第5話

 ヴァレリア王国の西の森に伝書鳩が訪れた。丸められた紙を足から外したアロンは送り主を確認して、師匠の元へ走る。向かった先は直径一〇メートル以上はあろう大樹の根元。嵌め込まれた木製の扉を開ければ、大木の中をくり抜いた空間が広がった。


「ガデニア様、デイジー様から手紙が届きましたよ」


 木の枝を組み合わせた大きな鳥籠のようなベッドで眠るその人へ声をかける。ローブを脱いだ漆黒のワンピースが純白のシーツの上でもぞりと動いたが、起き上がる様子はない。「読んで」とだけ起き抜けの声が言う。


「この前の庭創りのお礼と、その後の庭の様子に……あと、オリバー様が奥方様と離縁したそうです」


 マージョリーの実家が彼女の使い込んだ金を補填することで、法的制裁は免れたらしい。継母と義妹は荷物をまとめて出て行ったそうだ。これでデイジーも安息の日々を取り戻せるだろう。


「今回の庭には、を蒔いたんです?」


 アロンが手紙を引き出しにしまいながら問う。仰向けになったガデニアは瞼の裏に懐かしい記憶を思い浮かべ、そっと口を開いた。


「オキシー……子だくさんな母親で、子どもたちを心から愛してた。きっとデイジーのことも可愛がってくれるわ」

開花する目覚めるまで、デイジー様は庭を守り続けてくれるでしょうか」

「あの子は大丈夫よ。きっとオキシーの花を咲かせてくれる、きっと……」


 まるで自分に言い聞かせているようだった。手の甲で目元を隠しているからわからないが、声色から泣いているようにも感じる。尊大な物言いが目立つガデニアだが、生まれてすぐ西の森に捨てられた自分をここまで育ててくれた優しい人だ。凛と咲く花が頼りなく揺らぐ様に狂おしくなったアロンが彼女を慰めようと近づくが、それを阻むように天井から木の根が下りた。と、アロンは幼い眉間を寄せる。


「ガデニア、我が愛しの花のあるじよ。そなたの涙を地に落とすのは忍びない。どうか我が根に吸わせておくれ」

「気色悪いわね」


 即座に冷たく突き放した。高い天井から伸びる数多の根が寄せ集まり、人の形を作る。幾重にも重なった根の間から恍惚に微笑む端正な男の顔が現れた。それはお調子者のルーツにそっくりな……いや、彼そのものだ。


「ふふふ、いな」

「触らないで。馴れ馴れしいのよ、いつも。あなたのルーツも……」


 背後から回された熱っぽい手を払い、背を向ける。ルーツそっくりな男はくつくつと喉を鳴らした。


「滅んだ祖国のために我が庇護を求めたのはそなただろう。大地に這った根から情報を集め、そなたが種を蒔く庭を探しているのは誰かな?」

「見返りを寄越せと言うの? 木の王は器が小さいのね、ユグドラシル」

「む……」


 そこまで言われてしまえば、ガデニアの白い肩を愛おしげに撫でていた手を離すしかない。二人の一連のやり取りに青筋を浮かべたアロンも、木の王ユグドラシルを殴り飛ばすため手にしたフライパンを台所に戻した。


「そなたの気を引くのも容易でないな。ならば新たな庭を授けよう」

「ふぅん?」

「場所はノープ領のフォルク村。仕事一徹な夫へ病を告げられぬ妻が大事に手入れする庭だ。気に入ったか?」

「……いいんじゃない?」

「ならばさっそく根を伸ばそう。また忙しくなるな、ガデニア」


 今ごろフォルク村近くの木からルーツが現れ、金のステッキを振りながら夫婦の元を訪れていることだろう。


「アロン、支度なさい」

「はい、ガデニア様」


 呼ばれて嬉しそうにいつものトランクケースを開けたアロンは、中にびっしり詰まった瓶詰の種や球根の数を確認する。

 ガデニアもようやくベッドから起き上がると、いつもの黒いローブを羽織り、口元を隠すフェイスベールを耳に掛けた。


 弔意の喪服を纏い、ガデニアはまた命の種を蒔く。




 ❀




 精霊界にはたくさんの王国があります。

 その中に、花の精霊たちの暮らすフロリア王国がありました。


 美しい花々が咲く王国に、ある日とつぜん虫の国から軍団がおしよせました。花の精霊たちはつぎつぎと虫たちに刺され、食べられてしまいます。


 そこでフロリア王国の女王様は、自分の命と引きかえに花の精霊たちを種にもどして、娘の王女様にたくしたのです。


 なんとか人間界へ逃げた王女様は、人間たちの庭にたくされた種をまきました。花の精霊たちの力のみなもとは、花を愛する人の心だからです。


 仲間たちが目をさますのを、王女様は西の森でずっと待っています。




【ヴァレリア王国貯蔵/児童書『創庭のガデニア』より】

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創庭のガデニア 貴葵 音々子 @ki-ki-ki

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