夜に階段をしまう家【短編】

梨鳥 ふるり

葬式後しばらく客を泊める家

 柱時計が20時の時報を陰気に打ち出すと、僕たち家族は二階へ上がって階段をしまう。

 二階はただ寝るだけの板の間に、小さな洗面台があるだけで屋根裏と言う方が正しいかも。

 爺さん婆さん、両親と兄、妹。そして僕が全員のぼり終えると、父ちゃんが手早く階段を引き上げる。

 階段は三分割になっていて、中段に仕掛けられた細いロープを上手いこと引くと折り畳まれる仕組みになっていた。するとパタンと床が―――1階から見上げたら天井が――閉まる様になっていた。

 それからネム様と呼んでいる小さな団子を一粒食べて、寝てしまう。

 ネム様には餡子が入っていて、すごくおいしい。

 僕ら子供達にとっては、一日のご褒美だ。

 日中お手伝いをしなかったり、イタズラをしたりすると母ちゃんが「今夜はネム様をもらえないよ」と脅すんだけど、もらえなかった事は一度もなかった。

 このネム様を食べて歯を磨き終わり布団にもぐる。すると、頭がフワッとして次の瞬間には朝が来ている。

 20時以降の時報を止めていた柱時計が、僕らと共に目覚める様に朝6時の時報を鳴らす。

 その音の余韻が消えるまで待って、父ちゃんが階段を降ろす。

 階段を降りると、独特の空気の重みと生臭い匂いが一階全体に籠もっていて、僕はこれが朝なのだと思っていた。

 皆も朝は「憂鬱」とか「しんどい」とか言うし、原因はこれなのだと。

 婆さんが朝ご飯の支度をしている間に、両親と僕たちは家中の窓を開け、いたる所に塩をまき、掃き掃除をして雑巾がけをする。

 小さな家だし、五人がかりでやればすぐだった。

 そうすると朝の重みと匂いは消えて、一日が始まる。

 僕は、この習慣がどこの家も皆そうだと思っていた。

 


 ある日、友達の勇作の爺さんが亡くなって、村の皆で一人ずつ交代で泊まりに行く事になった。

 子供でもいいとの事だったので、僕は父ちゃんの代わりに勇作の家へ泊まりに行く許可をもらって、大喜びだった。

 どうせお泊まりをするならって、二郎と僕は他の友達も誘って勇作の家へ集まった。

 だけど、勇作の父ちゃんに「泊まってもらうのは絶対に一人だけ」って言われてしまったんだ。

 仕方なく僕以外の友人達は、地面にクジを書いて勇作の家へ泊まる順番を決めていた。

 勇作の家の玄関に通されると、昼過ぎだったのに朝の匂いがした。


(勇作の家は朝の掃除をしないのかな?)


 他所の家だったから黙って「お邪魔します」と挨拶をして家へ上がらせてもらった。

 匂いはずっと漂っていたけれど、木炭や消臭剤がいたるところに置かれていたからだんだん色々な匂いを嗅ぎ分けられなくなり、一時間もすれば鼻が慣れてしまった。

 夕飯はカレーライスで、すごくおいしかった。

 勇作が「自分の部屋は二階だよ」と、案内してくれた時、自分の家と違う階段に驚いた。


「え、階段しまえないの?」

「え、階段ってしまえるの?」


 僕達はお互い驚いた顔を見合わせた。

 勇作の部屋に通されて、僕は自分の家の階段の話をした。

 勇作は興味津々で僕の話を聞き、明日にでもその階段を見たいとせがんできた。

 僕の村は他人を家に上げたり、他人の家に入りたがったりしない風習だ。それは子供も同様で、僕達は幼い頃から知り合いだけど、お互いの家の事をちっとも知らない。それは他の子供達も同じだった。―――だからこそ、勇作の家からの招待に喜んで飛びついたんだ。

 

「父ちゃんが良いって言うかわかんない」

「あー、うちの父ちゃんも、他所の家にあがるなって言うわ」

「でも勇ちゃんちは今、村中の人が泊まりに来てるよね」

「それな、変だよなぁ?」


 僕と勇作は風呂でそんな事を話しながら、背中を流し合った。

 風呂から出ると、勇作の母ちゃんがネム様を用意してくれていた。

 僕の家のネム様よりも、少し黄味がかっていて、香ばしい香りがした。


「うちのと色が違って、美味しそう! どうして黄色いの?」

「うふふ、うちは勇作がきなこが好きだから、生地にきなこが練ってあるのよ。今夜は特別に二つお食べ」

「え! いいの母ちゃん!」

「せっかくお友達が来ているからね」


 勇作と僕は飛び上がって喜んだ。ネム様は本当に美味しいんだ。

 

「わあい! 他の子達も泊まりに来るから、その度に二つ?」

「そうね。それか、いつもより大きいのにしましょうか。食べたらすぐに歯磨きをしてお布団へ入るのよ」


 勇作の母ちゃんがそう言って優しく微笑む。僕はちょっと羨ましかった。

 勇作の母ちゃんが土間へ消えて、勇作の父ちゃんは続き間の和室でテレビを見ていた。

 僕と勇作は、ちゃぶ台に置かれたネム様に手を伸ばし、うふふと笑い合った。

 

「俺、ネム様大好き」

「僕も僕も」

「お前んとこのネム様はきなこ入ってないの?」

「うん。うちは白いよ。餡子は――うちの方が多いかも」


 ネム様を割り中を見て、僕は勇作に見栄を張った。


「ちぇー」

「ふふ」

「楽しいね」

「うん」

「今夜さ」


 勇作が土間とテレビの方を交互に気にしながら、声を落とした。


「こっそりお前んち行かない?」

「え?」

「階段がたたまれるところ、見たいんだよ」

「あー、うーん、でも戸締まりしちゃうから無理だよ。階段は窓から見えないし」

「そっかぁ……玄関の他に忍び込める所は?」

「どんだけ見たいの。お勝手の床下収納にネズミが開けた穴くらいだよ」

「ちぇー、じゃあせめて、今夜は夜更かししようぜ」


 勇作の安全な提案の方に、僕はすぐに頷いた。

 僕達はネム様を寝間着の懐にそっと隠し、何食わぬ顔で歯磨きをして勇作の部屋へ入っていった。


 いつもはすぐに眠ってしまうのに、勇作との夜更かしが楽しくて全然眠くならなかった。

 しかし、勇作は22時頃にネム様を食べると、こてんと眠ってしまった。

 僕はというと、勇作と同じ時にネム様を食べようとしたものの、歯磨きをせずに眠る事に抵抗があった。

 歯磨きをしている所を勇作の家族に見つかって、夜更かしを親に伝えられてしまう危険もあったし……。

 だから、せっかく二つも貰ったネム様を食べられずにいた。

 残念に思いながらも、勇作の持っていた漫画を夢中で読んでいた。

 気がつくと23時を過ぎていて、そろそろ寝ようと思って横になった。

 だけど、他所の家って中々寝付けない。

 家なら布団に入った瞬間に眠れるのに。

 何度も寝返りを打っていると、玄関チャイムの音がした。

 

(こんな時間に?)

 

 もしかして、僕の両親のどちらかだろうか?

 そんな気がして、そっと部屋のドアに近づき聞き耳をたてた。

 勇作の父ちゃんの話し声がした。


――――お越しいただき……揃って……いつも通り……


 途切れ途切れに聞こえる声音は、偉い人と話しているみたいだった。腰を何度も折り曲げ頭を下げている姿を想像してしまう様な、そんな話し方。

 この村で大人達がこんな風に畏まるのは、村の神社の神主様くらいしか思いつかない。

 だけど、神主様がこんな夜更けに?

 何かあったんだろうか?

 僕は不安になって、耳を澄ました。

 すると、くぐもった声が聞こえた。


――――たりて……ますか。


 お婆さんのガラガラした声だった。

 勇作の父ちゃんの声より、さらに聞こえにくかった。

 玄関扉を開ける音が一向にしなかったから、勇作の父ちゃんとその人は扉を隔てて会話しているのだと予想した。

 それから僕は、こんな夜更けに訪ねて来たお婆さんに、どうして玄関扉くらい開けてあげないのだろうと不思議に思った。

 

――――全員……ます。

――――なんにん……したか?

――――6人……揃って……ります。


 シン、と静かな間があった。

 僕は、なんだか怖くてジッと身を固めていた。

 バンッ、と玄関扉が手のひらで叩かれる音がして、僕は息を止める。


――――いつ!


 バンッ、バシンッ、と、音と共にお婆さんが声を荒げていた。

 玄関チャイムも連続で鳴り響く。


――――いつ、かぞくに、はいれる?

――――全員……ので……おひきとり……さい。

――――はいりたいはいりたい、いれてぇ。 


 僕は訳が分からず恐怖して、勇作の方を目だけで見た。

 勇作はノンキな顔でぐっすりと眠っている。その状態が、羨ましかった。

 勇作の父ちゃんとお婆さんの会話は押し問答の様になっていて、謎の要望はしつこいものだとなんとなく分かった。


――――へったらいれて。へったらはいるよ。

――――はい。今夜はどうぞ、お帰りください。


 勇作の父ちゃんが少し大きめの声を出して、ハッキリとそう言った。


 目線だけ動かして勇作の方を見ると、ぐっすりと眠っていて、その様子が羨ましかった。僕も寝ていれば良かった。

 いつもみたいにネム様を食べたら、寝てしまえるかな。

 僕はそう思いついて、歯磨きの事なぞ忘れてネム様を二個食べた。

 怖くて味もなにもしなかった。きっと、勇作と同じ時に食べていればすごくおいしかったんだと思う。

 ネム様を飲み込んでしまうと、さっきの事はなんだったのだろうと思い出しながら布団の中で丸まった。

 目を閉じると、すとんと眠りに落ちた。


 朝、朝食の前に勇作一家は「少し待っていてね」と言って、茶の間に続く座敷の、さらに奥へ行ってしまい、僕だけちゃぶ台の前で待たされた。

 僕は特に気に留めずに、勇作の母ちゃんが用意してくれた美味しそうな朝食を眺めていた。

 すると、家に当然の様に漂っていた朝の匂いよりも、うんと強い匂いが座敷の奥から漂ってきた。知っている匂いなのに、僕のみぞおち辺りに怖気が走った。

 一緒に蝋燭の芯が焼ける匂いや線香の香りもする。その混沌とした匂いに、手で口を覆った。

 トン、と、襖が閉まる音がして、何食わぬ顔でぞろぞろと勇作一家が茶の間へやって来た。

 彼らについて来た匂いに、僕は溜らず嘔吐く。


「あら、大丈夫?」

「どうした?」

「すみません、ちょっと気分が……ごめんなさい」


 失礼をしてしまった申し訳ない気持ちになって、僕は謝った。


「大丈夫か? こっちこそ、朝飯前に拝んどけば良かった。ごめんな」

「……? 何か拝んでいたの?」

「なんでもないのよ。気分が悪いなら、もうお家へ帰った方が良いわ」


 勇作の母ちゃんがテキパキと僕の帰り支度をし始めて、お土産に町で売っている洒落たお菓子を持たせてくれた。

 勇作に家まで送ってもらって玄関を潜ると、朝の掃除が終わっていた。とても空気が綺麗で、気分が良くなった。

 ちょっとだけ勇作に、玄関土間から見える階段を覗かせてあげた。

 

「あれが夜になると天井にたたまれるのか?」

「うん」

「へー。お勝手はどこらへん?」

「勇ちゃん……無理だからね?」

「へへへ、じゃあね!」


 勇作はそう言って、家へ帰って行った。

 

 僕の後にも、勇作の家には誰かが交代で泊まりに行っていた。

 僕は勇作の家へ泊まりに行った友人達に、夜に何か聞かなかったか訪ねてみた。

 だけど皆、勇作の母ちゃんに大きなネム様を勧められて、布団に入った後はぐっすり眠ってしまったので、何も分からないらしかった。

 勇作の母ちゃんがニコニコ笑って「美味しいかい?」と聞くので、皆母ちゃんの前で頬張って「美味しい」と応えてあげたみたいだ。

 あの朝の匂いには、参ってしまった子と、特に気にならなかった子がいたみたいだった。

 ただ、僕達は勇作のお陰で滅多に無い「お泊まり」が出来た事をありがたく思っていたので、誰も悪く言う子はいなかった。

 

 それから二ヶ月ほど経ったある夕暮れ、僕らが田畑を駆け回って遊んでいると、お山の神社の方から神輿が降りてきた。

 村は田畑と草原しかなくって、見晴らしがいい。

 夕日で黄金に輝く大地に走る細いあぜ道を、ゆっくりと集落の方へ神輿が行くのがよく見えた。

 神主の門守さんを先頭に、普段は神社から出て来ない神職のおじさん達が神輿を担ぎ、その後を巫女さんたちがついて来ていた。


「えー、なんだろ?」

「神輿に誰か乗っているね」


 僕らは神輿の方へと駆けた。

 神輿が通るあぜ道まで先回りして行くと、神輿に乗っているのは白い布がかけられた何かだった。

 神主の門守さんが、僕らの姿を見つけ、あぜ道の縁に身を屈ませる様に言った。


「子供達、みな手を合わせ頭を下げなさい。見てはならない。勇作がいるね。ちょうどいい。勇作は私の前を歩きなさい」

「え、俺? 門守さんの前を歩くって、どこへ行けばいいの?」

「君の家だよ。さあ、行きなさい」


 ああ、と、勇作が合点の言った声を上げた。


「じいちゃんだね」


 僕と友人達は、門守さんに言われた通り屈んで頭を下げていたけど、門守さんが微笑んだ様な優しい気配を感じた。

 門守さんが「そうだ」と答えたわけじゃないが、神輿に乗っているのが何なのか、なんとなく分かった気がした。

 風が吹いて少しだけ布がめくれた時に、朝の匂いがした。

 勇作の家で朝食前に嗅いだ、強い朝の匂いだった。


「みんな、また明日!」


 勇作はそう言うと、家へと神輿の一団を連れて行ってしまった。

 その日から、勇作の家は再び皆と同じ様に閉ざされて、誰も泊まりに行く事がなくなったみたいだ。

 


 

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