ノエルの星空に
デリカテッセン38
ノエルの星空に(前編)
オランジェリー前のベンチに、打ちひしがれて座る僕の周りで、冬の街はにぎやかだった。
庭園と、隣接するコンコルド広場は、いつもの様に車の音と、そうして、今夜は、賑わいだ人声であふれていた。
日の暮れたチュイルリーの入口近くの八角形の噴水池の周りも、ノエルの今夜は、家族づれや恋人たちなど幸福な人たちが、行きかっているのだ。
学内コンテストで今年も佳作どまりだった僕は、身の置き場もなく、ここに座っていたのだった。
留学2年目、来年には、きっと、帰国するしかないのだろう。
父と母は、何も言わずに迎えてくれるだろうが、身の置き所のない事は、ここパリも、会津の町も変わらないのだ。
足元の靴先も、遠い街灯に仄かに輪郭が確かめられるばかりの僕の周囲で、
ブワン、ブワン
と、爆音と人声がやかましい。
どこの人間が、この公園にバイクを乗り入れたのかと、周囲を見回したが、それらしい影は見当たらなかった。
「ちょっと、あんた! 呼んでるのを無視しないでよ!」
頭上からの声に振り仰いだ僕は、わっとひっくり返りそうになった。
夜空の3メートルほどのところに、大きなマシンが浮かび、それに
プスン、プスン
と、調子の悪そうな音を立てて、僕の前に下りて来た。
思わず、しげしげと眺めてしまったが、そりゃ、そうだろう?
彼女は、枯草色のカールの強い髪を後ろで束ねて、頭には、黒いフェルトの三角帽子をかぶっていた。
「イタリアのマシンは、デザインはイケてるんだけど、どうも調子がイマイチなのよね!」
彼女は、マシンからひらりと下りると、スタンドを立てて停止させた。
っていうか、君、何者? これ、何?
「何者って、見ての通りの魔法使いよ! これは、ドゥカティ・スターファイターV4よ!」
女の子は、「見れば分かるだろ!」と言わんばかりに、僕を
え? 魔法使い?
魔法使いがドゥカティ?
魔法使いって、
「は? 箒?」
彼女は、青い目をしばたたかせた。
「あんた、ダイソンの人? あんなもんで空を飛べる訳がないでしょう!」
そう言って僕を眺めて、
「はあん! 東洋人だとは思ってたけど、あんた、日本人ね! アニメの国の人だったのね!」
いや、アニメはそんなには見ないし、ワーナーブラザーズの映画でだって箒だったよ。
「大体、あんなものに
痛いって、どこが?
と思ったとたんに、頬がバチンと平手打ちを食らった。顎が曲がりそうになって涙が出た。
「いやらしい! 何、考えてんのよ!」
え? 僕、何か悪い事言った!?
だいたい、イタリアのドゥカティが、こんなものを作ってるなんて、聞いた事がないんだけど。
「あ~! 加盟国限定モデルなのよ」
すげえな、EU! 抜けたブリティッシュが理解できない。
「そんなコロナ前の話はどうでも良いわ! それより、ちょっと手伝ってよ」
彼女は、ドゥカティの荷台のボックスから、古めかしいカンテラを取り出して、僕に押しつけて来た。
「それで、わたしの手元を照らしてて欲しいのよ」
古風なカンテラは、魔法使いっぽかった。ただ、どうやって火を点けよう? ライターとか持ってないんだけど。
「ソーラー式よ。
僕は、スイッチに気がついて点灯した。
けっこう明るい。
「どうもね、プラグのところの接続が悪いのよね!」
って、それ、V型エンジンだよね? SDG's は、どうした?
「フェラーリが、モンマルトルに登れる電動バレを出したら乗るわよ」
彼女は、ぶつぶつ言いながら、マシンの調整をしている。
ドゥカティの次はフェラーリと来た。イタリアが好きだね? フランスの魔法使いなのに。
っていうか、今さらだけど、魔法使いがこんなところで何をしてるの?
そのフェルトのとんがり帽子は、何?
「良いじゃないのよ、今夜はノエルよ!」
ふーん。魔法使いって、キリストの誕生を祝うんだ?
「何言ってんのよ。クリスマスの次の週にはブッダのお寺に行く国の人が」
うちは、年明けは、天満宮にお参りするのが習いだったけどね。
そういえば、日本では、梅の木も空を飛ぶんだった。空を飛ぶのは箒って、けっこうな固定観念だったんだな。
彼女がハンドルを握って、片足でキックペダルを踏み込むと、ドゥカティは、
ブワァン!
と、景気の良い爆音を上げた。
「よし! こんなもんでしょ!」
と言って、彼女は、僕に振り返った。
「あんた、暇? 暇よね! 顔に書いてあるもん!」
え? なんか勝手に決めつけられてる気がするんだけど? 暇だけど。
「よし! ドゥカティの乗り心地を味わわせてあげるわよ。ホンダやヤマハと違う所を、見せてあげるわ!」
彼女がグリップを握ると、ドゥカティは、
グワワン、ワン!
と、威勢の良い声を上げた。
~ 続く ~
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