第2話

「お父様は公務で王都に呼ばれていて、明日の朝には帰ってくる予定です」


 良家の長女の部屋とは思えない手狭な倉庫のような場所で、デイジーは客人のために手ずから紅茶を淹れた。

 ガデニアはティーカップを顔の前まで運ぶと、フェイスベール越しに匂いだけを嗜んでソーサーへ戻す。飲食は嫌いなのだ。


「あの、ガデニア様……」

「質問しているのは私よ。まぁでも、一つくらいなら答えてあげてもいいわ。手短にね」

「こ、こんな風に時間を浪費して良いのでしょうか……? 朝までに庭を仕上げるだなんて、いくらなんでも……」



 ――いいでしょう。ただし明日の朝までに完成しなければ、あなたには一ベラたりとも払わない。不遜で不躾で不細工な能無しだと、アキレア中に言いふらしてやる!



 厚化粧の上に泥を塗られ激怒したマージョリーがそう吐き捨て、今に至る。本邸とは別棟の離れであるはずなのに「おねーさまばかっりズルい、ズルい、ズルい!」と、豚の鳴き声が聞こえてきた。


「問題ないわ」

「でも、新しく植えるお花や木はありません。あの中庭を守っていた庭師たちはお義母様に解雇されてしまいました。お手伝いできるのは私くらいで……」

「大丈夫ですよデイジー様。ガデニアは奇跡の庭を創るヴァレリア王国一の庭師ですから! のんびり昼寝でもしてお待ちください~!」

「何であなたが偉そうに言うのよ」


 鼻高々に宣言するルーツの背中を押して「あなたはあなたの仕事をしてきなさい」と囁き、部屋から追い出した。

 ガデニアとアロン、そしてデイジーの三人だけになった部屋で、再びガデニアから質問が投げかけられる。


「それで、あの庭のことだけれど」

「……あそこは、亡くなった私のお母様が特に大切に手入れをしていた庭なんです。切り倒されたノクタの木も、私が生まれた時にお母様が植えたと言っていました」


 デイジーは簡素なベッドの下をおもむろに覗き込むと、あるものを引っ張り出した。隠すように布を被せたそれは、家族の肖像画である。


「新しくこの家にいらしたマージョリーお義母様が、ダリアお母様のものを全て処分しようとされて……これだけは人目を盗んで取り返したんです」


 誠実そうなオリバーと、娘と同じ亜麻色の髪とサファイアブルーの瞳が美しい柔和なダリア。そして椅子に座った二人が抱える宝物デイジー。だが、その幸せは永遠には続かなかった。


 流行り病でダリアが亡くなってすぐ、「母親がいないと大変だろう」という親戚のお節介で紹介された再婚相手がマージョリーだ。その頃には既にアキレア領を賜っていたため、親戚側には政略結婚の意図もあったのかもしれない。彼女も夫と死に別れて娘がいるから、上手くやれるだろうと――。


「マージョリーお義母様とリリィは強欲の化身です。気に入らないものは全て排除して、欲しいものは何だって手に入れようとします」


 マージョリーはオリバーの目を盗み贅に金を溶かし、リリィはデイジーのものを何でも欲しがった。人形に、ドレスに、部屋に……気づけばデイジーは全てを奪われて、この離れの小屋に押し込められている。


「オリバーには相談はしなかったの?」

「もちろんしました。でも……」


 マージョリーは強欲だが、馬鹿ではなかった。オリバーの前では言葉巧みに良き母を演じ、デイジーをいたく可愛がる。

 母の形見の髪飾りをリリィに奪われたと、父に泣きついたこともあった。だが義に熱いオリバーには、果たすべき大義が別にあるらしく……。


『デイジー、よく聞くんだ。リリィは私の子ではないが、私の子として育てると十二の神々に誓った。お前とは血の絆があるが、あの子にはない。だから私は血と同じくらいあの子を愛さなければならない。わかるね?』


 血を分け与えた実の娘と同じくらい、連れ子を愛する。それが再婚したオリバーの義だ。しかし過分な愛情は継母と義妹を付け上がらせる。


「前に、マージョリーお義母様がダリアお母様の庭を壊そうとしたんです。古臭いと言って……」


 普段は大人しいデイジーがあまりに反対するものだから、さすがのオリバーも妻を説き伏せた。だが思い通りにならず気が済まなかったマージョリーは「せめてあの鬱陶しい木をお切りになって。鳥が居ついて糞だらけなの」と言い出し――結果、オリバーは木に斧を入れた。


「お父様なんて大嫌い。お母様が植えた思い出の木をあっさり切り倒すなんて……!」


 怒りを灯した目に、悲しみと悔しさから薄っすらと涙が浮かぶ。だからこそデイジーは切り株から植樹を試みていたのだろう。奪われたものを取り返すために――。


「……ガデニア様なら、あの中庭を元通りにしてくださいますよね?」


 デイジーの望みは新たな庭ではない。母が愛していた場所を取り戻すことだ。


「私は依頼人にとって本当に必要な庭を創るだけ。でも今の話を聞いてデザインはまとまったわ」

「ではさっそく作業に?」

「いいえ」


 時間に追われて焦るデイジーをよそに、ガデニアとアロンの師弟は日が暮れても動くことはなかった。

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