創庭のガデニア

貴葵 音々子

第1話

 ヴァレリア王国には噂の庭師がいる。

 

 腕前は超一流で知識も豊富。左右対称の庭造りが主流の中、自然体を意識した独創性も目を惹くとか。


 だが最も注目を集めているのは、その庭にまつわる逸話である。


 庭を与えられた平民が大金持ちになった。

 閉店寸前の寂れた食事処が王室御用達店に変貌。

 その庭で過ごした主人の大病が完治した。


 どれも信憑性のない与太話だと思うだろう。だが、全て事実である。


 庭師の名はガデニア。人気ひとけのない西の森で暮らす、偏屈で美しい女性だ。




 ❀




「お断りするわ」


 冬の凛冷とした空気のように、パリッとした拒絶の声が応接間に響く。

 豊満な胸をコルセットで締め上げたランドール家の奥方マージョリー、そして丸々とふくよかな女児リリィは、向かいに座る客人を引き攣った顔で凝視した。


 言葉でツンと棘を刺したガデニアが纏うのは、肌を徹底的に隠す黒のローブ。癖のない桃色の髪が異国の血を物語る。ローブと同色のフェイスベールが鼻から下を覆うが、禁欲的に隠された美貌が却って彼女の魅力を高めた。生まれた瞬間から大切に育てられた貴族令嬢が花瓶に生けられた優美な花だとすると、ガデニアは地図にない前人未踏の地に咲く幻の花。毒や幻覚作用があるかもしれないが、不思議と手を伸ばしたくなる。だが本人は冒険者に摘まれる気など毛頭ない。黎明の色をした大きな瞳が剣呑に細められた。


「なぜ私があなたのお誕生日に庭を創らないといけないの?」

「あ、あたしはランドール家の次女よ!?」

「私は肩書で庭を創ったりしない。だって私が創った庭でお友だちとくだらないお喋りをして、片隅に尿瓶の中身を捨てるのでしょう? 馬鹿らしい」


 吐き捨てる彼女の隣にちょこんと座るのは、弟子の少年アロン。歳は十三になる。ヴァレリア王国では一般的な濃い茶髪が、額でふわりと弧を描いた。成長途中の身体の半分もあるトランクケースを膝に乗せて、絶賛激昂中の依頼人を前に、年齢に見合わぬ涼しい顔で「お帰りになりますか?」と師匠に問う。なかなか強かな少年のようだ。

 だがそれを是としなかったのは、ランドール家から多額の報酬を提示された専属仲介人のルーツである。お馴染みの金メッキステッキを放り投げ、堪らず旧友を廊下へ連れ出した。


「ねぇ~! 困るよガデニア~!」


 馴れ馴れしく肩を抱き小声で責め立てるルーツを、黄金の瞳が冷たく睨む。ガデニアはこのくるくるの赤毛と派手な黄緑色のジャケットを燃やしてやろうかといつも考えていた。


「あなた、私の貴族嫌いを忘れたの?」

「ランドール家は先の内乱でアキレア領に孤立したヴァレリア兵の一団に物資を届けた功績で領地を与えられた、いわば義の家だよ! わかる? 義!」

「義があるのは当主のオリバーでしょう。ゴテゴテした時代遅れのドレスを着た奥方は叙爵後に嫁いだ余所者じゃない。しかも娘は贅沢で肥えて、まるで豚みたい」

「ブフッ」


 ドレスを着た白豚母子を思い浮かべて、ルーツは思わず吹き出した。無駄に高い鼻やシュッとした顎を押さえて、ヒィヒィ笑いながらガデニアの薄い背中を叩く。こういう軽薄なところが嫌いなのだ。


 不愉快だと言わんばかりに逸らした目がガラス扉の外へ向けられる。門から続く背の高いトピアリーに隠されて気づかなかったが、屋敷正面の広大な庭とは別にこじんまりとした中庭があったらしい。その四方を囲む崩れた石壁越しに、亜麻色の髪の少女が座り込んでいるのを見つけた。


「あっ、ちょ、ガデニア~!」


 家主の断りもなくガラス戸を開けた後ろ姿を追って、ルーツも中庭へ飛び出す。


「あなた、ここで何をしているの?」


 庭の中心に植えられた切り株の前に座っていた少女はガデニアの声掛けで立ち上がり、こちらを振り返った。

 大きなサファイアブルーの瞳に長い前髪がかかる。一応ドレスは着ているが、仕立て直しをしていないのか、伸びた背丈の分だけ短く不格好だった。所作の行き届いた美しいカーテシーを見なければ、使用人の子どもと勘違いしていただろう。


 彼女はデイジー。子豚の義姉であり、オリバーの実子である。


「切り株の状態を確認していました」

「何のために?」

「植樹を、したくて……」


 切り株の上には分厚い本が開かれていた。植物学についての本で、貴重な図録付の珍しいものだ。十三歳になったばかりの少女が読むには難しいだろう。


「ガデニア、子どもと話す時は目線の高さを合わせようか」

「私が跪くのはお母様と十二神の前だけよ」


 肩をすくめるルーツへ尊大に言い放つガデニアは宣言通り膝を折ることなく、切り株を見やる。年輪が浮かぶ切り口の側面から、新たな芽が出ていた。


「萌芽しているわね。まだ根は枯れていない」

「そ、そうなんです! 去年は全て枯れてしまったので今年こそはと思って、それで――」

「お話は終わっていませんわ、レディ・ガデニア」


 戻ってこないガデニアに痺れを切らしたマージョリーが中庭にやって来た。ねっとりとしたその声を聞いた瞬間、デイジーは痩躯を一瞬で強張らせる。


「あら、デイジー……んふっ、薄汚い恰好で驚いたでしょう? この子は土いじりばかりの変わり者で、いつもそうなのよ」


 蔑みすら感じられる嘲笑は継母だからか。アロンの手を無理矢理引いてドシドシとやって来たリリィも、義姉を見て豚のように鼻を鳴らした。


「キャハッ! おねーさまったら、庭師の真似事がと~ってもお似合いですよぉ。でもだぁめ。この中庭はあたしが貰うんですから」

「ッ、そんな! お父様がそう言ったの!?」

「バカね、いない人にどうやって許可を取るの? でもおとーさまはあたしが望めば何でもくださるわ。みすぼらしいおねーさまと違ってね」


 畜舎の空気の方がマシだとガデニアが呆れていると、薫風が吹き抜けた。聞くに堪えない家事情から目を閉じて意識を逸らし、草花や木の芽が囁くように擦れる音に耳を澄ませる。しばらくして、けぶる睫毛が開かれた。


「――気が変わったわ」

「ガデニア、それって……!」

「庭を創ってあげてもいいと言っているの」


 諸手を上げて喜んだルーツは、得意げな顔で依頼人母子に親指を立てウインクをした。これで彼の懐には破格の仲介料が舞い込む。


「ただし、そっちの子豚じゃなくて、この子のためよ」

「え……?」


 頭を軽く撫でられたデイジーが驚いてガデニアを見上げる。金の刺繍が施された黒いフェイスベールが風に揺れ、不敵に笑む口元を覗かせた。

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創庭のガデニア 貴葵 音々子 @ki-ki-ki

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