第4話

「ねぇオリバー聞いてるの!? 早くあの女を――」

「オリバー・ランドール」


 声を張ったわけではないのに不思議とどこまでも響くような澄んだ声が、マージョリーの発狂を掻き消す。


「あなたは亡くなったダリアからこう言われていたんじゃない? ――私が死んだら、――と」

「なぜ、それを……」

「彼女との思い出を焼失してしまうのが惜しくて切り倒したんでしょうけど、遺言はきちんと執行してあげないと。故人に失礼よ」


 ガデニアが目配せすると、火を灯した松明を持ったアロンが屋敷からやってきた。硬直するランドール家四人の横を静かに通り過ぎ、庭の作り手へ火を渡す。呆然としていたオリバーは揺らめく炎にハッと我に返り、とっさに手を伸ばした。


「ま、待ってくれ!」

「あっ――」


 息を呑んだデイジーの目の前で、切り株に松明の火が落とされた。ガデニアが手を翳すと火は何倍にも膨れ上がり、瞬く間に切り株を吞み込んでしまう。

 燃え盛る炎を前に、オリバーは失意でがくりと膝をついて項垂れる。


「そんな……ダリア……ああ……」


 普通の炎とはまるで違う勢いで燃やし尽くされ、切り株は焼失した。炎は渦を巻いて天へ細く上り、何事もなかったかのように消え去る。

 黒く焼け焦げて何もなくなった場所へ、デイジーがふらりと近づいた。


「ガデニア様、どうして……私が植樹しようとしていたの、知ってますよね……?」


 母の庭を元通りにしてくれたと思ったのに。これではいくらネモフィラが咲いても意味がない。失望の眼差しがガデニアを突き刺すが、冷めた美貌は地面をじっと見つめていた。


「デイジー、よく見なさい」


 虚ろになった目でガデニアの視線を追う。煙が残る地面へ向かって白百合のような指先が何かの印を描いたとたん、黒いヴェールの頭上に眩い光の玉が出現した。それはまるで小さな太陽のようで、降り注いだ光に導かれ、焼けた土の下から緑が芽吹く。


「焼け溶けたノクタの木の樹液が地面に染み込むと、その養分によって地中で眠ったままの種が目を覚ますの。モルフォ島のネモフィラの花畑は、三千年前の大火災で焼失したノクタの森林から生まれたのよ」


 ヴァレリア王国の植物図鑑には載っていない、モルフォ島だけで語り継がれた伝承。喪失を乗り越える象徴として、の島民は大切に思う者のそばにノクタの木を植える。

 その一帯だけ時の流れが速まったように、芽吹いた様々な草花の新芽は茎を伸ばして葉を増やし、色とりどりの蕾を付け、花開いた。デイジーとオリバーは瞬きすら忘れて、大切な人が残した奇跡の花畑を見渡す。その中に母の瞳と同じ色をした蒼穹のダリアのを見つけ、二人の頬を静かに涙が滑り落ちた。


「ダリアが残してくれた宝はこの素晴らしい花畑だけじゃないはずよ。そうでしょう、オリバー?」


 ダリアのそばに寄り添うように咲いた白いデイジーの花を見て、オリバーは娘の腕を引いて抱き寄せる。肩を震わせて抱き合う親子の元へ、金のステッキを鳴らして軽快なステップを踏むルーツが近づいた。彼が持っていた書類の束に気づき、マージョリーが顔を青くしてギョロっと目を剥く。


「ど、どこでそれをっ……!?」

「ふふふ、お庭で秘密の会話をするのはやめた方がいいですよ、奥様♡ 木や草花は全てを聞いていますから」


 胡散臭い端正な笑顔が有無を言わさぬ圧を放つ。まるで取り立て屋のようだとガデニアは思った。まぁ、あながち間違いではない。


「資金回収も大事な仕事なので、昨日のうちにちょっと調べさせてもらいました。ランドール家の資産を食い潰して借金を山ほど作っていますね? 今回の仲介料も完成した庭にあれこれケチをつけて踏み倒すつもりだったんでしょう? 悪いお人だ、本当に」


 厳重に隠していたはずの借用書が、とうとうオリバーの手に渡った。顔面蒼白になった後妻を、確認した書類から顔を上げたオリバーがわなわなと肩を震わせて睨みつける。


「日々汗を流して働く領民たちから預かった血税を使い込んで、借金まで……どういうことか説明してもらおうか、マージョリー」


 再婚以来初めて向けられたオリバーの怒気に充てられ、マージョリーはその場にへたり込む。流れ弾を食らったリリィも、動きを止めた茨の中心で縮こまり失禁してしまったのだった。

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