エピローグ 奇跡はいつもすぐそばに

 旧館の別棟、アベルの命を救う儀式に使われた部屋は、甘い花の香りに満ちていた。部屋のいたるところに白い花びらの花が撒かれ、部屋の奥には祭壇の代わりに絢爛な絨毯が引かれている。


「どうも、こういうのは何か、恥ずかしいな……」


 絨毯に置かれた座布団の上で、サフィールがエイシャの式服に身を包んで小さくなっている。その隣には、同じように座布団が置かれた上にきれいに畳まれた式服の中から葵が顔を出していた。


「なによ、あんた儀式慣れしてんじゃないの?」


 私は真新しい錫杖を振りながら首をかしげる。祭服につけられた装飾がちりんと鳴った。今の体形に合わせて仕立て直された祭服はぴったりと合って気持ちがいい。

 

「いや、なんというか……する方ばっかりで、してもらうのは慣れてないから」


 なんかいちいち言い方がいやらしいが、それももう慣れたことだ。私はへーとだけ言って、葵の方を見た。葵は頬を染めてうきうきしている。

 

 この旧館に所蔵されている書物の中に、精霊をこの世界に顕現させる魔法についての記述があったのだ。カインが精霊についての本を読んでいるときに見つけたらしい。

 古い記述だけに残った、誰も使わなくなった魔法だ。それだけの代償はあるけど、二人には為さないという選択肢はなかったのだろう。

 

「じゃあ、いくわよ」


 私は錫杖の先を二人の間に置く。古代エイシャ語の言葉で呪文を唱えた。


『我ら嘆きの海を渡す者、アカーナの民が万象の根源へ願う

彼の願いを叶えたまえ』


 私の詠唱に続いて、サフィールも呪文を唱える。


『此の者、彼岸より来りて此岸に留まり肉を得んと望む者

我は、彼岸に立つべき此の者と魂を分かち共に生きんとする者

望みが重なる場所へ至りし我らのために』


『『いまその境を開き、理を反せ!』』


 私たちの詠唱が重なった瞬間を狙って、私は見えないベールを掬い上げるように、境を破るように、錫杖を振り上げる。

 

 サフィールが苦しそうに胸を押さえる。一瞬どきっとしたが、それを合図にするように信じられない光景が目の前に現われた。

なんの前触れもなく、葵が式服をまとった姿で座布団の上に座っていたのだ。まるで、さっきからずっとそこにいたみたいな佇まいだった。

淡い水色の髪も瞳もそのままに、その背中には小さな白い羽が生えて呼吸と一緒に揺れている。葵自身も驚いているようで、自分の体をきょろきょろと見ていた。


「すごい……本当にできちゃった……!」


 葵がキラキラした目で私たちを見る。私だってびっくりしている。

 

 この魔法は精霊と魂を分かちあい、寿命を捧げるものだそうだ。二人とも承知のうえで、サフィールは自分を贄としてその寿命の半分を使うことで、彼女のことをこの世界に固定することを選んだ。

といっても、その状態でも彼らは人間よりはずっと長く生きるらしいから、それがどのくらいの代償なのか正直よくわからない。

 望めばどんな姿にもなれたみたいだが、葵はこの姿を選んだ。いわく、『ナスカとさっちゃんが思うボクの姿で居るのが一番いい』からだそうだ。

 

「さて、と。じゃあおじゃま虫は去りますかね」


 この部屋に撒いてあるのは、婚姻の儀の時に撒かれる花だ。その甘い香りに祝福されてめいっぱい幸せになるがよい。

 

そう考えながら後ろ向きで手を振って部屋を出た。




 部屋を出ると、大きな窓が開かれた廊下から中庭が見える。

 今日も陽が高く昇っていて暑い。氷の精霊の魔法で温度を調整しているから過ごしやすくなってはいるが、直接照り返してやってくる熱はさすがに防ぎようがない。

 

 結局あの後、カインは王の座を退き、アベルを他家からの養子に迎えた存在として領主として擁立した。それで帝国への服従を示すことはできて一応の赦しを得ることができた。それでいいんだ、とも思ったが、学院長のこともあるだろうし、あまり深くは考えないほうがいい何かが働いているんだろう、と判断した。

 私は学院に帰ることを許された。しかし、すぐに夏休みの期間に入りそうなので復帰は秋にすることにした。なんだかんだ勉強は役に立ったし、いろいろな人と出会うことで知見を広めたくもある。学校が楽しみになるなんて思いもしなかったな、としみじみと思う。

 

 ふと中庭の東屋を見ると、見慣れた顔があった。カインが座って本を読んでいた。

 

 じっと見ていると顔を上げたので手を振ると、振り返してきた。私はスカートを引き上げてカインに駆け寄る。カインは本を閉じ、眉をひそめてこちらを見る。

 

「はしたないな」


「今更ぁ?」


 私はそう言いながらスカートをぱたぱたと払い、彼の隣に座る。

 

「……甘い匂いがする」


 さっきの部屋に撒かれていた花の匂いが染みついてるのだろう。でも、彼の頬がこの暑さのせいだけでは無く、ほんのりと赤く染まっていることに気付いている私は、知らないふりをする。

 

「女の子だからいいにおいくらいするわよ」


「……そういうものなのか」


 面白いくらいに素直だ。彼はそれきり黙ってしまった。

 だけど、嫌な静けさじゃない。島の上を撫でる優しい風がさわさわと木々を鳴らす。母様の祈りと、父様の願いが今も織り上げている島風の音だ。カインが難しそうな顔をして口を開く。

 

「先日は、話したいことがたくさんあると言っていたが、……その、いざ話すとなると難しいものだな」


 私は、そう? と言い、彼の目を見つめた。

 

「じゃあ、言葉で話さなくてもいいんじゃない?」


 私は不思議そうな顔で見つめ返す彼の唇を、彼の気持ちを確かめるように指先で撫でる。

 続いて喉、胸、おなかをたどって。その下、本の横に投げ出された手のひらの中を撫でて、そっと握りこんだ。

 

握り返してくるその手のひらが、熱い。



 私は顔を傾けて、彼と唇を重ねた。

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【完結】Lost Kingdom ~能なし亡国少女は奇跡を起こす~ 神吉李花 @rikak

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