第47夜 もうひとりの夜叉
川原に、朱里の声が響き渡る。群がっていた人々は、その力強い声色に息を飲んだ。
辺りが静寂に包まれる。聞こえるのは流れる川のせせらぎだけ。
「天の裁きの代行者、紅夜叉はこの俺だ!」
群衆がどよめいた。うわさに聞く紅夜叉が実在したことへの驚きと、目の前にいることの畏怖。そして、彼が輝真組に捕まり処刑されようとしていることへの歓喜や絶望が入り交じった喧騒に、空気が大きく震えた。
続けて彼がなにを語るのか。好奇心に満ちた視線が一点に注がれる。
「おかしいとは思わないか! 帝府の役人どもは我が物顔で市中を闊歩し、私利私欲のために民を利用して私腹を肥やしてやがる。毎日田畑を耕してるのは誰だ? 俺たちだ! 汗水垂らして必死に働いてるのは誰だ? 俺たちだ!」
「そ、そうだ……!」
「あいつの言うとおりだ!」
「俺たちだ! 働いてるのは俺たちだ!」
朗々と発せられる朱里の言葉に、群衆の一部から同調の声が上がった。長屋暮らしの農民だったり、家業を無くした商人だったり、御家つぶしに遭った武士だったりと、さまざまな立場の人々だった。順風満帆に見えても平時から帝府に不満を持っていた民衆をも巻きこんで、その声は次第に大きくなっていく。
「国のために民がいるんじゃない! 民のために国があるんだ!」
最後は朱里の声がかき消されてしまうほどに、人々のさざめきはひとつの雄叫びへと姿を変えていた。そのあまりの勢いに、警備にあたっていた隊士たちが怖じ気づいてしまうほどである。
「立ち上がれ! 俺たちは、ひとりじゃない!!」
朱里の視線が、群衆の中の一点へと向けられる。橋を埋めつくすほどの人だかりの中に、彼は見知った姿を見つけた。
――達者でな、巴……。
朱里はわずかな笑みを口元に浮かべて、胸の内でそうつぶやいた。
群衆も去り、いつもの静けさを取り戻した川原で、輝真組は片づけに追われていた。処刑された罪人の遺体はすぐさまその場から運び出され、近くの寺へと預けられる。
本来であれば、罪人はさらし首にされるのが通例である。だが輝真組はそうすることを良しとしていなかった。罪を償うために処刑されたのだから、死後も辱しめるようなおこないは死者への冒涜であるという組長の考えに沿った判断である。よってこの町では、処刑後はすみやかに近隣の寺へと預けられ、無縁仏として丁重に葬られることになっていた。
「……来てましたね、巴ちゃん」
黙々と作業をするかたわらで、聖がぽつりとつぶやいた。彼の立ち位置からは、おのずと正面に橋をとらえることができる。朱里の介錯をつとめた彼は、佑介としての姿でその場にいた巴に気がついていた。まっすぐにこちらを見下ろす視線を思い出すと、少しだけ胸が痛む。
静かに刀を抜き、夜叉の首に狙いを定めて両腕を振り下ろしたとき。それまで微動だにしなかった彼女が、堪えきれず一歩踏み出した。しかし彼女は、すぐさまうしろに引っ張られるようにしてその姿を群衆の中に消してしまった。
「一瞬、飛びこんでくるんじゃないかってドキドキしましたよ」
「そうしたら、斬り伏せるのが俺たちの仕事だ」
聖がおもわずこぼした安堵の笑みに、徹也は淡々とそう答えた。
夜叉の仲間がこの場に現れることなど、輝真組としては当然想定済みである。徹也自身も、処刑を阻止しようと誰かしら飛びこんでくるのではないかと考えていた。夜叉の演説に同調した群衆の声が、辺り一帯の空気を震わせればなおのことである。
幸いにも滞りなく処刑は終わったが、仮に妨害しようとしてきたのが誰であれ、輝真組としては斬らねばならない。それがたとえ、自分たちのよく知った人物であっても。
「とか言ってー、加茂さんも実は不安だったくせにー」
茶化すように肘で小突いてきた聖に、徹也は小さく息を吐いた。
たしかに、なにも起こらなかったことに少なからず胸をなで下ろす自分がいるのも事実である。輝真組副長としての職務と、加茂徹也個人としての感情は別物だった。紅夜叉の正体を知る立場としては複雑な心境だが、彼女を斬らずに済んだことにひどく安堵していた。
それは徹也にかぎらず、事情を知る隊長格全員がそう感じているだろう。それほどまでに、彼らの巴に対する感情は深い。
「……うるせぇよ、さっさと片づけて帰るぞ」
「はぁーい」
ごまかすように悪態をつき、聖に作業の手を急かす。にこにことしたまま返事をした聖が駆けていくのを眺めながら、徹也は茜色に染まりはじめた空を見上げて息をついた。
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くれない夜叉 志築いろは @IROHAshizuki
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