ノーヴァ

 ティフォン城への入城を試みようとしたマルテの、門衛との押し問答を解決したのは、精悍な顔立ちをした背の高い剣士だった。この剣士はどうやら父シリオ・エストレージャの直属の部下であるらしく、シリオ・エストレージャの私生児であることを隠して生きてきた自分の素性を知っている数少ない人間のようだった。

 しかし、マルテはティフォン城に入ることが目的だというのに、剣士はマルテを門の内側に迎えるのではなく、城の外の石畳の道を示した。


「あの、私は城の方に用事があるのですが」


 マルテは戸惑いながらサテーリテと名乗った剣士を見上げた。思いがけない助け船が現れて問題が解決するかと思いきや、結局、城には入れないのだろうか。


「残念ながら、今、ティフォン城は故あって安全ではないのです。ノーヴァ様の身に何かあってはシリオ公に顔向けできません。お困りごとがあるようでしたら、まずは私がお聞きします」


 マルテはひとまずサテーリテに付いて歩き出した。結局ティフォン城へ独力で入城できないのなら、どの道、このサテーリテを頼らざるを得なくなるだろう。この先、もし、わがままを通す必要が出てくるのならば、ここでは言われる通りにして、いい関係を築いておかなければいけない。エストレージャ家の血筋だからと言って、あらゆる自由が許されるわけではないのだ。

 サテーリテの後を付いて歩くと、マルテは城下のこじんまりとした一角にある酒場に連れて来られた。中に入ったサテーリテが店主に目配せをし、慣れた様子で半個室のようになった奥の空間へ入っていく。

 そこは本当に小さな空間で、椅子は一脚もなく、立って飲食するための丸いテーブルが置いてあるだけだった。サテーリテはそのテーブルに手を置いてマルテを見つめた。


「ノーヴァ様。改めてよくぞご無事で。ご家族は本当にお気の毒でしたが」


 サテーリテは喪に服すように目を伏せた。マルテはかぶりを振った。


「両親は立派に私を育ててくれました。なに不自由のない暮らしをさせてもらって、感謝しかありません」

「今のノーヴァ様の立派なお姿を見ると、良い方の元へ預けられたのだなと思います」


 マルテはこくりと控え目にうなずく。


「しかし、統一が成されて十年にはなりますが、まだまだ治安の悪いところも少なくないようですね」

「真の平和は訪れてはいない。西部の安寧を任されている身としては耳の痛い話ですよ」


 サテーリテは神妙な顔で答えた。

 話題がひと段落したところで、早速、サテーリテはマルテがここティフォン城に姿を現した理由を問い掛けた。


「それで、ノーヴァ様。道中も大変な思いをなされたと思いますが、なぜ、このティフォン城へ?」


 それは、本来ならば直接城主ピスシスにだけ話すことだった。だが、サテーリテが父の側近ならば、こちらを頼る手もある。無論、ティエラが一緒であることは伏せて。


「はい。まさにその道中で大変な思いをしましたので、安全に身を寄せられる場所を探していたのです。もちろん、エスプランドール城へ向かうのが最善の方法だったのでしょうが、如何せん距離がありましたので」


 マルテがそこまで言うと、サテーリテが話を先回りして引き取った。


「なるほど。それで、近くのティフォン城へ助力を求めたというわけですか」

「はい。ピスシス様は父の信頼も厚い方と聞いています。私のような私生児が存在すること自体をご存じかは不明でしたが、エストレージャの名を出せば、少なくとも話くらいは聞いてもらえるかと思ったのです。結局、門衛に鼻で笑われるだけでしたけど」


 マルテが自嘲して口元を歪めると、サテーリテも思わず苦笑した。


「本当の名で信用を得ようとしたのは理解しましたが、少し危険な賭けだったかと思います。あまり、いい方法ではなかったかと」


 サテーリテがそっと諫める。


「まぁでも、それはもう過去の話です。お会いできて本当によかった。私がいればもうティフォン城に頼る必要もありません。エスプランドール城までご同行しましょう」


 サテーリテが安心させるための微笑みを向ける。しかし、マルテは呆けたようにして目をぱちくりさせた。微笑んでいたサテーリテの表情が困惑へ変わる。

 予想外の展開だった。このままではティフォン城に滞在できずにエスプランドール城へ向かってしまう。それではせっかくここまで来ていながら、ティエラの目的が大幅に狂ってしまう。


「いかがしました?」


 サテーリテが不思議そうな目を向ける。


「あ、いえ」


 マルテは必死に頭を回転させた。なにか理由をつけてどうにかしてティフォン城へ乗り込まなければならない。


「私はエスプランドール城へ向かってもよろしいのでしょうか?」


 マルテがそう言うと、今度はサテーリテが驚いたように目をしばたたいた。


「そりゃあ、もちろんですよ。ノーヴァ様はシリオ公のご息女であられますから」

「いえ、ですが、これまで私が名を偽って、父から離れて生きていたのには、父になにかしらの考えがあってのことでしょう? それなのに突然、父の元へ帰ってすぐ、共に暮らすというのが許されるのでしょうか」

「しかし、身寄りがなくなったのでは仕方ありますまい」

「私の居場所を知らせた上で、これまでと同じように身分を隠して生きていた方がよろしいのではないでしょうか」


 マルテの話にサテーリテは顎をさする。マルテは続けた。


「一度、ティフォン城に身を寄せ、父の考えを聞いてからエスプランドール城へ向かうか否かを判断するのでも悪くはないのでは」


 さすがに無理な言い分かと思いながらも、マルテはそこまで言い切った。しかし、もし、ティフォン城にこだわる理由を尋ねられたらどうしよう。とっさにそれらしい理由を思いつけるだろうか。マルテは固い表情の中に不安と緊張を押しやる。

 テーブルを見つめ、しばらく逡巡する素振りを見せていたサテーリテが、おもむろに口を開いた。


「まぁ、たしかにノーヴァ様の言うことも一理あるかも知れませんね」


 その言葉でマルテの心は羽を得たように楽になった。


「居場所の違いがありこそすれ、今までと変わらず素性を隠しておけるというのは悪くありません。ただ、ティフォン城に身を寄せるということは、これまでのような商家の娘の生活とは大きく変わるということです。身分を隠す以上、下女として暮らすことになるわけですから。それでもやっていけますか?」

「もちろんです」


 マルテは決然と即答した。もっとも、ティフォン城に入らなければならないからそう答えるしかない。どのみち、その下女の生活も長くはないのだ。城主ピスシスはティエラの手によって星になる運命なのだから。


「いいでしょう。ですが、さすがにシリオ公のご息女にずっと下女暮らしをさせるわけにもいきますまい。早急にエスプランドール城に迎えるか、あるいは、別の身の置き場所を探すか、判断させていただきます」

「ありがとうございます」

「ティフォン城への手筈は私の方から整えておきますので、今しばらくお待ちください」

「何から何まで、重ね重ねありがとうございます。あ、それともうひとつ」

「なんでしょう?」

「そのノーヴァ様というのはおやめ下さい。今はマルテという名前がありますので」

「なるほど。そうですね。失礼しました」


 サテーリテは微笑んだ。マルテは心の底からサテーリテに感謝した。

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