13:ウサギは走る

 司書ウサギは、書類をテシテシテシ! と前足で叩いた。

「何度も同じ事を言わせるな。いいから、さっさと署名しろ」

 向かいの椅子に座った私は、腕を組んで司書ウサギを睨みつけた。

「何度でも言ってやるわよ。絶対にお断り!!」

 ここは引けない。引いてたまるか。


 うろこ氏が、ウサギは思念の中を漂っているような存在だと話していたので、何だか幻想的な存在だと思っていたけど大間違いだった。幻想的な連中が人間を担いで全力疾走するもんか。


 2階の宿からダンジョン通路に出た瞬間に司書ウサギたちに取り囲まれ、あっという間に担ぎ上げられ、猛スピードで通路を走り、3階への階段を飛ぶように下り、また通路を走り、広い事務所のような部屋にナップザックと共に連れ込まれたのである。完全に目が回ったようになって、しばらく動けなかった。

 さすがにあちらも少々哀れに思ったのか、隅のソファに私を寝かせて「まったく軟弱者だな。これを飲め」とカップに注いだコーヒーを持ってきてくれて、迂闊にもちょっとだけ有難く思った。

 何せ、3階へ下りる手間と時間が大幅に省けたのだ。目は回って気持ち悪いけど。


 しかしとりあえず動けるようになったら、有無を言わさずカウンターの受付窓口のようなところに座らされ「手続き上必要だ。文章をよく読んで署名しろ」とボールペンと一緒に書類を置かれたのだった。まるでお役所だ。渋々読んでみると、えらく整った綺麗な文字で文章が書かれている。


 <5つの決まり>

 ひとつ。本を傷つけてはいけない。

 ふたつ。本を落としてはいけない。

 みっつ。本を踏んではいけない。

 よっつ。本を移動させてはいけない。

 いつつ。本を読みながらビスケットを食べてはいけない。


 私は眉をひそめた。

 ――本を読みながらビスケットを食べてはいけない。

 あれ、これ。何かを思い出しそうになる。なんだっけ……。


 しかし司書ウサギの偉そうな発言でぼんやり気分は吹き飛んだ。

「読んで理解したな? では一番下の線のところに署名しろ。お前が署名せねば我々の仕事が進みにくい」

 私は再び腹が立ってきた。大体、なんで犯罪者扱いをされねばならんのだ。

「仕事が進まないって、だからって私を捕まえて犯罪者扱いをする必要は無いでしょうが。せいぜい迎えにくるぐらいで」

「血縁者のお前がダンジョンに入ったと案内人から連絡があった。だから待機していたが、いつまでも経ってもエリアに顔を出さない。可及的速やかに出頭しないとは許しがたい犯罪に等しい行為だ。だから捕縛した」

 案内人から連絡? 何だ私の事を血縁者だと覚えていたのか。同時にピンときた。

「ははーん、私が通路で海の匂いがしたとか話したからでしょう? あの時、案内人は妙にうろたえて司書に聞けとか言ってたからねえ。でもたかだか2日や3日ぐらい待てばいいでしょうが。私は人間で、重い荷物担いで徒歩なんですからね」


 司書ウサギはなぜか黙ってしばらく私の顔を見てから、無視する態度に出た。

 書類を前足で叩く。悔しいが可愛らしいと思ってしまう。

「いいから、さっさと署名しろ」

「お断り!」


 しばらく「署名しろ」「お断り」のやり取りが続き、嫌になってきた。

 鱗氏もウサギは口うるさいと言ってたな。納得だ。その上に偉そうときたもんだ。

 けどここは徹底抗戦だ。足を組んでふんぞり返り、司書ウサギの背後でこちらを遠巻きに眺めているウサギの集団に目をやる。

 カウンターの奥には、ダンジョンに入って初めて見るスチール製の巨大な本棚が幾つも並んでいる。学生時代の図書館の貸し出しカウンターもこんな雰囲気だったな。

 落ち着いて周囲を良く見ると、エリアは白い壁で白い天井には何と何本もの蛍光灯が室内を照らしている。どうりで馴染みのある明るさだ。電気がどうなっているのかは謎だけど。


 わざとらしく蛍光灯の本数を「いっぽーん、にほーん」と声に出して数えていると、司書ウサギは溜息をついた。

「全く強情だな。このダンジョンでは我々がいなければ秩序が保てないのだぞ。血縁者だろうがお前は歩き回るだけで役に立たない。さっさと署名して宣誓して我々に協力しろ」

「ふん。私はこのダンジョンを正式に血縁者である父親から引き継いだ、正式な所有者ですからね。歩き回るのにウサギの許可なんぞ不要ですよーだ」

「所有者? それはお前の理由で我々には関係ない。ダンジョンはダンジョンだ」

「私には関係あるの! ダンジョンの名義変更だけで幾ら払ったと思ってんの? 税金だってこれから毎年かかるんですからね!」

「いよいよ関係ない。そちらの世界の法律と金銭のやり取りはそちらの世界の話だ。ここはダンジョンだ。ダンジョンの厳格な決まりに従う義務がお前にはある。そもそも血縁者としての決まりを守ったからこそ、1階の扉からダンジョンに入れたのだろう?」


 ぐっ。本当に冷静で口達者だ。おまけに知識豊富ときたもんだ。くそうウサギなのに。これは謝罪をさせるのは無理ぽいな。

 父親がガイドブックに「ウサギはうるさい。だがほとんど会う事もない」とだけウサギの事を書いてたな。こんな風にうるさいので、鱗氏のように関わろうとしなかったのだろう。


 ……だけど署名の事とかは何も書いてなかったなあ。


 そこでふと思いついた。

「そういえば、私の父も血縁者だから署名したんでしょう? その書類を見せてよ。それを見てから判断する」

 司書ウサギは少し怪訝な顔をしてから席を立つと奥に入っていき、すぐに薄いバインダーを手にして戻ってきた。やはり整理整頓はきっちりしていると見える。

「これだ。彼は説明を聞くと素直に署名して宣誓したぞ。お前もダンジョンを引き継いだ者なら見習え」


 絶対に、面倒くさかったからだ。そりゃあの父親なら、ウサギ相手ならさっさと署名するだろう。けどこのウサギ、覚えてくれているのか……。

 私は開かれたバインダーを覗き込んだ。

 確かに、書類の一番下に「間宮勇まみやいさむ」と署名してある。けれど、何だこれ。

「ちょっとウサギ。署名は確かに私の父の字だけど、なんで5つ目の決まりに線を引いて消してるの?」

 司書ウサギは、ああ、とうなずいた。

「それは彼が自分で線を引いた。ここまで来て小言を聞きたくないし言われたくないと説明してな。まあビスケットは絶対に食べないと約束したので、我々も妥協した」

「はあ、なるほど……ビスケットねえ」

 小言を聞きたくない? あののん気な父親にしては妙に強気な行動だ。そしてやっぱり何かを思い出しそうになる……ビスケット……。


 考えていると、司書ウサギが尋ねた。

「そういえば、ここ最近彼の訪問が無いようだが。お前に引き継いだのでダンジョンとは縁が無くなったのか?」

 ちょっと返事に困った。

「えーと、実は血縁者というか父は亡くなったんですよ。だから私が引き継いだ訳で。ダンジョンには良く入ってたみたいですけど、私は何も聞いてなくて」

 思わず丁寧な話し方で言い訳めいた事を言ってしまった。司書ウサギは、驚いたように目を見開くと立ち上がり、胸に手を当て頭を垂れた。長い耳もへしゃげたようになる。


「そうだったのか。残念ではあるがこの地での別れは我々の運命。どうか彼の別の地への旅路が穏やかであるように」

 私はびっくりして司書ウサギを見上げた。

「いやそのどうも。けどそんな風に言ってもらえるとは予想外でしたよ」

 座り直した司書ウサギは不思議そうに私を見た。

「妙な事を言う。亡くなった者を悼むのは、知識人として当然ではないか」

 私はとうとう降参した。さすがにこれ以上強情を張ると、私が馬鹿みたいだ。悔しいが、知識豊富なウサギには色々尋ねたい事もあるし、謝罪はいずれ子分にする事で相殺しよう。私は自分で自分に言い聞かせた。そうだ、先は長いのだ。

「わかりましたよ、署名します」


 ボールペンで「間宮菜月」と署名する。遺産相続の時に何度もこんな風に署名したけど、まさかダンジョンでねえ。書類を確認した司書ウサギはうなずいた。

「これで良い。ふむ菜月か。では血縁者、本に手を置いて<5つの決まり>を守ると宣誓してくれ。言い方や言葉は任せる」

「はあ。宣誓ですか。なんか大げさですね」

 まあ別にいいか、と別の司書ウサギが分厚くて重たそうな本をよたよたと運んでくるのを見る。

 これが本? まるでレンガだよ。と呆れながら、カウンターにずしんと置かれた本の表紙を見た。

 本の題名は、黒字に太い金文字ででっかく『文学史三百年』とある。

 難解そうというか、完全に私には縁の無い本だな。これに手を置いて宣誓? 


 次に著者名を見た瞬間。

 ビスケット……思い出した、そうだあの時だ!


 ――いいな菜月、決して本を読みながらビスケットを食べるなよ。本の間に細かい食べかすが落ちる。本の間のどんな屑も私は決して許さないからな。特にビスケットは。


 本の著者名は「間宮巌まみやいわお」と書かれていた。

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積ん読ダンジョン! 高橋志歩 @sasacat11

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