【カクヨムコン10短編】あの発音は幻ですか!?

肥前ロンズ

『っ』→促音 『ー』→長音符と言うそうです

 試験が近づいてくる。

 それは語学の試験だった。

 語学は「書き」「読み」そして「聞き」の三つを理解していないといけない。「書きライティング」や「読みリーディング」などは、一人でもできる。

 問題は「聞きリスニング」だ。これは多くの日本人が語学でつまづくところでは無いだろうか。かく言う、私がその一人である。

 こればかりは一人ではできないと限界を感じた私こと愛は、友人を頼ることにした。


 が。


 

「なんで!? なんでわからないの!?」

「うおー! わからんもんはわからんのじゃー!」


 タダで授業を受けている身でありながら、駄々をこねる私である。




 


 

 ここはとある女子大の近くにある喫茶店。

 中国語検定を控えている私は、中国人留学生の李玥リゲツちゃんに教えを乞うていた。

 ――というのも、私は一度、リスニングで落ちているからだ。

 私はLとRの違いがわからない日本人である。

我是日本人私は日本人です』と言うために、日本人リーベンレン(rìběn rén)は死ぬ気で覚えたが、それ以外はほとんど運任せだ。


 そして今は、「an」と鼻濁音の「ang」の違いがわからず、徹底的に指導されている。


「ほら! 日本語の『案(an)内』と『案(ang)外』は違うでしょ⁉ 言ってみて⁉」

「『案(ang)内』。『案(ang)外』」

「何でどっちも濁るのー!?」


 李玥ちゃんが頭を抱える。私も頭を抱える。

 わからない。口の形だって真似てるのに、発音が一緒だといわれる理由がわからない。うおー!

 お互いグッタリとしながら、机に突っ伏した。


「愛ちゃん、四声は完璧なのに、なんで……」

「それだけは皆から褒められて嬉しいよ」


 中国語には四声という四つ(+軽声)の声調があり、その声調で全く違う意味を持つ。例えば第一声の「Mā」は「妈(お母さん)」という意味を持つが、三声の「Mǎ」だと「马(馬)」という意味になる。詳しく知りたい人は公共放送の語学番組をチェケラ。

 ちなみに、二声と三声の違いは結構難しい。とりあえず私は、二声は「ヤンキーがカツアゲする時に絡むような声」で、三声は「声変わりがしんどくてあまり大きく話せられない中学男子」のイメージでやってるんだけど、それを同じ講義を受けている子に言ったら「独特過ぎる」と突っ込まれた。それはともかく。


「ほら、もう一度! 『an』!『ang』!」

「『ang』『ang』」

「違うもう一度! 『an』!『ang』!」

「『an』!『an』!」


「なんで――――⁉」

「えーん、さっきと違う発音に聞こえるんだけど――⁉」


 何度繰り返しても、というか繰り返す事に発音のゲシュタルト崩壊が起きて、余計に悪化している気がする。


「まあまあ。少し、休憩をいれたらどう?」


 そんな泥沼化している中、店員のチェンさんが、注文したフライドポテトを持ってきてくれた。

「大丈夫だよ、愛さん」優しく陳さんが話しかけてくれる。


「地方によっても発音は結構変わるし。私も、大学に入ってから『an』と『ang』の違いを学んだからね」


 そう言って、陳さんは私の前にフライドポテトを置いてくれた。

 李玥リゲツちゃんは遼寧省出身である。チェンさんは福建省出身だ。大雑把に言うと、この二つの省は北海道・千歳から熊本城ぐらいの距離がある。そりゃ発音も変わるよね。

 まあでも、今回は中国語検定に受かるための勉強なので。李玥ちゃんのビシバシ指導は、大変ありがたかったりする。最初は丁寧に発音を指導してくれた講義の先生も、最近は文法重視だし。それはそれとして泣き言は言う。


「頑張っている愛さんに、サービスで大盛。って、店長が」

「うおー! ありがとうてんちょー!」


 私が叫ぶと、厨房にいた早乙女店長が、「どういたしましてー」と言う。

 ピカピカで鮮やかな黄色いフライドポテト。香ばしい香り。カリ、ふわ、な感覚。油と塩とイモの甘味が混ざりあう。くう。


「やっぱりフライドポテトは最高だ……うまい……塩分が疲れた頭にいく……」

「それ言うなら『糖分』じゃないの?」


 李玥ちゃんはそう言いながら、「そうだ」と何か思い出したように言った。


「こないだ食べたケーキ、すごく美味しかった。頼んだら?」

「え、どんなの?」


 私が聞くと、陳さんが「これ」とメニュー表を取り出してくれた。

 そこには、『チーズケーキ』と書かれていた。写真が付いてないので想像するしかないけど、このお店だから美味しいこと間違いない。


「えー、どうしよう。頼もうかな」

「食べてみてよ。濃厚だけど、あ……」


 と言いかけ、李玥リゲツちゃんはなぜか目をそらして、小さい声で言った。



「……あ、あさりしてて……美味しかったよ……」



 頭の中で思わず貝のアサリが浮かぶ。

 いや、文脈でわかるんだけどね。でももしかしたら、隠し味にアサリのダシが入っている可能性が無きにしも……。


「違う。『あっさり』」


 陳さんが真顔で訂正した。

 ――さっき私の『an・ang』をおおらかにフォローしてくれたとは思えないぐらい、厳しい声だった。びっくりした。


 李玥ちゃんは日本語が上手だけど、小さい『つ』が言えない。さっき『美味しかった』も『美味しかた』に近い発音だったな、と思い出す。


 確かに中国語には、小さい『つ』はなさそうだ。けど、私的には不思議だった。だって。



「英語にも、小さい『つ』、あるよね?」



 私がそう言うと、陳さんと李玥ちゃんは顔を見合わせた。



「……いや、ないと思うよ」



 ……なんですと?


「え⁉ じゃあ、『ポップコーン』とかどうなるの⁉」

「『Popcorn』」

「うあー! 流暢な英語の発音が返ってきたぁー!」


 そして今思えば、さっき李玥ちゃんが言っていた『ケーキ』も『cake』だった気がする。英語、中国語より苦手だからわかんないけど。

 いや、確かに。薄々気づいていましたよ? アルファベットで表記される英語と、カタカナで表記される英語じゃ、発音が違うんじゃないかな? って。でもここまで認識が違うってことある⁉


「促音だけじゃなく長音符も、海外では認識されていないことあるわよね」


 早乙女店長が、厨房から出てきて会話に参加してきた。


「『大家』と『親』の違いってなに⁉ って、昔フランス人の友だちにしょっちゅう聞かれたなあ」

「フランス語は音を伸ばさないんですか⁉」


 おかしい。私の中のフランス語は、『ボンジュール』とか『オ・ルヴォワー』とか、そんな風に伸ばしてオシャレに挨拶するイメージがあるのに、肝心のフランス人には認識されてないと!?

 え、待って。ということはもしや……。



「『ポップコーン』とか、『インターネット』とか……外来語の小さい『つ』と伸ばし棒は存在しない発音……ってコト?」



 その言葉に、うん、と三人が頷いた。

 なん……だと……。

 いやでも、確かに。世界史とかよく、表記変わるもんね。こないだ本屋さん行ったら、『マリ・アントワネット』って伝記漫画が置いてあったし。『ヘアスタイル』と『ヘアーサロン』で、表記ぶれしてるなって思ったことはあったけど。



「いや、でも韓国語は!? 韓国語はパッチムとか小さい『つ』あるよね!?」


 昔韓国語を学ぼうとして、パッチムでつまづいた記憶が蘇った。


 そうだ、と私は思い出す。二か月前、留学生との交流会に参加して、韓国人のソヨンちゃんとアカウント交換したんだった。

 彼女に聞いたらいいんじゃないかな!? そう思って見ると。


 そこにあるのは、二か月前に『これからよろしくね』で会話が終わっている、廃れたチャットルームだった。


 ……今連絡しても、『誰こいつ?』と思われるかもしれん。そんなやつから唐突に『韓国語って小さい「つ」ある⁉』って聞かれても、怖すぎて既読スルーされるだけかもしれない。

 くっ……カルキュラム組むときに、韓国語も入れればよかった……中国語は単位が2なのに韓国語は1だったんだよ……K-POPも興味なかったし……。


 しかしなぜ、ないものを付け加えたのか。

 一帯誰が、外来語に小さい『つ』と伸ばし棒を追加したのか。何のためにつけたのか。気になって仕方ない。

 こうなりゃ、徹底的にこの謎を調べるしかない。

 我々はその謎を解明すべく、日本語と言う謎多き言語の奥地へ――。


 と言いかけたところで、李玥ちゃんに肩を掴まれた。


「今は。試験勉強でしょ?」

「……はい」


 こうして、私の人生最大の謎は、試験という現実によって押しやられたのだった。

 けど気になるので、誰か私にこの謎の真相をわかりやすく教えてください。かしこ。


【完】

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