ミッション

壱単位

前編 たくさんの手紙


 することがない。


 三日前からすでに機器の操作をする必要はなくなっていたから、分厚い手順書を何度も何度も読み返すことに時間を使っていた。


 でも、手順はもう、とっくに暗記している。暗唱することすらできる。出発前にも先生たちに、ゆっくりと、こと細かに説明してもらっていた。そのときにはもう分からないことなんて何もなかった。それでもわたしは先生たちとできるだけ長く話していたかっかたら、何度でも説明をせがんだ。


 手順書の束を横に置く。

 窓の外は、暗い。

 真っ暗だ。


 事象の消失とか、先生がたはおっしゃってた。わたしには意味はよく分からない。夜の暗さとは違うということだ。

 ただ、わたしの故郷は大きな街だったから、夜でも明かりが眩しかった。だから、夜の暗さということの意味もまた、よくわかってはいないんだけど。


 故郷、かあ。


 パックのオレンジジュースをストローでゆっくりと吸う。とても美味しい。小さく包装されたクッキーを三枚取り出して、こりこりと味わう。優しい甘さで、やっぱり美味しい。ふふ、と笑みがこぼれる。


 小さい振動と、ぶうん、という、電子レンジを動かしているときのような音がずっと続いている。でももう、慣れた。どちらも十日も続けて聞いているし、なにより絶え間なく流れている、ゆったりとした、きれいな音楽がわたしを慰めてくれている。

 わたしの精神が平衡を保てるように、たくさんの工夫がほどこされた、わたし専用の音楽。何千人もの人が作曲に携わったと聞かされた。


 目を閉じる。

 音楽の合間に、やさしい波の音。風の音。森の、ざわめき。

 きれいな世界の、きれいな音。


 あ、と、わたしは小さな声を出した。座席の背後にある収納ボックスを開ける。忘れてた。こんな大事なこと忘れてるなんて! 最後までわたしは、おっちょこちょいで、抜けてる。

 ボックスに格納されていた紙の束を取り出し、手順書を脇においやって、どさっと膝の上に置いた。

 丁寧に細いバンドで閉じられたその束を、わたしはしばらく眺めて、手を置いた。ほんのり温かいように感じた。

 もちろん、錯覚だろう。


 バンドを解く。

 さわ、と、束が崩れる。

 ひとつ取り上げる。

 封筒はない。折り畳まれた、紙の手紙。


 最初のものは、高校の同級生からだった。仲が良くて、いつもいっしょにお弁当を食べていた子。

 声を出して読む。


 ……みぃこ。いっしょにいってあげたい。そうできたらいいのに。あんたみたいなちっちゃい、気の弱い子、ひとりで行かせたくない。わたしだったらよかったのに。どうしてかな。なぜ、みぃこだったのかな……。


 しばらく読んで、目を閉じて、そうして、次の手紙を手に取った。幼い字。小さい子供らしかった。知らない名前。たぶん、抽選で選ばれた子なんだろう。


 ……おねえちゃん、ぼくたちのせかいをまもるために、とおいところにたびにでる、とてもつよくて、とてもかっこいい、おねえちゃん、ぼくもおおきくなったら、おねえちゃんみたいになりたいです。


 次の手紙は、先生。学校の、ではなくて、研究所の。特に親しかった優しい女の先生。


 ……このあいだは、ごめんなさい。わたしの仕事が終わって、あなたと会うのが最後になったとき、泣いてしまって。もう、泣いてない。泣かない。あなたが旅をするのは、わたしたちと因果律が異なる世界。声は届かない。その代わり、わたしたちの世界の常識は通用しない。心だって、想いだって、あらゆる場所に、あらゆるときに、同時に存在しうる。だからわたしの心は、あなたと一緒に、最期まで……。


 次の手紙。研究所でずっといっしょに訓練していた、わたしをライバルと呼んで、仲間たちといじり倒してきた、候補者の子。


 ……こんちくしょう。最後まで苦手だった、手順書の七十三の乙号。ちゃんとやれよな。いまも手順書、読んでるんだろうな。もう、あたしも手伝ってあげられない。さよならはいわない。あたしは、あんたが羨ましい。人類を、世界を、あたしたちの次元を、過去と未来のすべての魂を、あんたが救うんだから。やれる。やれるって、信じてる。あんたなら。


 次。また、一般の人だった。お年寄りのようだ。


 ……孫になんども説明を聞いたけれど、わかりませんでした。魔王、なんて、子供の絵本を読んでるようです。我々と違う次元……この次元というのもわかりません、そこで生まれた歪んだエネルギーが意思をもって、他の次元を侵食するなんて。いまでも信じられません。毎日、テレビや新聞は、魔王と、あなたたち討伐隊のことばかりです。でもわたしにはやっぱり理解できません。どうしてあなたのような子供が、そんな危険なところに一人で行かなくてはならないのでしょうか。神様は、残酷です……。


 次の手紙は、驚いた。わたしが大好きだったバンドのヴォーカルさま! ああ、と胸に抱いて、思わず食い入るように読んでしまう。


 ……僕たちは楽曲の中で、泣かないで、立ち向かって、前を向いて、って、たくさん言葉にして、みんなに送り出してきました。みんなを勇気づけたかったから。日常の中で、戦う勇気を持って欲しかったから。でも、僕はいま、後悔しています。あなたが僕たちの曲を好きでいてくださったって聞いて。もっと、もっと、泣いていいよ、って言ってあげられればよかった。もう、遠いところに行ってしまわれたのかな。僕たちはずっと、あなたのために歌います。これから、ずっと……。


 研究所の所長の手紙もあった。


 ……数万の候補者のなかでいちばん若いあなたが、本作戦において最適合を示したことは大きな驚きであり、また、運命の残酷を感じざるを得ませんでした。多層次元界を溶解突破することができる輪廻受容体は、適合を示した人間ひとりしか包含することができない。せめて仲間を一緒に送り出してあげられれば……許してほしいとは、もう申しません。あなたは、人類の、宇宙の希望なのです……。


 次の手紙は、やわらかな桃色の便箋に書かれていた。


 ……お父さんにもお手紙書けば、って言ったんだけどね。たくさん言葉で伝えたから、もう、いいって。少しけんかしちゃった。お母さんは、あなたが大事です。あなたを行かせるくらいなら、人類も、宇宙も、みんな消えてしまえばいいって、思いました。はじめにお知らせが来た日からずっと、ずっと泣いてたお母さんに、あなたは言いました。大好きなみんながいる世界、大好きなみんなと繋がっていた記憶、ずっとずっと残ってゆく想い出、宇宙が消えたら、みんな無くなってしまうんだって。わたしは、いやだ。わたしはここにだけ、いるんじゃない。ずっと、ずっと、お母さんや、大事なみんなとのつながりのなかで生きてゆく。そういってあなたは、お母さんを抱きしめてくれましたね。出発の少し前の夜、研究所のお部屋借りて、みんなであなたのお誕生日会して、やっと十七歳になった、あなた。あなたは、いつのまに、大人になったんだろう。お母さん、あなたが護った世界で、あなたを待っているから。ずっと、ずっと、永遠に待っているから。おかえりなさい、っていう、その日を。



 

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