第52話 終焉の色
――エイシャ城。
私は普通に正面から城に入り、使用人たちに案内された客間で座っていた。
特に騒がれたりすることもなく、守衛や使用人も皆おかえりなさいませと挨拶してくれて。意外なくらいのいつも通りさに、私はあっけにとられていた。旧館でもそうだったし、たぶんカインと戦ったことも彼とモーマスしか知らないのだろう。
私が生活していた王家の住居は別棟だったから、この部屋はなんだか見慣れない感じがして少し居心地が悪い。
早く来ないかな、でもやっぱり気まずいなと思っていると、部屋の扉が開いた。
「すまない、どうしても外せない用向きがあって遅くなった……」
カインだ。もともと細い印象ではあったが、アベルの言う通りあまり食べてはいないのだろう、若干やつれているように見える。
まとっている王の衣装も、父様の印象と比べて頼りない感じがした。カインは使用人に命じてドアを閉め、私に駆け寄る。
だが、ある程度近づいた瞬間、彼は驚いた顔をして固まってしまった。
「な、なんだその恰好は!」
「なに? この服似合わない?」
私はむっとして立ち上がる。腰に手を当ててその顔を覗き込むと、カインは目のやり場に困ったように目を逸らした。
「いや、似合ってはいるが……その、肌を出しすぎではないか?」
私は自分の体を見る。言われて見ればまぁまぁな露出だ。
「でも、動きやすくて涼しいのよ、これ」
カインはため息をつき、お前が気に入っているなら……、と渋々と言った様子で椅子に座る。私も隣の椅子に座る。
……。
沈黙が流れる。カインは何も喋らず、背中を丸めて椅子に座ったままうつむいている。先月の再会とはテンションが違いすぎて心配になる。そして、やっぱり気まずい。
「旧館に来たという話は、聞いていた。ライラが失われたという話も」
カインが口を開いて、ぽつりと呟いた。
「約束を……思い出してくれたのか?」
彼のすがるような目が私に刺さる。今は思い出せる約束。王になって、私を帝国から取り返すという約束だ。彼はきっとそれだけを頼りに生きてきたのだ。
私は彼をしっかり見つめなおして、うなずいた。
「もちろん」
カインの表情が少し緩んだ。
そうか、と安心したように目を閉じる。以前のように話を聞かない感じではなさそうだ。説得に応じてくれる可能性はある。
「それに、アベルも無事よ。でも、このままじゃ帝国が私たちのエイシャを傷つけに来る。協力してくれる仲間たちもいるから、帝国への叛意を撤回して戦を避けましょ。それから、みんなでちゃんと幸せになるの」
「叛意……? なんのことだ?」
カインはよくわからないといった様子でまばたきをした。やはり、王という宣言がこの世界でどんな意味を持つのか彼はよくわかっていないらしい。説明を続けるために口を開こうとした瞬間、
「ナスカ様は、もうすっかり帝国に染まってはりますな」
頭の上から声がかかる。見上げるといつの間にかモーマスが立っていた。
「あなた……!」
気配すら感じなかった。煙のように現れた彼に、カリィが緊張する気配がする。
「ああ、呪われた血族のエイシャをやっとおしまいにするときが来たんですなぁ。うれしゅうおす、うれしゅうおすなあ」
モーマスは笑っていた。
記憶のどこかしこでも無表情か不機嫌な顔しかしていない、感情のないはずの自動人形の彼が本当に楽しそうに笑う。その姿に、心の底がぞっと冷えこんた。
「モーマス、お前は何を言っている……?」
カインは驚いたように立ち上がる。私も合わせて立ち上がり、命じる。
「そうよ、大教皇として命じます。『私に従いなさい!』」
モーマスは口元を隠しながら嫣然と微笑んだ。私の命令に従う気配もない。
「
――
カリィが初めて杖に変わったとき、サフィールが言っていた言葉だ。そう気づいた瞬間、モーマスが動く。
「ここから先は、楽しませてもらいますえ」
モーマスは袖を振る。鉄扇がじゃらりと音を立てて手元に現れた。
「兄上、ならん! それはならんぞ!」
カリィが私から離れて人の姿を取る。庇うように私たちの前に立ちふさがりながら、声の限りに叫んだ。
「兄上、そなたはエイシャの血族などもう終わってしまえばよいと考えているのじゃろうが、わしには納得できぬのじゃ。誰も彼も皆、愛おしい、かわいい子供達じゃ。わしは、その命をもう奪いとうない……!」
「カリィ……」
カリィの目から涙がぽろぽろと落ちる。
モーマスはそれを見つめて、思いをかみしめるように目を閉じた。
「ええなぁ、感情というものは。熱くて熱くて、空っぽのはずの胸の奥にごうごうと炎が燃え盛っとるようや。カリィ、あんたはずっとこれを独り占めしとったんどすなぁ」
モーマスはひらひらと舞うように話し、私たちを振り返った。
「なのに、工師さまはもう我らの役割は終わりと仰る」
「兄上……、なら、せめて美しく終わろうではないか。エイシャを護るものとして」
カリィの言葉を意に介さず、モーマスは鉄扇をひらりと舞わせ、私たちを指す。
「さあ、終焉の感情がどんな色か、見せてもらいましょ」
モーマスの体がゆったりと動く。次の瞬間、閃くようにモーマスの体がこちらに迫った。
避けられない、と思った瞬間、軽い衝撃と鈍い音が響いた。踏みとどまって周囲を見渡すと、カインが倒れて腕を抑えている。
「カイン!」
「俺のことは気にするな、戦え!」
私はとっさに下がり、カリィを呼ぶ。カリィは姿を変え、私の手に収まった。
何度も繰り返してきた戦いの合図。私はカリィを強く握りしめ、その刀身をくるりと翻して斬りつけた。
衝撃がして、押し返される。
さすがに強い。
何代もエイシャの大教皇――精霊とエイシャをつなぐ大切な役割を持つ巫女を守り続けてきた従者だ。カリィともライラとも違う、身一つで戦う力を備えている。
そんな奴と戦うなんて、と身震いするが、ここで留まるわけにはいかない。
踏み込んで斬りつけると、受け止められる。
叩き落してまた斬りつける。腕に当たって、ガチャリと何かがずれる音がする。
相手は自動人形、つまり機械だ。体に当たりさえすれば、関節部分や機構を壊していつかは壊すことができる。
でも、ちょっと予想よりも固いかもしれない。
モーマスの扇が私の全力を込めた一閃をはじき返す。
大きな音がして、カリィの刀身が欠けた。柄巻が割れて、私の手のひらの皮膚に刺さり、引き裂いていく。赤い血が床にぽたぽたと垂れる。
「あっ……」
思わず声が出てしまったのは、痛みのせいだけではなかった。
カリィが壊れちゃう。せっかく仲良くなれたのに、どこかに行ってしまう。
私の旅を、魔法を支えてくれた。そんな大事な存在を失いたくなんかない。
嫌だよ、とカリィを祈るように握りしめると、手の中でカリィが身震いして割れた束巻が締まった。その瞬間、まぶたの裏に映像が浮かぶ。
それは、私の後姿だった。
つい先ほどの、旧館の祭壇部屋で、ライラに祈っていたときの私だ。
カリィの声が聞こえる。
『お主は、姉上の魂に祈ってくれた』
『……わしはな、お主がわし等に魂を見てくれて、嬉しかったのじゃ』
『魂があるなら、きっとこの身が無くなったとしてもお主のそばに居られる。そうしてみせる。だから、迷うでない』
『工師様に造ってもらえて、お主に出会えて、よかった』
『終わりみたいに言わないで! これが終わったら、
私の声に、カリィが笑う。
『まったく、お主というやつは、怖いもの知らずじゃのう……』
『……じゃが、』
『わしはお主のそういうところが、大好きじゃ!』
「っ……!」
瞬間、右手に激しい痛みが走った。モーマスの扇が私の右手を打ち据えたのだ。
取り落としそうになった剣を、慌てて左手で支える。
――負けるもんか、私は、あんたに最後を告げてやる!
気合いを入れて握り直そうとした時、手にひんやりとした感覚が走った。みるみるうちに傷が癒えて、力が入る。
「氷よ、壁を造れ!」
カインが魔法を唱えたのだ。厚い氷が私たちを覆う。
「多分すぐ破られるとは思うが……」
そう前置きして、カインは私の手を取る。そのままその手を自分の胸に押し付けて、ぎゅっと握った。
「父とアベルの心臓を奪った俺の罪を、蛮行を許してくれとは言わない。でも、もう一度会えてうれしかった。お前が許してくれるなら……、」
「今度はちゃんと、陽のもとでもっと話をしたい」
黄金色の瞳がまっすぐに私を見ている。
「だから、勝て。太陽の乙女よ」
「勝って、俺を導いてくれ‼」
――びっくりした。
ダメダメだと思ってたけど、ちゃんとドキドキさせてくるじゃん。
私は顔を寄せ、返事の代わりにその唇の端に口付けた。と同時に、氷の壁が崩れる。
「つづきは……あとでね!」
私は気配を慎重に探り、予感のする方に向かって剣を付き出した。ガン! という音がしてモーマスの左腕がくたりとぶら下がった。
これなら、いける。私は足を踏み出し、関節を狙って打つ。
カルミアの港でジルと戦った時、葵にかけられた魔法がまだ生きているのだろうか。驚くくらい的確に、私の剣は彼の要を打ち据えていった。そのたびに動きが鈍る。
これで、最後だ。
渾身の力を込めて、背中に剣を打ち付ける。何かが割れた音がして、モーマスの体は地面に倒れた。
まだ動いていた上半身と首もきりきりと音を立てて痙攣するようにぎこちなく動いた後、ぴたりと動かなくなってしまった。
私はカインと目を見合わせ、モーマスに近寄ってしゃがむ。
かすかに機構が動くジーという音が聞こえた。もう聞こえてないかもしれないけど、と思いながら声をかける。
「で、どんな色が見えた?」
沈黙が流れる。もしかしたらもう壊れてしまったのかもしれない。
「何も、あらし、まへん」
モーマスは口すら動かさずに声を出した。
発声機構がゆがんでいるのか、ノイズの入った妙な調子の音だ。
「夢を見ている、うちは、虹色なのに」
「終わってしまえば、何も、ない」
胴体の中で何かがカランと転がる音がした。
「ああ、終焉とは、なんと、も、興なきこ……と」
最後に金属の板がはじけたような音を残して、モーマスは動かなくなってしまった。
私はその胸に、カリィを突き立てる。カリィは継ぎ目から外れてばらばらと落ち、何なのかわからない金属のかけらになってしまった。
かけらの山から、光るものがこぼれ落ちて私の足元に転がって止まる。
それは、金色のメダルだった。
彼女は、まるで陽だまりのようなキラキラとあたたかい光をたたえて、私の足元にとどまっていた。
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