雪のディストピア

文鳥亮

第1話・完結

 これはある人の日記で、ノートPCに残されていた。


十二月二十四日(一日目)

『東京地方に初雪が観測された。ちらほらと舞う粉雪に人々はクリスマスイブのロマンを感じた。寒波の襲来でこのあとは氷点下に気温が下がるそうだ。ここ何年かは、なかなか氷点下はなかったが、めずらしいことだ。

 うちはクリスチャンではないが、なんとなくうきうきする。妻と二人でケーキを食べた』


十二月二十五日(二日目)

『気温の影響か、意外にも雪が積もっている。それどころか、ちらほらではなく、さーっという感じで降り続いている。気温は昼間でも零度以上に上がらないらしい。以前にあったかもしれないが、ちょっと記憶にない。

 東京人は雪に慣れていないため、早くも転ぶ人が続出している。小生ももちろん同じで気をつけねば。TVニュースは、そんな降雪の話題でもちきりだ。交通も乱れている。

 だが外では子供たちが元気にはしゃいでいる。確かに彼らにとっては雪が積もるのは楽しい経験だろう』


十二月二十六日(三日目)

『一晩明けたらあたりは雪に埋もれている。しかもドカ雪ともいうべき降り方だ。大雪の警報も出た。奇妙なことに雪雲が掛かっているのは東京を中心とする一帯だけだそうな。まさに異常気象であろう。

 気象庁も原因を調べているがさっぱり分からないらしい。現象としては、北極の気流がジェットになって東京に達し、渦を巻いているという。

 我が家の周辺でもすでに降雪は五〇センチに達するほどで、こんなことは数十年ぶりだと思う。おまけに気温が下がる一方で、ぱさぱさの雪が密に積もっている感じだ。

 小生も老体に鞭打って雪かきに参加した。家の周囲や、道路脇には、どけた雪が集められてうず高く山を成している。しかし、どけてもどけてもすぐに雪が積もってくる。何やら恐ろしい気がして震えが止まらなかった』


十二月二十七日(四日目)

『なんということだ! 降雪は一メートルを軽く超えているではないか! しかも吹雪で見通しが効かない。気温は氷点下どころか、明け方にマイナス二〇度に達したという。もちろん史上初だが、この天候はまだ当分続くらしい。

 昨日に近くのコンビニで食糧を少しだけ調達したが、今日はもう無理だ。吹雪の中に徒歩で出るなど死にに行くようなものだろう。そもそも店が開いているかも分からない。

 車道も幹線道路以外は通行できなくなったようだ。昨日ならば車で都外に出られたろうが、もはやそれも無理である。当然電車も止まっている。地下鉄は一部動いているが、都外に出ようとする人が殺到して大混乱だそうだ。

 どうもわれわれは脱出の機会を逃したようだが、吹雪さえ止めばなんとかなると思う。それまで持ちこたえよう‥‥‥

 しかしこれはいったいどうしたことなのか。東京が北極になるのか? たちの悪い夢ではないかと思うが、現実なのだ。

‥‥‥神のしわざ?

 首都機能はこうしてマヒしつつあるが、まだ電気もガスも通じている。幸い、米が一〇キロほどある。老夫婦だけなら、これでかなりの日数が凌げるはずだ。水は雪を解かせばよい。

 夜に海外在住の息子から国際電話。一時間以上繋がらなかったとのこと。大丈夫と答える』


十二月二十八日(五日目)

『猛烈な吹雪が続いている。朝の時点ですでに雪は二階の窓下に迫っている。つまり三メートル積もったということだ。怖ろしいことに玄関が開かなくなった。開いても雪の壁があるだけだが、どのみち小生には道を切り開く体力はない。

 ちなみに首相は「原因を究明せねばならない」などとネバっていたらしいが、今朝になってようやく緊急事態宣言を発出した。北陸や東北から応援のために除雪車が駆け付けたが、東京周辺部もかなりの降雪があり、事故渋滞その他で道が埋もれて都内に入れないという。自衛隊も出動したが難渋しているらしい。必要なのは雪上車ではないか。あとはスキー?

 東京のTVやラジオの放送局は放送を中止した。というより、できなくなった。地方の放送局はまったく平常だが、東京の様子が分からないと述べている。アナウンサーが「一刻も早く避難してください」と連呼しているが、そもそも家から一歩も出られない。地下鉄も止まったが、地下トンネルが唯一の輸送・連絡経路とのこと。

 外気温は真昼間でもマイナス二〇度以下。タワマンの上層階はもっと冷えているらしい。

 エアコンはすでに使えなくなっているが、まだガスストーブとコタツがある。室内の気温は一〇度にもならないが、なんとかなるだろう。がんばろう。でも酸欠や一酸化炭素中毒に注意せねば。

 二人でご飯だけ炊いて食事をした。佃煮類はまだある。

 夜に再び息子から電話。大丈夫と答えたがどうだろうか。帰国はするなと伝えた』


十二月二十九日(六日目)

『もはや外の様子は全く分からない。二階の窓も完全に埋まり、多分積雪は五メートルを超えている。一階は真っ暗。我が家は鉄骨コンクリート二階建ての小さなビルで、屋根が潰れる心配はない(と信じる)。気の毒だが、木造家屋はほとんど全潰だろう。幸いに、なぜか二人分の空気だけは入ってくるようだ。

 それにしても、いったいなぜこんなことになったのか? 地球は温暖化しているのではなかったか?

 ちなみに夜中に電気もガスも止まっていた。電話も携帯電話もだめだ。つまり外部と連絡すら取れなくなった。

 室内はマイナス一〇度以下のようだが、測定不能。あちこちに氷が付いている。しかし外はもっとはるかに寒いのだろう。この一晩で急速に状況が悪化した。

 大地震を想定した都内の防災拠点や計画は機能しなかった。

 もはや死が現実の問題である。

 ラジオは何かを叫んでいるが、よく分からない。要するに救援しようにもできず、切歯扼腕しているらしい。なにしろ吹雪で地上の移動ができず、都内の被害状況は全く不明なのだ。

 官邸は細々と機能しているが、中央官庁も行政も民間も完全な機能不全とのこと。電池はまだあるが、この先を聞く気がなくなった。どうやら救いは来ないようだ』


十二月三十日(七日目)

『二人とも夜の間に一気にやられた。ありったけの衣類を重ね着し、蒲団にくるまっていたが、手足が凍傷になったようだ。ひどいしくじりをやった。おかげで感覚がないし歩けない。いよいよ死ぬのか。石油ストーブさえあれば良かったが、残念ながらなかった。蝋燭ろうそくが唯一の熱源だ。

 正常に動いているのは腕時計だけで、これがわれわれの残り時間を刻む。

 氷河に閉じ込められたような状況に、妻は達観して「二人で天国に参りましょう」などと言っていた。すでに十分に生きたということらしい。

 その彼女は呼んでも返事をしない。朦朧としているようで、それは小生も半分同じだ。酸欠や煙が怖くて火も焚けなかった。登山やキャンプの装備や知識があれば、もう少しマシだったと考えると少し残念だ。まだやり残したことがあるはずだが、思い出せない。

 小生は妻のような境地になれず、無念である。

 ちなみに指が動かないのでこれだけ打つのに半日かかった。時間の感覚がないが、どうやら夜になったようだ。寒さを感じなくなってきた。


 なんだかいい気持ちだ。眠い。だが眠ったら 

終わり

 だ』


(転載者注:時間経過不明)

『おきたらつまが こおって  いた。今まで あり  が t』



 日記はここで途絶えている。


 日記のぬしたちは、天空に昇る途中で見ただろう。彼らの肉体が遺された白と灰色の世界を。

 そこは、冷たく、荒々しく、おびただしい死が横たわる、雪のディストピア。




   — 了 —

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雪のディストピア 文鳥亮 @AyatorKK

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