後編 オーロラの雨
「おっす」
みぃこは教室の窓際に立って、こちらに片手を上げていた。
いたずらをした子供のように、にいっと笑う。
わたしは息を呑んだ。動けない。
すでに日が落ちている。
冬の入り口であり、時刻も午後六時をまわっている。雪でも降るのではないかという雲が午後からずっと空を覆っていたから、電灯をつけていない教室のなかをわずかに照らすのはグラウンドを照らし出す照明だけだ。
吹奏楽部の練習で遅くなり、忘れ物をとりにきた教室。
その窓際で、みぃこは笑っていた。
手を後ろに組んで、窓の縁に寄りかかるようにして、小さく首を傾げて。
あの子が毎日、毎朝みせていた仕草だった。
「どしたの、なに固まってんのさ」
「……み、みぃこ……帰って、た、の……?」
「ん、ただいま」
わたしは目と口を大きく開いたまま、はあっと空気を吸い込んだ。頬にいくつもの温かい雫が転がるのを感じる。
走って、みぃこにとびつき、抱きしめる。
「ちょ、苦しいよ、なっちゃん」
「よかった……よかった、帰ってきたんだね、よかったあ……」
わたしはしばらく、みぃこの肩で泣いた。みぃこはわたしの背中に手を回して、ぽんぽんと、柔らかく叩いてくれていた。
それでもやがて、ゆっくりと、みぃこの手がわたしを引き離す。
「……ね、なっちゃん。隠れ家のこと、覚えてる?」
みぃこはしゃくりあげるわたしの肩に両手を置いて、問いかけた。
「……ん、わかんない……なんだっけ」
「ほら。あたしがよくお母さんに叱られてプチ家出したとき、なっちゃん、あたしを押し入れに隠してくれたじゃない。隠れ家だよって」
「……そんなこと、あった、ね」
「うん、それでなっちゃんも、なっちゃんのお母さんにものすっごく叱られて。あはは。でも懲りずに、なんどもなんども、あたしのこと匿ってくれたね」
「うん、うん……」
「あたし、あの頃のこと、ずっと忘れられなくて。いつでも、なにかあったら、ほんとうに辛いことあったら、なっちゃんの隠れ家に行けば大丈夫だって、思ってきた。それでずいぶん、救われたんだよ」
「そ、うなの……?」
「そうだよ。研究所の訓練が辛かった時も、魔王討伐隊に選抜されたときも、そうして、出発の時も、わたしは泣かなかったよ。なにかあれば、なっちゃんの隠れ家にいけばいいって、思えたから」
「ん、うん、うん」
「次元を破る旅の間だって、寂しくて寂しくて、おかしくなりそうで、でも、眠る前になっちゃんの隠れ家に、いつも入って。そうしたら、落ち着いたんだ。いつもそうやって、乗り切った」
「……」
「とうとう目的地について、あの装置を起動するとき。あたし、実は知ってたんだよ。これを使ったらもう、戻れないって。ちゃんと覚悟してきたつもりだったのに、怖くてさ。怖くて怖くて、怖くて。ボタン、押せなくてさ」
「……みぃこ……」
「でも、あたしね。押せたよ。なっちゃんの隠れ家、見えたから。これを押せば、ずっと、ずうっと隠れ家にいられる、って思えたから」
「……え、みぃこ、ねえ……」
「ふふ。だからね、あたし、いま隠れ家の中なんだ。なっちゃんの、おうちの。だから、なっちゃんに会えたんだと思う」
「みぃこ。ねえ、みぃこ!」
みぃこの身体の向こう、窓の外の景色が、彼女を通して見えている。
蛍のような住宅街の明かりが、薄くぼんやりと、見えてしまっている。
みぃこは手を持ち上げ、くるりと回しながらしばらく眺めて、寂しそうに微笑んだ。
「……そろそろ、戻らなきゃ、みたいだよ。あああ。やだなあ、消えるの」
「みぃこ、やだ、やだ、やだ」
「いきたくないなあ。おかあさんにも会いたい。研究所のみんなにも。でも、しかたないね。あたしにしかできないことだったんだから」
手を伸ばす。みぃこの肩に触れる。が、わずかな抵抗を残してすり抜けた。
みぃこの目が、わたしをまっすぐ見つめている。
「ありがとう。また、会おうね。いつか、どこかの、隠れ家で」
わたしの前には教室の窓。
静かな暗い教室に、わたしだけ。
窓の向こう。暗い夜空がふいに、輝いた。
きらきらと輝く淡い光の帯。
ゆっくりと揺れながら、帯が世界を包みこんでゆく。
同時に、雨。
柔らかな光芒を背景に、雨がさらさらと落ちてきた。
ずいぶんの時間を、わたしは教室で過ごした。しゃがみ込んで、立てなかった。それでもグラウンドの照明が消えたころに立ち上がって、引きずるような足取りで学校をあとにした。
自宅に着いて、部屋に戻って、押し入れを開ける。
なんにも、ない。
暗い空間が口をあけているだけだった。
いくつかの次元が消滅することで発生する猛烈な磁気の歪みが、この国でもオーロラ現象を起こさせた、と、その夜、テレビでどこかの偉い人が喋っていた。
作戦は成功した、とも。
<了>
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