ノエルの星空に(後編)
彼女は、シート下から浅いヘルメットを取り出すと、僕の頭に被せた。
彼女自身は、相変わらず黒いとんがり帽子だ。良いのか?
「あんた、人間でしょう? 道交法で挙げられたいの?」
どうも、フランスの法律は、魔法使いには甘いらしい。
そうして、僕を、シートの後ろにまたがらせると、
「い~い? わたしのお腹に腕を回して、しっかりと掴まるのよ! ただし、変なところに触ったりしたら、ぶっ飛ばすからね!」
魔法使いならば、もう少しエスプリの利いたやり方はできないのだろうか、と思ったけど、ドゥカティ・スターファイターV4は、
ブワン!
と爆音を上げると、僕と彼女の2人を乗せてふわりと浮き上がり、僕の足は、もう、地面に届きもしなかったから、下手な悪態はやめておいた。
彼女のウエストに腕を回して、右手で左手首をしっかりと掴む。
ドゥカティは、そのまま、八角形の噴水池の上を、周りの人らの視線も気にせずに飛び越えると、左旋回して、コンコルド広場の車の流れの上に出た。
相変わらずの車の混雑だ。
「どうよ、上からの眺めは?」
彼女が尋ねた。
「あんたの題材でしょう?」
ま! あんまり変わらないね、下から見ようが上から見ようが。
コンコルド広場は、随分と描いたけれども、題材としては、絵画よりも、ニュース映像のものなのかも知れない。
「エスプリの利かない論評ねえ!」
コンコルド広場からは、先ほどまでいたチュイルリー庭園と反対側の縁から夜の空へ、あふれる色彩の光の奔流が流れ出して行く。
シャンゼリゼ通りだ。
セーヌ川の向こうからは、今年は大活躍したエッフェル塔の光が、周期的に夜空を照らしながら、こちらにも指して来る。
ドゥカティは、広場中央に立つ高さ23メートルの石のオベリスクの尖った先端部分を右手に見ながらゆっくりと旋回すると、
「そうしたら、行くわよ!」
彼女がグリップを握り込み、ドゥカティは、
ブルン、グアァァァン!
と、音を高めて、北の夜空に向けて滑り出した。
パリの街路は、会津と違って、基本、三角形の集まりで構成されている。
会津の街が四角四面な会津の人間の反映なのなら、パリの夜の街の車の灯りの流れは、まるで、蜘蛛の巣の糸の様だ。
その光の糸の上を、ドゥカティは、走って行く。
「きゃっほー! 華やかね!」
と、彼女ははしゃいでいる。
でも、その華やかさは、共に楽しむ人のいる者の楽しむものだ。家族や、成功を共に祝ってくれる仲間がいる人のものじゃないのか。
「ま! そうかもね!
でも、わざわざ自分を、そこから除外しなくたって良いのじゃない? とりあえず、ノエルは、みんなのものなんだし」
街の華やかな光の流れは、一つは、オペラ座のひときわ大きなかがり火に向かって流れていく。
僕らはそれを足下に眺めつつ、道なりにくねくねと向きを変えながら、全体としては北へ、恐らく昼間ならばモンマルトルの丘に建つ白亜のサクレクール寺院を目指して進んでいたはずだ。
ただし、その行く手には、サントトリニテ教会の高くていかめしい塔が立っていた。
「そろそろ、落ち着いて来るわね!」
確かに。
街のにぎやかさには変わりなくても、オペラ通りの華やぎに比べれば、落ち着いた眺めだ。
でも、そこを、ドゥカティ・スターファイターは、
ブアアアン!
と爆音を上げて通り過ぎていく。
そうして、静かな裏通りはあっという間に過ぎて、クリシー通りは、賑やかな夜の歓楽街だ。
「ここは、良いわ! 酔っ払いばっかりなんだから」
彼女は、メトロの通りを素通りすると、細い裏通りに入って、モンマルトルの丘の中心、テルトル広場への急な坂道を一気に ――、途中まで上がった。
プスン、プスン。
ドゥカティ・スターファイターは、鼻風邪みたいな声を上げると、
「あー! 駄目だわぁ!」
彼女が、坂の途中で、ふらふらと地面につかせると、僕らは地面に不安定な姿勢で降り立っていた。
SDG's、やっぱり大切にしても良かったかもよ?
「とにかく、上まで行くわ! ここまで来たんだから!」
彼女は、ハンドルをつかんで機体を起こすと、
「押して!」
と、僕に命じる。
こうなる気が、なんとなくしてたんだ。
僕らは、二人で、時々、
ブルルン! プスン、スン!
と、やる気だけはあるみたいな音を立てるドゥカティを、急な上り坂を押していく。
そういえば、今日は、ノエルだよ?
「体が! 暖ったまる ――、でしょ!」
前向きなんだか、負けず嫌いなんだか知らないけど、確かに、汗が噴き出て来た。
「後で、風邪ひかない ―― でね!」
優しいんだか、人使いが荒いんだか?
とにかく、彼女はハンドルを支えているけど、全重量は、ドゥカティがふわりと坂から浮かぶたびに、後ろから押す僕にかかって来る気がする。
それでも、ドゥカティは、少しずつ坂を登って、ついにテルトル広場に!
「ついたー!」
彼女は、スタンドを立てると、「キャハ!」と僕に飛びついて来た。
うん、爽やか系の香水は、嫌いじゃないよ。
広場は、いつもの事だけれども、人でいっぱいで、
「お兄さんたち、似顔絵描いて行きなよ!」
「ボンソワール! 恋人たち!」
「ノエル、おめでとう!」
と、遠慮なく僕らに声を掛けて来る。
広場の中央は、パラソル1本や、椅子とイーゼルだけみたいな店構えの連中が、絵を描いたり売ったりしている。広場を囲むカフェでも、じいさんたちの一群や、夫婦らしいカップルや、若者の集まりが、はしゃいだり、静かに景色を眺めたり、ワインを開けたり、思い思いに過ごしている。
「クラスメートとか、いるんじゃない?」
いるかもね。でも、もう良いんだ。それより、疲れたよ。
売店で、チキンの手羽焼きとポテトとリンゴジュースを買った。
さすがに、ノンアルコールだね?
っていうか、僕がお金を払わされてるんだけど?
「良いじゃない! わたし、ガソリン代出してるもん!」
そこ、魔法使いなんだったら、なんとかならないの?
「あんたこそ、日本人なら、葉っぱをお金にして見せなさいよ!」
それ、人間はやらないよ。タヌキがやるんだよ。
「そういえば、あんたの国のお札、新しくなったのよね? タヌキに偽造技術で追いつかれた?」
知らない! 国営テレビのドラマの主人公が一万円札になったんだよ。
二人で、ドゥカティのところまで戻って、フェンスにもたれて街を眺めた。
無数の光が、相変わらず、蜘蛛の巣の様な道筋に連なり流れていく。
「今年は、オリンピックがあったり、大変だったわ! でも、ああいうお祭り騒ぎもたまには良いわね。たまにならね!」
魔法使いでも、オリンピック観るんだ?
「いとこが出場して大変だったのよ」
ふ~ん。何に出場したの?
「重量挙げよ。11位だったわ!」
魔法使いも、随分と地味な競技をやるんだね?
「魔法使いだって、基礎体力は大切よ!」
今日は、どちらかというと、人間の僕の基礎体力を削がれたよ。
彼女は、ポテトを口に放り込むと、僕に視線を向けた。
「ふふ! ありがとう」
そういうと、いきなり、僕の頬に、柔らかい温かな感触が触れた!
あ! わざとケチャップつけたろ!?
僕らは、そうやって、フェンスに並んで、眼下に広がるパリの街を眺めていた。
遠くに、一画、周囲より暗いのはチュイルリー庭園とコンコルド広場だ。
僕は、コンコルドが好きだったんだ。
近代とオリエントが同居する様なエキゾチックな雰囲気に惹かれていたのだけれども、実際に来てみると、自動車がいっぱい走るばかりのやかましい広場に思えて、これなら、東京の原宿の明治通りや表参道を描いていても同じな様に思えて来てしまったんだ。
でも、こうして丘の上遠くから望むコンコルドは、なんだか、懐かしくて、僕に、
「もっとちゃんと見てくれよ!」
とでも言っている様な気がして来る。
「ふふ! 見てあげたら?」
彼女は軽く笑って、
「大体、あそこだって、結構、歴史がエグいのよ!」
知ってる。子供の頃に漫画で読んだ。
「でも、あの漫画が出た時、フランスはパニックになったんだから。日本人がフランスの歴史を漫画に描いたって」
そういう、前の世代の凄い人がいるから、後の世代は大変、っていうのもあるけどね。
「まあね! でも、そんなのは、いつの時代でも、どこの国でも一緒よ」
背後のサクレクール寺院から、そして、眼下の街中の教会から、
カラン、カラン
カラン、カラン
と、鐘の音が響いて来た。
周囲の人たちは、また、
「ジュワイユ、ノエル!」
「メリー、クリスマス!」
などと、相手構わず声を掛け合っている。
パリでは、ノエルが終わると、あっという間に年が暮れる。大晦日も正月もあったもんじゃないから、これが、一年の締めくくりみたいなもんなんだ。
今年も、ひどい一年だったな。
でも、楽しい事もあったかな。
来年、僕は、どうしているのだろう。
「また、『ひどい年だった」ってぼやきながら、わりかしどうにか生きているのよ」
僕の隣で、彼女が笑った。
「あー! 少なくとも、今夜は楽しかったわ!」
そうかもね。そう‥‥、だね!
彼女は、僕から離れて、両腕を頭上に伸ばした。
そうして、僕に視線を向けて、笑みを浮かべる。
もう行っちゃうのだろうか?
‥‥、もう、遭えない?
「ふふ!」
彼女は笑った。
「あんたが、オランジェリーの前で、もう少しましな顔をしていたら、声を掛けるわよ!」
そういうと、ドゥカティにまたがり、スタンドを上げて、
グアン!
と、爆音を挙げた。
「その時には、ホンダよりすごいってところを見せてあげるから! じゃあね! メリークリスマス!」
彼女を乗せたドゥカティは、
グァァァァァン!
と爆音を挙げて舞い上がり、星空にビュンと消えて行った。
~ 終り ~
ノエルの星空に デリカテッセン38 @Delicatessen38
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