38 リリンの新しい居場所

 リリンはこれまで所属していた薬剤開発部を離れて、現在は病理医学部の外来で検査技師をしている。資格を持っていたからだろうが、こんな左遷ってある? と疑問符だらけだった。GMD測定室に出ずっぱりでいったい何件測定しているだろうというくらい患者のGMD測定をしている。慣れてはいたがしんどい。何がしんどいって。


「退屈。ほんと退屈」

「ごめんね、人手が足りなかったからエスさんが来てくれて本当に助かってるのよ」

「いえいえ」


 先輩技師に声掛けされてリリンは愛想よくひらひらと手をふる。そして先輩が離れると「退屈で虫になりそう」なんてつぶやいてみる。機械がスキャニングしている音をテンション低く聞いて、測定が終わるとマイクで患者に労いの言葉を呼びかける。


「終わりました。お疲れさまでした」


 ベッドのそばにいくと体を支えてやって下りる介助をした。おばあさんの患者さんで足が悪いらしく、肌の色は緑化手術を受けた人間だからよくはない。何より具合が悪そうだ。緑化促進剤の使用歴がある。どう考えても中期の全能性。


「先生、わたし異常なかったですか。すごく関節の調子が悪くて」

「あたし先生じゃなくって……あ、いやそれよりもぜん……」


 と、いおうとして口を噤んだ。


「結果を見て医師からまたお話がありますから待合室でお待ちください」


 はい、と患者は測定室を出ていった。その後ろ姿を見送る。診断するのはあくまで医師の仕事、と自戒した。間髪入れずに次の患者が入ってくる。肩を落として吐息した。貧乏じゃなくても暇なし。休む時間くらい欲しい。


「お待たせしました。こちらのベッドにどうぞ」


 にこやかに案内すると先ほどとまったく同じセリフを吐いて同じ作業をする。日常をつまらなくしているのはこの行程なんだぞと思いながら。




 昼食だけを楽しみに毎日生きているこの状況ってなんだろう。仲良くなった四人組で二階の食堂のオープンスペースで食べているのだが、先輩のおしゃべりは止まらない。パーティーにいった先で変な男に絡まれただとか、恋人が出来た、ケンカしたなんて話ばかり。リリンは話に加わらずに時々愛想笑いする程度だった。


(これまでと状況が違いすぎるんだよね)


 薬剤開発部にいたときは本当に楽しかった。サイカと女子二人で話しているときも気取らず楽しかったし、マフィアスやケインもいて四人でいるときは馬鹿な話が多かった。気兼ねせずに何でもいい合える仲、さっぱりとした間柄。案外女子ってあたし苦手なんだと分かった。


「リリンもいく? ホームパーティ」

「あたしパス」

「どうして彼氏いないでしょう」

「欲しくな~い」


 ストローくわえながら答えると先輩女子三人が笑った。


「一生検査技師するつもり?」

「え、なにそれ。そんなことあたしいってないよ」

「いや、そうなっちゃうでしょう」

「病棟の若い医者見つけないと」


 何ともいえない気持ちになって視線を落とした。みんな楽しそうにしていることは大いに結構。それでもあたしは――


 仕事が終わって帰宅すると玄関でアクセサリー類を外した。お洒落は好きだ。毎日ネックレスを忘れずつけていくくらい。でも、病理医学では色々いわれる。いいにおいのするハンドソープで手を洗ってタオルでふくと洗濯機に投げ入れた。

 冷えた炭酸ジュースの缶を片手にガラスケージに張り付いて話しかける。


「あのさあマウスくん、わたし研究者なんだよ」

「…………」

「そうだよね、しゃべらないもんね」


 ぐっと炭酸ジュースを流しこむとくてんと首を折った。じつはサイカに会いたくて一度だけ隣の隣の部屋のインターフォンを押そうとしたことがある。でも押せなかった。サイカは責任を取って謹慎処分を受けているわけだし、今さらチームが違うのに押しかけては迷惑ではないか。さすがにそんなこといわないとは思うのだけれど。

 やっぱりあの時の言葉が尾を引いている。


――全員即刻実験室を立ち去れ! チームは解散だ。


 あんなにきついと思った瞬間はなかった。顔を落とすと泣きたくなる、あたしたち頑張って来たんだよって。情状酌量の余地もなし?


「はあ、ごはん食べよ」


 サイカが美味しいと教えてくれたパスタを食べていると涙が出そうになった。テレビをつけても恋愛のドラマしかやってない。すぐに消した。


「ああ、明日も検査」


 ソファにチーズのように伸びてでろんとする。ダメ、お風呂いれようと立ち上がって浴室にいくとバラの入浴剤を放りこむ。


「テンション上がるんだよねえ」


 ふんふふんと鼻歌を歌っているとインターフォンが鳴った。はいはーい、と返事して扉を開けると会いたかった顔が四つ並んでいた。リリンは表情をぱあっと明るくする。


「みんな!」




 リリンはサイカたちの話を目を白黒させながら聞いた。イツキがよくしゃべるものだからそれも驚いたが、内容が内容だけに驚きを隠せない。アダマス・ヒュランデルが生きている? なんでそうなっちゃったのって思ったけど。


「リリンには脳血流測定器のデータを探し出して欲しいの」

「なんだあ、あたしに会いたかったのかと思った。データが欲しいだけって」


 するとサイカはリリンのほっぺを両手で引っ張った。


「リリン違うよ、わたしたちは仲間だよ。みんなで秘密を突き止めよう」

「えっ」

「リリン、チームはみんな揃ってないと稼働しません」

「みんな仲間だ」

「オレはチームじゃないけど」


 リリンはこの頃のことを思い出した。張り合いのなかった日々、このまま埋没していくのかと思いこんでいたから。リリンはぐっと息を飲みこんで顔をぶるぶるとふるうと溜めていた言葉を発した。


「あたし、やっぱりダメ。サイカ・パラレルの下じゃないと働けない」

「ボクも楽しくありません」

「オレも苛立ってばかりいる」

「うん、わたしもだよ。みんなに会えなくて寂しかった。科学ってやっぱり好きね、離れられない」


 みんなで視線を合わせて気持ちを確認し合うとハイタッチを交わした。

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