくぜんたるていで境をことにしてゐる。黃泉平坂よもつひらさかを往󠄁來する如く、余が先に陰から陽へと遷󠄃うつる程󠄁に、男もぢきに陰陽の境界きやうがいを入れ替はつた。くらがりでは、彼程󠄁あれほどかんに障つた男のあしおとも、ひかりうちに入るや、はたり〳〵とかろやかに響き始めたのが、すこぶる不可思議でもあり心地好こゝちよかつた。

「どうぞ、こちらに」

 一旦、ひかへ小閒こま這入はひり、余は其儘そのまゝつゞきの座敷󠄁へと通󠄁つた。左正面のとこには、呂洞賓りよどうひんを描いた幅のせまい水墨の軸が掛つてゐる。余は、膳の列の向き合ふたあひだを奧に進󠄁んだ。左見右見とみかうみすると、それぞれ膳の上には、白木の匙と白木の箸とが新たに加つてゐる。しかして、皿小鉢さらこばちいまだ一つも出てゐない。

 余は、水墨の軸を右の背にして、樂坐らくざの姿󠄁勢にて己の膳に向つた。

 作文讀さくぶんよみは小閒に、跪坐きざていで控へてゐる。

「君、そんな所󠄁に居ないで、此方こちらに來給へ」

否〻いや〳〵、めつさうも―― さう仰言おつしやつていたゞきます所󠄁 、はゞかながら…… 殿屛風びやうぶなんぞは、ごぜえませうか? 支度したくがごぜえすで――」

 「殿樣」なるしよう何如いかにも大袈裟おほげさと苦笑したが、しかし、能〻よく〳〵思へば、はて、おれ左樣さやうなる身分であつたかと驚いた。

 たしかに多田ただの滿仲まんぢゆうすゑ土岐とき源氏げんじ系譜󠄁ながれにて瓦解ぐわかいの前は上聽おめみえ以上の家格いへがらであつたと少時から度〻たび〳〵聞かされてきたやうな氣もする。殿樣と呼ばるゝも至當したうかと思へば、さすがに惡い氣はしない。

 もつとも、男がさう云ひ終󠄁るか終󠄁らぬかの閒合まあひで、何所󠄁どこからか腰󠄁元然こしもとぜんたる白塗しろぬりの女が四人よつたりわや〳〵出て來て、萬事ばんじ押退󠄁おしのけんばかりの亂暴らんぼう手際てぎはで男の周りにさつと屛風を巡󠄁らせると、たちまちばた〴〵何所󠄁へやらに引込󠄁んだので、殿樣氣分の上機嫌󠄁にも遺󠄁憾ゐかんながら水を差されたやうな恰好かつかうになつた。

 屛風の蔭では男が何やらごそ〴〵遣󠄁つてゐる。時折、屛風の上から男の腕が覗いたり、何かゞあたつて大きく搖れたり、中〻の騷動であつたが、しばらくしてぱたりと音が止んで靜かになつたと思つたら、頭をきりゝと手拭てぬぐひに卷いて、柿色に辨慶縞べんけい小袖こそで著込󠄁きこみ、紺に毛卍けまん裁附袴たつゝけといふ裝束しやうぞくにてにじり出て來た。

きみその恰好かつかう一體いつたい何ですか? 獅子しゝまひでも遣󠄁心算つもりかね?」

「獅子舞とは何ともおほせでごぜえますがな…… まあ、それはさておき……」

 いや豫感よかんは的󠄁中するもので、氣が附けば、果して何時いつの閒にかに右の脇に綠色の小さな獅子しゝがしらを抱へてゐる。

「時に、作文はどうするですか?」

「作文でごぜえすか? 作文は…… さうでがすな、何如いかゞ致しやせう」

否〻いや〳〵それ遣󠄁つてもらはねば困ります。さういふ約󠄁束にて其許そこもと請󠄁しやうぜしめたれば、是非はい。しか遣󠄁つてれ給へ」

「はあ、まあ…… わつち肚積はらづもりにては…… えゝ、それあ、奧方樣ですな。奧方樣の御書きあそばしたる作文をば拜領はいりやう致しまするです。それをば讀みまするです。見事みごと奉讀上よみあげたてまつりまする」

「何と…… おい、おい、居るかい?」

「はい」

 小閒の更に奧の閒から、さいが顏を出した。

「聞こえたかね?」

「いゝえ」

此仁このひとは、御前おまへに作文を書けと云つてゐるが、どうするね?」

「あら、さう? さうですねえ、困つたわ―― でも、折角せつかくの貴方の御祝おいはひですもの。喜んで書きませう」

 さいは、早速󠄁、小閒に小さな文机を運󠄁び込󠄁むと、下を向いて何やら揮毫したゝめ始めた。

 それから廿分許にじつぷんばかり、男は跪坐きざまゝ控へてゐたが、やが何如どうにもたまらぬと云つたていで、もぢ〳〵肩󠄁を搖らし始めた。さいはと云へば、時折ときをり氣遣󠄁きづかはしげな面持おもゝちで、や男の方をうかゞふのだが、筆は中〻に進󠄁まぬ樣子。

 何だか、此方こちらの心持もそは〳〵落着かぬやうになつてきた。

「あのう、殿樣――」

「何かね?」

「まあ、そのう、何でがすが―― そのう、奧方樣の御立派なる御作文おんさくぶん仕上しあがりまするまでまひをひとさらひ、さらへてもよろしうござんすか?」

 躊躇ちうちよした口振くちぶりを裝ひつゝも、其實そのじつは隨分と放膽はうたんなる願望󠄂ぐわんまうである。何とも呆れる思ひがした。

此所󠄁こゝでかね?」

「いやね、何なら御庭でも何所󠄁どこでも結構でがすが……」

 貴紳きしん祗候しこう最中さなかいて、一向いつかう分をわきまへぬ無禮ぶれいなる訴へに肚の中では何とも苦〻にが〳〵しく思つたが、こゝは殿樣らしく泰然たいぜんと構へねば莫迦ばかにされると大いにてらつて、莞爾くわんじたる破顏はがんして頷いて見せた。

否〻いや〳〵面白い。此所󠄁でさらへて下さい」

「へい…… それでは、御言葉に甘へやして――」

 男がさつと敷󠄁居を躍󠄁越とびこえて、膳の列の閒に這入込󠄁はひりこんだと思つたら、一寸ちよつとなる身振手振みぶりてぶりで舞ひ始めた。

 大仰おほぎやうにひら〳〵獅子頭をひるがへひるがへし、半󠄁眼はんがんになつた神妙しんめうなる面持おもゝちにて、何やらもぐ〳〵口の中で唱へてゐるあはひに、たちま摺足すりあしを進󠄁め、此方こちらにずん〴〵寄せて來る。ぎら〴〵した獅子の齒がの鼻󠄁やら耳やらをかすめるやうに、矢鱈󠄁やたらとかち〳〵鳴る。あはや!と身を固くすると、今度はする〳〵と引いて小閒のきはへと退󠄁 く。相互の閒合まあひが開いた樣子に、やゝ安堵あんどして身構みがまへほどけると、又ひらりと寄せる。

 中〻油斷ならぬ劒呑けんのんなる有樣ありさまに、はら〳〵しながら見遣󠄁ると、文机からおくが首を捻り、一層困つた貌附かほつきで、ちら〳〵座敷󠄁を振返󠄁つてゐる。

 作文などもう何如どうでもいのに! 何を暢氣のんきに筆なぞ握つてゐる!

 何だか無性に腹が立つた。

 かく此擾このさわがしい狼藉者らうぜきもの追󠄁出おひだして吳れよう、そもそおれを殿樣呼ばゝりなんぞ、てんで莫迦にしてゐる――


 さう思つた途󠄁端とたん、はつと目の前!


 男の顏が眞赫まつかに迫󠄁つてゐて、半󠄁眼のまぶちがくわつと開いた。




                         <了>










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作文讀 すらかき飄乎 @Surakaki_Hyoko

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