39 データ検索
脳血流測定器は実験棟五階の測定C室に一台ある。多くの患者を診る病理医学に比べるとこじんまりとした部屋で、五人で入るのがやっとというスペースだった。
予約時間はリリンの抜けられる昼の一時間、それ以上の延長は怪しまれるから後回しになる。何とか制限内にデータを見つけ出さねばならない。リリンは素早くマウスをクリックし、タッチタイピングで入力していく。彼女は普段からデータ処理に慣れていてものすごく早い。
「あるの、そんな昔のデータが」
「科学はデータを消すなんてバカなことはしない」
イツキの質問にサイカが答えた。
「出た」
フォルダがいくつか並んでいる。研究チームごとに作成されていて、促進剤開発、緑化抑制剤、ゴードウェル部長、未来開発機構、ミセル研究、ドナーアクセプター分子研究室、etc……名前に統一性がなく自由に表記されている。研究者が勝手に作って増やしたものだろう。
「どれだ?」
「たぶんその他だと思う」
リリンがマウスをクリックした。その他のフォルダのなかには数えきれないほどのデータが入っていた。おそらく機器を新調するたびに過去データをその他にまとめて放りこんでいたのだろう。
「二千三百件」
左下に小さく表示された数字を見てマフィアスが恐れ入ったというように吐息した。いや、とサイカがケインの写したノートをめくる。
「ナンバリングがあったから。それを検索する」
リリンが検索バナーを出してデータ名を読み上げながら入力した。
「0103112055」
「間違いそうなデータ名ですよね。アダマス・ヒュランダルはデータ管理に関してはずさんだったのかもしれませんね」
「たぶん何番目の測定かという管理と日付と月と年代を並べたものだと思う。途中で表記方法が変わっているからケインくんの見立ては合ってるかも入れないけど」
「あった」
データはすぐに見つかった。それをクリックすると白黒の脳血流の撮影動画が再生された。ケインが身を乗り出して見つめる。
「これは……」
見解を述べようとしたら扉がノックされた。ドキリとしてみんなで扉の方を見る。この部屋にはセキュリティがないから誰でも出入り自由になっている。
マフィアスが人の気配を感じて扉に寄った。扉が開いて入ってきたの五階勤務の女性研究者だった。すれ違ったことくらいはある。
「ああ、ごめん使用中だったの?」
「そうだ、外に書いてあったろう。まだ終わらないんだ、後にしてくれ」
「悪かったわ」
女性研究者はそんなに怒らなくてもといいながら出ていった。完全に気配がなくなるとみんなで止めていた呼気を吐く。
「びっくりしたあ」
リリンは気を取り直すと閉じていた動画をもう一度表示した。みんなでそれを見る。
「ちゃんと流れてますね。もっと拡大して」
「ちょっと待って」
カタカタとキーボードを叩いて脳の輪切りの拡大画像を六つ一気に表示した。
「見方が分からないんだけど」
「ボクが見ます」
ケインはそういって画面に触れた。ここ、と指さす。
「海馬の脳萎縮が見られます。前頭葉や上側頭回にも。この被験者はおそらく統合失調症です」
「統合失調症……」
「緑化病じゃないってことか」
「別のも見せてください」
「0304112055」
サイカがデータ名を読み上げる。表示されたのは先ほどと少し様相が違う動画だった。ケインが「高齢者だ、アルツハイマーが起きてるし脳梗塞も二つやってる」といった。七十五歳と書いてある、年齢からいえば妥当だった。ノートには痴呆との但し書きもあった。
「アルツハイマーじゃ幻聴があってもおかしくないわ」
「その判別はつかなかったのかな」
「アダマス・ヒュランデルは脳科学の専門医ではありません。というより門外漢だ。秘密裏に進めていた研究だから相談する人もなく、基準内で幻聴を訴えた患者をとりあえず研究対象としたんでしょうね」
「おかしいだろ、統合失調症の患者なら意識混濁はない。むしろ眠れなくなる。それくらいオレでも知ってる」
「そこがね、まあ引っかかるところではあるんですが」
「じゃあ、ヒュランデル博士はただの統合失調症の被験者を隔離してただけなの?」
「何ともいえません。動画見る限りではそうとしか」
他もよく見せてとケインがいったのでマウスを渡し、リリンは身を引いた。
緊張で心拍が少し高い。ドキドキとしてきた。
「だんだん眉唾になってきたぞ」
「本当にプランティアに地下なんてあるのかな」
「分かりません」
「噂すら聞いたことないけどね」
「病理医学じゃ案外知られているかもしれないぞ」
「それはあると思う」
サイカはイツキの言葉にどうしてという顔をした。
「そんな風だったんだ。上手くいえないけどペーペーですら知ってるような」
「ペーペー? 日本語ですか」
「下っ端ってこと」
ああ、とみんなに少し笑いが漏れた。
「どう、結論はケインくん」
「見た動画だけだとすべて血流が滞りなく流れています。でも半数くらいは統合失調症だ。仮にそうでなくて彼らが緑化病という架空の病気だったとしましょう。それでも、これらのデータがどの段階で取ったデータかということも一切不明ですし、このデータだけじゃ提供者たちが緑化病に罹患していたという証拠がないんですよ」
「ずさんなデータ管理があだになったな」
「アダマス・ヒュランデルが自分一人で分かるようにデータ管理してたんだったらどうしようもないね」
「どの被験者が何年の何月何日にどういう状態だったかまで把握したいならデータセンターにいってか。でもさすがに100年も前となるとね」
みんなで気を落としているとリリンが面白いこと思いついたとパソコンを叩いた。
「何探しているんです、リリン?」
「まだちょっと時間あるでしょ、探すの。アダマス・ヒュランデルのデータ」
「データはさっき見て……」
「違うよ」
リリンは″Adamas Hylander″とタイピングした。
「ああ、そういう意味」
「でも、出てこないね」
「止めようか。後の人待ってるし」
「待って」
イツキが手でみんなを制して動きを止めた。何かを考えている。
「どうした? 聴こえる何か」
「……打って」
「え?」
「……名前を逆さに打って、て」
「誰が」
「いいから」
リリンが怪訝そうな顔をして打ちこんだ
「Rednalyh Samada……っと。え、ウソ?」
一件のデータがヒットし、リリンはそれをクリックした。
次の更新予定
2025年1月10日 19:05
お隣の植物くんと地球を科学する 奥森 蛍 @whiterabbits
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