道見廉子に見える道

香久乃このみ

第1話 凪と荒波

(早く着きすぎたかな)

 恋人の詩音しおんとのレストランでの待ち合わせまで、まだ一時間以上もある。万が一、電車の遅れや不慮のアクシデントに巻き込まれた際にも、約束の時間に必ず着けるようにと、早め早めに行動した結果だった。

 何しろ今日は、絶対に遅刻のできない特別な日なのだから。僕は、ポケットに潜ませた小箱をぎゅっと握りしめた。

(どこかで時間を潰すか)

 今僕がいるのは、予約してあるレストランの入っているビルのエントランスだ。余程のことがない限り、ここから遅刻することはないだろう。

(本屋にでも行くか)



 エスカレーターで上って行った先に、それはあった。


『占い  5分 1000円』

    30分 3000円』


 広めの通路の一角がパーテーションで区切られ、中に白いクロスのかかったテーブルが見える。そこへ、『本日の占い師:道見どうみ廉子れんこ』と書かれた札が乗っていた。ウェーブがかったロングヘアの若い女が退屈そうに頬杖をついているが、これが道見廉子だろう。


(占い、か)


 これまで占いやおまじないなどに、ことさら興味を持ったことはない。朝のTV番組で流れているのを面白半分に聞いたりはするが、5分後にはその内容を忘れている有様だ。だいたい占い師なんて、誰でも当てはまるようなことをまず言って、相手の反応を見ながら適当な言葉を並べるらしいじゃないか。

(まぁ、暇つぶしくらいにはいいかな)

 一時間後には、詩音に大切な話をすることになっている。軽く背中を押してもらえたら。そんなことを思いながら、僕はパーテーションの内側へ足を踏み入れた。

「すみません、5分の占いお願いしm……」

「うほわぁああーっ!?」

 僕がテーブルに近づくと、若い占い師は目を見開き奇声を上げながら、パイプ椅子から転げ落ちそうなほどの動揺を見せた。

「え?」

「……あ、違うわ。これ、今の姿じゃないわ。別ルートか」

(今の姿?)

「すんごい大物オーラが津波みたいに襲って来たから、びっくりした」

 ふぅ、と一つ息をつき、道見廉子はにっこりと笑う。

「いらっしゃいませ~」

(いや、いらっしゃいませじゃねぇよ)

 今のリアクションは何だったんだ。思わせぶりなワードも聞こえて来たぞ。あと、妙なこと言ってなかったか? 今の姿じゃないとかなんとか。一体、こいつには何が見えたんだ?

(まぁ、ただのパフォーマンスだろう。自分には、他人に見えてないものが見えてますよ的なアピールの)

 それにしても若い占い師だ。大学生くらいに見える。

「……学生バイト?」

「んや、一応本職です。この4月から始めたばかりですが」

 ド新人だよ。

「なんで、占い師をやろうなんて思ったんですか?」

「やー、就職活動が全然うまくいかなくて。で、どうしたら就職できるか占い師さんに質問したら、あんたは占いの才能があるからウチで占い師やりなさいってスカウトされたんですよ」

 占いをしに行って、スカウトされた? 大丈夫なのか、こいつ。

「ま、あたしの話なんてどうだっていいじゃないですか。お客さん、占ってもらいたくて来たんでしょ?」

「あ、あぁ」

 そうだな、うん。暇つぶし程度に立ち寄っただけだし。最初から、占い結果の信ぴょう性には期待していない。

「5分のコースで」

「30分コースだと、金額は3倍だけど、時間6倍でお得ですよ?」

「5分1000円のコースで」

 就活しくじって占い師始めたばかりの新人に、3000円は払いたくない。

 占い師は「そっスか」と軽く言って、こちらを見た。

「占う内容は何にしましょう? 仕事運、恋愛運、金運、色々ありますが」

「恋愛運で」

「うん、順調ですね」

 軽っ! 早っ!

 最初から信用なんかしてないけど、もう少し占ってる感出せよ! 高校の学園祭の出し物でも、もうちょっと雰囲気出すと思うぞ?

 てか、こういうのって生年月日聞いたり、手相見たり、カード使ったりするんじゃないのか? 何もなしで、どこを見てどう占ってるんだ!

 やっぱ1000円コースにしてて正解だわ。こんな適当なのに3000円払ってたら間違いなく後悔してたな。


「……順調、ですか」

 顔を引きつらせ辛うじて笑う僕に、道見廉子はにこやかに頷いた。

「はい。お客さんが最後の一押しさえすれば、即結婚ですね。今日なんて、特に運気が上がっててうってつけですよ」

 ん?

「結婚?」

 僕は恋愛運としか言わなかったはずだが。

「あれ? 2年付き合った恋人にプロポーズする予定ですよね?」

「え、あ、ハイ……」

「上のレストランでプロポーズですか。あそこの窓際なら、夜景が最高だし気分も盛り上がるでしょうね。デザート後に伝えるのもいい判断ですよ。彼女さんの好きなケーキを用意したなら、気持ちは最高潮になってますからね。いいなぁ、憧れのシチュエーション!」

 待て待て待て!

 僕は恋愛運を占えとしか言ってない! なんでこいつ、息をするように僕の今日のプランを並べ立ててんだ?


 いや、落ち着け弘人ひろと。占い師ってのは、最初に誰にでも当てはまるようなことを言って、その反応を見ながら、それらしい言葉を並べていく職業だ。だから、僕くらいの年齢の男が気合の入った服装をして、恋愛運について知りたがったら、レストランでプロポーズくらいの想像はつくんじゃないかな? あぁ、きっとそうだ。

 窓際の席を予約してるのを当てたように感じたのもきっと偶然だ。「結婚」の一言に僕がうっかり反応し、はっきり肯定してしまったから、この路線で話を進めようと考えたのだろう。それにプロポーズなら、いい席を取ってることくらい想像がつく。そこから見える夜景がきれいなのも、ガイドなんかで普通に書かれてるから、驚くようなことではないはずだ。

(よし、大丈夫だ。うっかり術中にはまってしまうところだった)


 僕は気持ちを立て直し、一つ息をついた。

「彼女との結婚生活は順調?」

「えぇ。特にこれと言った荒波もなく順風満帆。子どもが出来ても近所で評判の仲良し夫婦って感じです」

 そのタイミングで、アラームが鳴る。

「あ、5分経ちましたね。終了でーす」

「ありがとう」

 僕はパイプ椅子から腰を上げる。

(順調か、ならそれでいいじゃないか)

 そもそもここへは、プロポーズをするにあたってほんの少し背を押してもらうために来た。

 その結果、プロポーズのプランは完璧だそうだし、成功するし、その後の人生も順調だとお墨付きをもらったのだ。今日の僕が占い師に求めていた、まさに満点のリアクションと言えよう。

(1000円分はいい気分にさせてもらったかもな)

 最初は胡散臭い素人上がりだと思ったが、なんだかんだで無駄な時間ではなかった気がする。

(よし、やるぞ。今日、彼女にOKをもらいさえすれば、その後は荒波もなく、二人仲良く順風満帆の人生が待っている!)

 そんなことを思いながら、さらに時間を潰すために本屋へ行こうとした時だった。


 ――すんごい大物オーラが津波みたいに襲って来たから、びっくりした


 ――……あ、違うわ。これ、今の姿じゃないわ。別ルートか


 占い師が、最初に僕を見て口にした言葉を思い出した。

(荒波のない人生……、津波……、大物……)

 僕はきびすを返し、再びパーテーション内に足を踏み入れる。

「あれ? さっきのお客さん。忘れ物です?」

「……大物オーラが津波って、どういう意味?」

「え?」

「言ったよな。最初に僕を見た時に、あんた」

「あ、あぁ」

 僕の質問に道見廉子はへらりと笑う。

「なんでもないですよ」

「なんでもないことないだろ。気になるじゃないか」

「えぇと、もう5分は過ぎたので、占いは終了です」

 僕は財布から3000円抜き出して、テーブルに置いた。

「30分追加で。さっきの言葉の意味、説明を頼む」

「えぇ~……」

 若き占い師は、心底困ったように目を逸らす。

「人様の人生を左右するようなこと言うの、あんまり好きじゃないんですよねぇ」

 じゃあ、なんで占い師やってんだよ。

「しがないサラリーマンでしかない僕が、大物になれる未来があるのか?」

「……ぁい」

「それはどんな規模の?」

「世界経済に影響を及ぼすレベルの富豪です」

 マジかよ!

 いや、信じてねぇよ? 占い師なんて、こちらのリアクションを見ながら言葉を選んでるだけだからな。さすがに、世界経済に影響を及ぼすレベルの富豪とか……。

「それって、どうすればいいんだ?」

「いや、彼女さんとの順風満帆で平和な人生を行くのも、相当幸せだと思いますよ」

「僕の幸せは僕が決める! そんな世界レベルの大物になるにはどうすればいいんだ? 教えてくれ!」

 若き占い師が、困ったように眉を八の字に下げる。やがて一つため息をつくと、覚悟を決めたように口を開いた。

「今の彼女さんではなく、他の女性との結婚でそれが可能となります」

「他の女性? それは誰なんだ?」

「えぇと……、家の近くに古い弁当屋さんがありますよね。黄色い看板で、お年寄り夫婦が細々とやっている」

 あぁ、あるな。古くてぼろいけど、採算度外視のデカ盛り弁当で、近所に住んでる大学生たちには大人気の。

「そこの孫娘さんですね」

 マジでか!?

 あの、愛想がなくて幸薄そうな顔つきの?

「でもまぁ」

 道見廉子はへらへらと愛想笑いをする。

「彼女さんと今日は約束をしてるんでしょう? 彼女さんも期待に胸を膨らませて、お客さんの言葉を待ってますから。貴重ですよ、夫婦仲良しで順風満帆の人生なんて! これこそ、お金には代えられない幸せってやつですよ」

 僕は黙って席を立つ。

「あっ、お客さん! まだあと、20分残ってますよ」

「いや、もういい。ありがとう」




 僕はその後、レストランで待ち合わせしていた詩音に別れを告げた。詩音は僕の上司の娘でもある。彼女には泣かれ、恨み言をぶつけられ、上司からは睨まれて会社にいられなくなったけど。

(これで僕は世界的な富豪になれるんだよな?)

 僕は弁当屋に足しげく通い、そこの孫娘である沙矢とねんごろになった。やがてそこに婿入りする形で入籍もした。

(よし! いける!)


 だが、その後は苦難の連続だった。採算度外視のドカ盛り弁当屋だ、懐の潤うわけがない。老夫婦が引退し、義父母が店を回すようになっても、いつ店が潰れてもおかしくない綱渡り状態が続いた。

 やがて義父母が動けなくなり、ついに僕と沙矢で店を回すようになっても、状況は全く好転しなかった。

(あの、エセ占い師!)

 あの日、これが富豪になれる道だと言った占い師を、思い出すたびはらわたが煮えくり返る。

(どこが世界的経済に影響を及ぼす大物だ! 町の小さな弁当屋のまま、50歳を超えてしまったぞ!)

 あの時、詩音を選んでいればと、幾度思ったことだろう。あのレストランでプロポーズを成功させていれば、子宝に恵まれた後も順風満帆、仲良し夫婦としての満たされた人生を……!

「弘人さん、これ」

 名を呼ばれ振り返ると、相変わらず愛想のない妻が、そっと小鉢と徳利を差し出した。

「弘人さんの好きな肉豆腐。一本付けておいたから」

「あぁ、ありがとう沙矢、一緒に飲むだろ?」

「えぇ」

 僕は肉豆腐に箸をつける。これを一口、そして日本酒を一口。

(美味い、な……)

 ギリギリの生活ではあるが、沙矢の肉豆腐は絶品だった。これだけは、先代や先々代から伝えられたレシピではなく、沙矢オリジナルのものだった。

(肉豆腐と日本酒のささやかな晩酌。これが今の僕にとっての幸せだな)

 沙矢の儚げな笑顔も、今では好ましく思える。

 過去の選択に未練はあるが、この肉豆腐を口にしている間は満たされる思いがしていた。


 流れが変わったのは、沙矢を早めに亡くし、やもめ暮らしをしながら弁当屋を続けていた時だった。日本酒が好きだと言う外国人客に、それならこの肉豆腐がよく合うと言ってみたのだ。当然、沙矢のレシピを忠実に守った自慢の一品だ。

 これが瞬く間に世界中で評判となった。僕は知らなかったが、あの時の外国人客は世界規模のインフルエンサーだったらしい。

「日本酒との最高のマリアージュ」として、動画で公開されるや否や、日本全国、そして海外からも客が殺到するようになった。

「豆腐だから、ヘルシー!」

「肉も入っていてボリュームたっぷり!」

「砂糖醤油が日本らしい味わい!」

「日本酒が一層おいしく感じられる!」

 それ以降、大量に作った肉豆腐は、開店から数十分で売り切れてしまう。夜中から並んでようやく買える「幻の一品」とまで言われる有様だ。

 僕は周囲の力を借り、沙矢レシピの肉豆腐をあちこちで食べられるようにした。チェーン展開だ。幸いにも人に恵まれ、僕はぐんぐんと裕福となっていく。

 70歳に手が届く頃には、沙矢レシピの肉豆腐は、世界中で愛されるようになっていた。

(あの占い師は、本物だったのか)

 今や、僕がどこの株を買ったか売ったかだけでニュースになる。迂闊な真似をすれば、会社ごと潰しかねない立場になってしまった。

(世界経済に影響を与える富豪……)

 まさかの肉豆腐で、だ。

 豊かな生活を手に入れ、僕は幸せだった。

 年は取ってしまったが、好きなものは何だって買える、行きたい場所はどこにだって行ける。あえて後悔があるとすれば、この生活を沙矢にさせてやれなかったことだろう。

 だが、僕のあの日の選択は正しかった。今ではそう思えるようになっていた。




 ある冬の日、近くの公園に差し掛かった際、ベンチにぼろきれの塊らしきものが乗っかっているのが見えた。目を凝らせば、それは人の姿をしていた。

(ホームレスがいるのか……)

 そんなことを思いながら通り過ぎようとした時。

 直感が働いた。

「……詩音?」

 ぼろきれの塊がビクッと動く。そして布をかき分け、垢じみた顔がそこから覗いた。

「弘人……さん……」

 信じられないことに、そこにいたのはあの日別れを告げた恋人だった。

(どうしてこんな姿に……)

 僕の心情を察したのだろう。詩音はぼろきれを被り直し、その場から逃げ去ろうとした。

「待ってくれ!」

 互いに70を超えた身だ、素早くは動けない。だが、僕のSPが彼女を迅速に捕まえてくれた。

「あ、あぁ……」

 辛そうに目を伏せ、ぶるぶる震えながら詩音は囚われている。やがて彼女の腹が、ぐぅ、と鳴いた。

「ここで少し待っていてくれ」

 僕は一番近い肉豆腐の店舗へと急ぐ。湯気の立つそれを詩音に渡すと、枯れ枝のような指が箸を受けとめ、震えながら中身を口に運び始めた。

「詩音、何があった。君は僕と別れた後、他社のエリートと結婚したと風の噂に聞いたが」

「……」

 詩音が涙を浮かべた目をこちらへ向け、口をわななかせる。

「わ、私は、あなたと別れた後……」




「みたいな人生になるんですよ」

(えっ……)

 女の声に、僕は現実へと引き戻された。

 夢から覚めたような心地で、辺りを見回す。そこは建物の一角にパーテーションで作られた、占いコーナーだった。

 目の前には心配そうにこちらを覗き込む道見廉子がいる。僕はスーツを身に着け、ポケットには指輪を忍ばせていた。それは、詩音にプロポーズをすると決めたあの日だった。

「大丈夫ですか?」

(なんだ、これは……)

 夢? それにしては酷く生々しかった。

 ここで詩音と別れてから40年ほどの人生を、僕は間違いなく送ったはずだ。

(時間が、巻き戻った……?)

 ピピとアラームの音がする。若き占い師は、それをパンッと勢いよく止めた。

「30分経ちましたので、これで終了でーす。お疲れ様でしたー」

「あ、ありがとう、ございました……」



 占いコーナーを離れてから、時刻を確認する。詩音との待ち合わせまで、あと20分だった。

 詩音との平穏な人生か。

 沙矢と死に別れてからの大逆転か。

「……よし」

 今夜、このレストランで詩音に告げる言葉を決めて、僕はエレベーターへと向かった。



 ――了――

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