第3話

 翌朝。清々しい気分で庭に出たはずのマージョリーは、濃いルージュを引き攣らせて呻いた。


「んなっ、な、なぁッ……!」


 おかしい。あの身の程知らずの庭師に無理難題を吹っかけて「やっぱりできませんでした、申し訳ありません奥方様」と泣きつく無様な姿を堪能するはずだったのに。おかしい。高い場所から見下ろすようなあのお澄まし顔に泥を塗りたくって高笑いするはずだったのに。おかしい!


「うっそ、なんでぇええ!?」


 マージョリーに手を引かれてやって来たリリィも、はち切れそうなほっぺをぶるんと揺らして地団太を踏む。レディには程遠い醜態を鼻で笑ったガデニアは、ガーデンベンチから立ち上がった。


「レディ・マージョリー、新しい庭はお気に召した?」


 両手を広げた彼女の背後には、見違えた中庭が広がっていた。

 雑草だらけだった道沿いを埋め尽くす青いネモフィラが、手招くように風に揺れる。苔が生えていた天使象は元の白さを取り戻し、恋の矢じりが誇らしげに天を向いた。キングサリの黄色い花房と薄紫のライラックが彩る石壁は、まるで絵画のよう。根元にはチョイジアの低木が白い可憐な花を咲かせる。マージョリーは眉間をぴきりと震わせるが、一晩で季節が一巡したような光景を前に、言葉が出てこない。


 遅れてやって来たデイジーは、干上がっていたカスケード(段差を利用した人工滝)に水が流れる庭を見て、大きく目を見開く。


「これって……」

「あなたのお母様のレディ・ダリアはモルフォ島出身でしょう? 亜麻色の髪と青い瞳ですぐわかったわ」


 モルフォ島はヴァレリア王国に属する南の島の小国で、ネモフィラが咲き誇る美しい島だ。同じくネモフィラが咲いていた母の庭を思い出して涙ぐむデイジーを、鼻息を荒くしたリリィが後ろから突き飛ばす。


「きゃっ!?」

「あたしのお誕生日なのに! 何でおねーさまなんかがこんなお庭をもらえるの!? あたしもほしい! おねーさまばっかりずるい! ずるいずるいズルい!!」


 デイジーよりも上等なドレスを着たリリィの駄々は止まらない。デイジーが自分よりも良いものを持つことが許せなかった。デイジーは自分より劣ってないといけないのに。そうやって無様に地面に倒れているのがお似合いだ。自分はデイジーよりも愛される価値がある。こんな屈辱は何があろうと許されない。


「あたしのものにならないなら、こんなお庭――いらない!」

「ッ、だめ!!」


 買ってもらったばかりの真新しいパンプスがネモフィラの花壇へ向かうのを見て、デイジーは立ち上がった。丸々とした腕を両手で必死に引くが、痩せ細った身体は簡単に突き飛ばされてしまう。背中を殴打するであろう衝撃にぎゅっと目をつむるが、いつまでたっても痛みは襲ってこない。その代わり、ふわりと何かに受け止められる。それはどこから現れたのかわからない薄桃色の花弁の山。麗しい香りに包まれて、デイジーは瞬きを繰り返す。


「私の前で花を踏み潰そうとするなんて、愚かな子」

「ガデニア様……?」


 周囲にゾッとするような冷気が走る。風も吹いていないのに黒いベールから桃色の髪がふわりと広がった。ガデニアの底知れぬ怒りを感じ取ってデイジーが声を震わせた刹那、石壁の裏の薔薇から茨の蔓が伸びた。まるで死霊が這うように四方から集まり、小さな巨人を取り囲んでいく。


「イヤアアアッ!? な、何よこれぇ!?」

「リリィ!?」


 踏み潰そうとする爪先を避け、棘を鋭くした蔓が威嚇する。柔肌を突き刺す痛みを想像して、リリィが泣き崩れた。マージョリーは顔を憤怒に染め、今にもガデニアに飛びかかろうとする。そこへ颯爽とした足音が駆け寄った。


「これは何の騒ぎだ!」


 現れたのはランドール家の当主、オリバー。見違えた庭で茨に囲まれ大泣きするリリィと激昂するマージョリー、そして花びらの山の上で呆然とするデイジーを順に見比べ、困惑の表情を浮かべる。

 公務から帰って来たばかりの夫に駆け寄り、マージョリーは唾を飛ばしながらガデニアを指さした。


「オリバー、この女を今すぐ何とかして! デイジーが私たちを陥れようと化け物を招いたのよ! そのせいであの子が……!」

「うわぁああん! おとーさま、たすけてぇぇええ!!」

「っ、どういうことだ、デイジー!」


 声を荒上げられたデイジーは、ひゅっと息を詰まらせて身を竦める。「違う」と反論したいのに、悔しさや悲しみが喉奥で渦巻いて、上手く言葉が出てこない。ここで悪者に仕立て上げられ、母の庭だけでなく父からの信頼すらも義妹に奪われてしまうのだろうか。あのネモフィラを見て、父は何も感じないのだろうか。失意の涙が込み上げそうになったその時、ガデニアが切り株に近づくのが見えた。

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