36 ノートの検証
マフィアスが配属された開発チーム、緑化促進剤開発A班は実験棟の五階にある。ケインも事情くらいは聞いているけれど、過去に因縁のあった科学者と同チームらしく会うたびに文句を垂れていた。あいつはセンスない、異常だ、それくらいならまだいい。湾岸に沈めるぞなんて恐ろしいことを述べるので実際にやりかねないとケインもわりと本気にしていた。
研究室のインターフォンを鳴らすとマフィアスが出てきた。
「ケイン! それに植物くんも! 久しぶりじゃないか。どうした入れ」
「ああ、いや植物くんは昨日ぶりです。内密にお話したいことが、でも今忙しいなら仕事終わった後でも」
「このチームは大した仕事はしてない。今からカフェにでもいって話し合おう……おい、オレの実験器具に触るな!」
マフィアスが実験室のなかに指さし剣幕を立てると反撃の声が上がる。相変わらずなことやっているんだなとケインは独りごちた。口論しているのはマフィアスと同年代か少し上くらいの科学者だった。
「大した仕事してねえっててめえどんなつもりでいってやがる!」
「まんまの意味だ。それともあれか、仕事出来ないのを棚に上げてオレたちの功績を批判するつもりか」
「チンピラだろうがお前は」
「ブラジルのチンピラに囲まれてベソかいてたのは誰だ。冴えない科学者のお前だろう。何かいってやれ、ケイン青年!」
「クソ野郎」
「よし、よくいった! いこう」
三人で実験室をあとにすると話し合ってケインの自室に向かった。
散らかった衣類を片づけてとりあえず場所を作る。ソファを動かしてベッドと近づけると小さなテーブルを囲んで三人輪になった。
「そりゃどういうことだ」
マフィアスはイツキの話に即食いついた。イツキは具体的に話を続けた。
「よく分からない。頭のなかで会話している感じがあったんだけど」
「相手はちゃんといました?」
「たぶん」
「おい、植物くん。いまとても大事なところだ。しっかり思い出してくれ。相手は名乗ってたか」
「いや。でも我々っていってた」
「我々……」
ケインは口ごもって考えた。我々なんていわれればどうしても想像してしまう。
「他の被験者なんてことあり得ると思います?」
「他の被験者?」
「冗談だろ、それじゃテレパシーだ」
「いや、それに関してはあり得えます」
ケインはうなづいて以前マフィアスに借りていたアダマス・ヒュランデルのコピーの写しを見せた。暇だったから内容を確認しながら書き写していたのだ。コピーはすでに返却してある。
「隔離って具合の悪くなった被験者が?」
「おそらく。植物くんもそうなる予定だったんですよ」
イツキが口を引き結んだ。自分の身に起きようとしていたことを想像するとどうしてもそういう反応になるだろう。
「この人も、この人も、この人も隔離」
イツキがパラパラとページをめくっていく。書かれている症状はそれぞれ違うがみんな緑化病といわれる症状だろう。全部で三十八件、数えたから間違いない。ヒュランデル博士が主に執心していたことは幻聴に関することだったようだ。後ろに進むにしたがって事細かに詳しく、異常とも思えるような幻聴の内容を書き記している。
三百キロ離れた実家の姉の声がした、向こうの人が悪口をいっている、神父の祈りが聞こえる。レベル的には統合失調症の幻聴と変わらないというのに。
「あのさ、でもヒュランデル博士っていうのは他の人たちもだけど、死んでるんだよね」
「もちろんです。当時の彼らが生きてたら百五十歳は超えている、無理でしょう」
「無理?」
「人間は理論上生きられるのが百三十五歳から百五十歳っていわれているんですよ。心臓だって二十五億回ほどしか持ちませんし」
「心拍が低くなったら持つんじゃないの」
え、と一瞬ケインは思考を止めた。
「それ本気でいってる?」
「うん」
マフィアスがあごに指を当てていた。
「面白い、すごく面白いぞ。他に植物くん何をいってたか覚えているか」
「医者とか看護師が、ごめん誰がいたか知らないけど。エレベーターのなかで話してた。この前の人はどうなってる、五年も前だけれどって」
「うーん」
ケインの言葉に沈黙が落ちた。はっきりいって人間の寿命の問題は心臓だけではないのだ。色々な細胞の若返りが必要で……
「病理医学では緑化病って呼んでるらしいんですけど。緑化病になったら植物としての機能が芽生えてくるから人間としての形質は薄くなります。仮にですよ、仮にですけどに脳を携えながら人が植物としての機能を獲得すればそういう意味では長命になることも。植物は人間よりはるかに長生きですし、でも乱暴すぎませんか。理論が」
「医者の常識ではそうなるだろうな、でも今抱えている問題が常識外のことなんだ」
「全能性との問題はどうなるんです。ユーリくんのような全能性の患者は長生きしていない」
「調べたのか」
マフィアスが驚いたようにいった。
「はい、みんなにはいえませんでしたけど」
ユーリが全能性を発症してからの末路は調べていた。彼はすでに亡くなってプランティア近くの墓地に埋葬されている。
「アンダージョーディスキ」
イツキの突然のつぶやきに二人は「ん?」という顔をしていた。
「何語だ、植物くん」
「分からない、ずっと定期的に聞こえてたんだ。何か伝えたいみたいだった」
「調べます」
ケインはすぐさま携帯電話で検索を始めた。たくさんの候補がすぐに出てくる。目をぱちくりとさせて動きを止めた。
「どうしたケイン」
「″underjordisk″ スウェーデン語で『地下』だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます