下女生活

 マルテは急ぎ足で滞在している宿に戻ると、借りた部屋へ入るなり、上がった息のまま、ティエラに進捗の報告をした。


「ティエラ! ティフォン城に入れるようになったよ!」


 ティエラは衣類も纏わぬ素体のまま床に座り込んで、細かい作業に没頭していた。見ればそれは左の上腕だった。おそらく次に新しくする部位に改良を加えているのだろう。マルテが話しかけるやティエラは上目遣いに素っ気ない目を向ける。


「あ、すみません……」


 マルテにはもう目を見れば分かるようになった。ティエラには別の魂が宿っている。今は人形師だろう。マルテはそっとベッドに腰を下ろした。見た目はもちろんティエラだが、中身はまったく違う。赤の他人と狭い空間を共にしているのと同じで、これ以上、気まずい時間はない

 しばらく沈黙の時間が流れたあと、おもむろにティエラが上腕を布に包んだ。


「ごめん。それで?」


 ティエラがマルテに目をやる。ようやくティエラが戻ってきたのだ。


「うん。無事にティフォン城に入れるようになったよ」

「そっか。ありがとう。じゃあ、早速、明日にでも乗り込もう」

「待ってよ! そう自由に出入りできるわけじゃないから! 私は下女としてティフォン城に雇われることになったの。でもまだ準備が整ってないから、もう少し待って」

「わかった」


 マルテは、そう短く答えて布に包んだ左腕をそっとしまうティエラの所作を眺める。


「左腕を替えるつもり? 体の状態が良くないの?」


 サヒタリオとの戦いの後、ボロボロになったティエラは、下腹部の一部以外ほとんどの部位を取り換えた。曰く、そこに魂が宿っているのだという。そこは最初の素体から唯一変わっていない部分らしい。

 体を取り換えるという行為がいかがなものか、生身のマルテには想像できなかったが、運動も、今しがた見た手先の器用さを必要とする繊細な作業も、どうやら差し障りなくこなせているようだ。


「問題ないよ。少し改良を加えようと思っただけ」

「改良?」

「うん。サヒタリオとの戦いの後に考えてたんだ。飛び道具を体に仕込めるかなって」


 マルテは目をしばたたいた。


「左腕に矢を仕込むってこと?」

「そう。隠し武器。奇襲をするなら有効だと思う」


 ティエラは申し訳程度に備えられた小さな窓から外を眺めた。そこからはティフォン城が臨める。曇ったガラスのおかげで、城はもやがかかっているように見えた。


「ピスシス。もし万が一復讐がうまくいかなかったとしても、ピスシスだけは刺し違えても倒す覚悟だった」


 ティエラから内に滾る復讐者の気迫が滲み出した。マルテは思わず後じさった。まるで身を焼かれるような感覚だ。これまでのティエラにも、徹底した姿勢はあったが、今はより一層強い憎悪を感じる。


「私はピスシス卿のことはベテルヘウセ家に代わってティフォン城を任された諸侯としてしか知らないけど、どんな人だったの?」


 もし、ティエラと知り合い、オスクリダドという存在を知らなければ、マルテは今でもピスシスのことを、シリオ・エストレージャの信頼厚い諸侯としてしか知らなかっただろう。

 マルテに向いたティエラの目には。すでにいつもの怜悧な輝きが戻っている。


「自分のことを、呪いを身に背負って生まれた人間だって言ってた」

「呪い?」


「そう。生まれながらに不治の病を抱えているんだ。本人はそれを呪いと言ってた。おかげでまともな人生を歩めず、この世のあらゆるものを憎悪している。だから、他者にいくらでも酷いことができる。そして、それを自分に許された特権だと思ってる。そういう人間だよ」


 マルテは戦慄してごくりと唾を飲んだ。


「霧の里では、主に女性を手にかけた。カンセルとサヒタリオも奪った命の数は多いけど、ピスシスはそれだけじゃない。命を奪う前に、女性の尊厳すらも、奪えるものはすべて奪ったんだ」


 ティエラは婉曲した言い方をしたが、それはすなわち具体的に口にするにもおぞましい行為の数々が行われた証左である。それだけでマルテが霧の里で行われた出来事を想像するのは、難しいことではなかった。

 これからマルテはそんな男が城主として君臨する城に下女として潜り込むのである。気が付くとマルテの手は震えていた。ティエラはすぐさまそれに気付いてそっとその手を取った。木製の冷たくて固い感触だ。


「大丈夫。マルテになにかあるより先に、私があの首を獲るから」





 数日後、サテーリテの手配でマルテはティフォン城に下女として迎えられた。


「マルテといいます。初めてなのでわからないことばかりだと思いますけど、精一杯がんばりますのでよろしくお願いします」


 まだ太陽も出始めたばかりの薄暗い朝早く、城内の下女の詰め所で、マルテは礼儀正しい挨拶を向けた。これから共に働く下女の先輩たちがマルテの前に顔を揃えている。

 マルテはそのひとつひとつを見ながら考える。召使いの世界とはどんなものだろう。新参者に対しての陰湿な扱いなどあるのだろうか。城主ピスシスの人生の終焉と同時に終わる短い下女生活のはずだが、不安は隠し切れない。

「よろしくね、マルテ。わからないことは何でも聞いて。私たちもあなたには何でも頼むと思うから。お互い遠慮をしないように」

 下女たちの長である体格のいいワシ鼻の女性デネブが、力強い目と微笑みでマルテに声を向けた。

「さ、みなさん。今日もがんばりましょう」

 デネブが手を二回叩くと、下女たちは三々五々その場から散っていった。

「さて、マルテ。お城の仕事はお食事の用意からお掃除まで山ほどあるわ。初日だからといって楽はできないわよ。こちらへいらっしゃい」

 デネブは幅広の体を揺らしながら忙しなく歩き始めた。

「つい先日、突然ひとりやめてしまってね。人手が減ったと思ったところですぐにあなたが来てくれて助かったわ」

 デネブは後ろについて歩くマルテを振り返る。

「その方はどうしておやめになったんですか?」

 マルテを城に招き入れるためにサテーリテが仕組んだことだが、どういう話になっているのかマルテには知らされていない。

「故郷にいる幼馴染に求婚されたって言ってたけど、よくわからなかったわね。これまで故郷の話なんて聞いたこともなかったし。かと言って、仕事に不満がある様子もなかったから。もっと詳しく聞いてみたんだけど、なんだか曖昧な話だったのよねぇ。なんか言いにくいことでもあったのかしらね」

 きっと多額の金を積んだのだろう。強引な手を使ったようだが、下女たちが特に気にしていないならそれで構わない。

「あなたはどうしてここにやって来たのかしら」

 下女長デネブは噂話の好きな人らしく、辞めた下女の話が終わると今度はマルテのことを尋ね始めた。

「あ、はい。両親は商人だったんですけど、野党に襲われて私ひとりになってしまったから、働きながら暮らせる場所を探していたんです」

 マルテは簡潔に自らの身の上を語った。完全な真実ではないが、真っ赤な嘘でもない。デネブは慈愛と憐憫に満ちた目をマルテに向け、優しくうなずいた。

 今度はマルテの方から質問を向けた。聞きたいのは城主ピスシスのことだ。しかし、話好きのデネブでもその話題にはあまり乗り気ではなさそうだった。

「ピスシス様は、あまり人前に出ることのない人なのよね。だから、私たち下女なんてほとんど顔を合わすことがないのよ。もちろん、私は責任者として何度かお目通しいただいたこともあるんだけど」

 そこまで言ってデネブは苦笑を浮かべる。

「でも、ここだけの話、あまり会いたいと思う方じゃないわね。私たちなんかには理解のできる人じゃないのかしら。なんというか……こういう言い方はあれだけど、少し怖い人だわ、あの方は」

「……そうですか」

 デネブの口ぶりでは、下女に酷い扱いをしているという様子はなさそうだ。マルテはひとまずホッと胸を撫で下ろした。しかし、どうやら恐ろしい人だという印象はあるらしい。そんな人物があまり人前に出ないというのはマルテにとっては僥倖だった。問題はその引きこもりの城主にティエラがどうやって近づくかだろう。

「どうかした?」

 つい物思いにふけったマルテをデネブが不思議そうに振り返って見ていた。

「い、いえ! これからうまくやっていけるか不安で」

 マルテが取ってつけたように言うと、デネブは何も言わずに、笑顔で力強くマルテの尻に激励の平手を打ち付けた。

 それからしばらく、マルテは辞めた下女の代わりとして、真面目にそして悪目立ちすることなく城中での仕事に勤しみ、溶け込んだ。王国西部の貴族の私生児として生まれたマルテは、生き馬の目を抜く権力争いの中で、いつか家の力となれるよう商家へ預けられて、密かに育てられた。下女のするような仕事などやったことはなかったが、それでもできる限りうまくこなしていった。周りからは不器用だが働き者の娘に映ったろう。なにも問題はなかった。あとは機を見てティエラを城内へ入れるだけだ。

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依り代人形、復讐の旅 三宅 蘭二朗 @michelangelo

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