37 理論の仮定

 ケインの翻訳画面を見てマフィアスは声を上げた。


「思った通りだ、スウェーデン! 間違いなくアダマス・ヒュランデルだ」

「早計ですよ、マフィアス。今生きてたら何歳だと思うんです」


 ケインが指下り数え始めたのでイツキは吐息した。明白に聞き取れたつもりではあるが、外国のイントネーションだ。間違っているという可能性もある。それに。


「ヒュランデル博士じゃなくって普通に考えたら過去云十年間のスウェーデン人の被験者だっていますよね」

「まあ確かにそう」

「いや、こんな偶然ないと思うぞ。ちなみにテレパシーがって理論はどうなんだ。医者からの正直な見解を聞きたい」


 ああ、それはあり得ますとケインがもう一度同意した。


「テレパシーっていうのは人間とイルカの超音波対談なんてバカな話もあるくらい進んだ研究なんですよ」


 ケインは立ち上がって雑然とした本棚から古びたフィンチを引っ張り出してきた。即どの雑誌か内容を覚えるほどに読みこんでいるのだろう。テーブルの上で開いたページには長大な論文が載っていて、イツキはげんなりした。


「テレパシーというのは周波なんですね。発信する側と受信する側の周波が一致した時に交信可能となって、実際地球の反対側にいる人間同士がコミュニケーションしたという記録が残っています。現在では言語障害を持つ人がテレパシーの理論を応用して思考していることを機械製の疑似脳で受信し、会話出来る仕組みなんかも開発されているんですよ」

「ああ、あの話ね」


 言葉にしてくれると分かる。テレビでもやっていた。論文をのぞきこんだくらいでは理解できないけれど、彼が熱心にそう訴えるくらいだからない話ではないのだろう。


「オレが統合失調症かもっていう可能性はないの」

「そうなんですか?」

「いや、まあ違うとは思うけど」


 困ったなとケインが頭を抱えた。何を困っているのだろう、天才が考えることは分からない。


「いいか、結論をまとめるぞ」


 マフィアスが身振り手振りで仕切り始めた。


「植物くんはエレベーターのなかで声を聞いた。何かを語りかけていてヒントは地下、もしかするとアダマス・ヒュランデルが生きていてメッセージを発信しているかもしれない。メッセージはテレパシーのよって行われた」

「そして病理医学は何かを隠しています」

「それはもしかするとこれまでにいなくなった被験者かもしれない」

「被験者はみな緑化病という特殊な病気に罹患しています」




「で、そのトンデモ理論を男三人で作り上げてわたしのところへ?」


 呆れたようにサイカがいった。部屋着でくつろいでいたらしく片手にビールを持っている。昼間から飲んでいたようだが酔ってはいないみたいだった。


「植物くんは同意したの?」

「いや、まああったらちょっとは面白いとは思う」


 その返答にサイカはあっそという顔をした。


「いいよ、入って」


 招き入れられたサイカの部屋は比較的片付いていた。散らかり放題だった記憶があるけれど、自宅謹慎中に片づけたのだろう。


「最近、顔も見ないけれど何してたんだ」

「メタバースとか、ビール飲んだり。買い物も時々行くけど服もそんなに要らないし」


 ベッドに腰かけるとビールを飲み干して、机に缶を置いた。


「さっきの理論どう思います」

「全否定してあげる」


 冷めた意見にケインとマフィアスは考えたようだった。


「人間の寿命は別に心臓の心拍数だけで決定しているわけじゃないし、今生きてたら何歳。全能性のケインくんが死んだのに全能性じゃない人間は生きているって違いは?」

「政治的なことは気になります?」

「科学的な論拠が気になる」


 サイカはノートを広げると絵を描き始めた。人体の絵だった。心臓を書いて血管を手際よく書いていく。


「心臓の機能が落ちて心拍が低くなると意識障害が起きる。脳に血液が運ばれなくなるためね。まもなく脳細胞が壊死する。脳細胞が壊死すると呼吸機能が停止して死に至る。これが全能性の患者の末路。ところが植物くんの場合は意識障害はなくむしろ鮮明に意識があった。どうして?」

「脳に酸素が運ばれていたからです。血液中に大量に存在する酸素によって」

「酸素が過剰だったのはどちらも同じでしょう」


 みんなでうーんと考える。あ、と思ってこれ、とイツキは指さした。


「血管の状態じゃないの?」


 みんな一瞬動きを止めた。


「もう一度いって」


 サイカに促されたのでイツキは説明をした。


「全能性が生じると細胞壁が出来ることによって組織が固くなる。固くなった組織は心臓の収縮が行えない、すなわち脳に血液が運べない。だから死ぬ」

「けど、緑化病なら組織が柔らかいままだから血液が流れるってことか! そうか、そうだぞ、そうか! おい、植物くん天才だな!」


 黙った二人を見てマフィアスが同意を求めた。二人とも唖然としていた。すごいとは思うけど、とサイカが言葉を発した。


「どう、ケインくん? あり得そう」

「科学的データがないと」

「脳の血流ね」

「植物くんを調べるのか、被験者じゃないのに」

「いや、違う。過去にアダマス・ヒュランデルの調べたデータが測定室に残っているはず」

「かなり前ですけれど、確かです?」

「ノートコピーの途中のページ覚えてる? あれ、ナンバリングを全部表にしてた。きっとデータがあるのよ」

「ああ、アレそういう意味だったんですね」


 ケインが納得したようにうなづいていた。


「でも機械の操作はわたしたちじゃ無理。測定はリリンに全部任せてたから。みんなで暇を見て明日にでもリリンに話しにいこう」

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