第46夜 託される遺志
周囲が闇に閉ざされる。朱里によって閉められた床板の裏側を見上げたまま、佑介は一歩も動けなかった。
状況が、理解できなかった。いったいなにが起こっているのだろうか。
「お二人とも下がって!」
くぐもった地上の喧騒が大きくなるのと、進之助が声を張り上げるのは同時だった。彼の手によってすばやく抜かれた留め金が、支えを失ったすべり坂を一気に崩壊させる。
恭介に腕を引かれて、佑介は反射的に身を引いた。砂煙を上げた先に残ったのは建物の骨組みと、山になった板の残骸だけ。
「う、嘘だ……、朱里!!」
「山科さん! だめです!」
おもわず駆け出して叫ぶ佑介を、進之助が瓦礫の手前で止める。うしろから脇を羽交い締めにされても、佑介はそれを振りほどこうともがいた。
朱里は逃げ道を失った。いまごろ上の部屋には、輝真組が押し寄せているはずだ。このまま彼を見捨てることなど、佑介にはできなかった。
「いやだ……! 離せよ! 離せったら!」
「山科さん!!」
やっとの思いで拘束から逃れた矢先、左頬に受けた痛みと乾いた音が響いたのは同時だった。
「つらいのはわかります! だけど! それでも僕たちは、先に進まなきゃいけないんです! 彼の覚悟を、無駄にするわけにはいかないんです……!!」
目の前の進之助が、表情をゆがめながらそう叫ぶ。ここまで感情をあらわにする彼を見るのは初めてだった。握ったこぶしが白くなるほどに、彼は全身を震わせている。
佑介はすがるような思いでうしろを振り返る。恭介と創二郎が、そこにいた。二人はなにも言わずに、まっすぐこちらを見据えている。
「佑介」
「っ!」
「行くぞ」
恭介のその声だけが、薄暗い抜け穴に響く。
じわりじわりと熱を帯びる頬に比例して、視界が揺れてぼやけていく。恭介に手を引かれ、進之助に背中を押されるがまま、佑介は静かに歩きだした。
たったひとつの提灯の明かりが、彼らの背後に長い影を作っていた。
◇◇◇◇◇
集まった群衆は身を乗り出すようにして、人々の肩越しに見える光景に釘づけになっていた。喧騒がやむ気配はない。ごった返す人の波にわずらわしそうに眉を寄せる通行人も、いったい何事かとつい足を止めて橋の上から眼下を覗き見る。
広い川原には、大人の背丈よりも高く竹柵が組まれ、その周囲を取り囲むようにして、土手や橋の上、さらには対岸にまでも人々があふれ返っていた。人々の視線の先、竹柵を境に民衆と向かい合う形で対峙している輝真組は、険しい顔で周囲に目を凝らしている。
その後方、包囲された中心で、一人の男が縄に縛られて膝をついていた。着物はところどころほつれており、血とも汗とも見分けがつかない黒い汚れが全身に染みついてしまっている。
「最期に、言い残したことはないかの?」
男のそばに立つ組長が、視線だけを寄越してそう言った。その声色と表情はひどく優しいものであるのに、その目の奥にあるものに底知れぬ恐怖をいだくのはなぜだろう。
おもわず小さく身をよじれば、背後に立つ副長に縄を引かれる。不用意に動くなということらしい。下手に暴れたりすれば、隣にいる壱番隊隊長に容赦なく斬り捨てられるに違いない。笑みを浮かべた彼の手が、いつでも抜刀できるようにと刀の柄に添えられていた。
朱里は、今まさに罪人として処刑されようとしていた。罪状は殺人。彼が斬った人数はあきらかになってはいないが、犠牲者の中には帝府の重役なども含まれている。
輝真組が神田屋へと踏みこんだあの晩、ひとり残った朱里は恭介たちを逃がすため、あえて囮となったのだった。
彼と対峙したのは聖である。双方負けず劣らずの死闘を繰り広げたのだが、やはり多勢に無勢。輝真組に取り囲まれた朱里は、あえなく捕縛されてしまった。その後尋問にかけられたが、彼は一切なにも語ろうとはしなかった。黙秘を貫き通したのである。
彼が忠軍に属し、紅夜叉であることは明白だった。輝真組組長は、これ以上の尋問は無意味であると判断し、公開処刑に踏み切ったのである。
朱里は川原に敷かれた粗末なござの上で居住まいを正す。集まった群衆を見渡すと、大きく息を吸い込んだ。
「てめぇら! よく聞いておけ!」
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