第13話 天の恵みは晋の上に
蜀の高官たちも脱出に成功し、混乱した成都をもとの姿に戻す務めに励み始めた頃、おれたちは洛陽への帰途についた。
その途上でおれは、鄧艾が洛陽まで行かずに斬り殺されたことを知った。
洛陽の飯屋でおれは、宋と、彼の間者仲間である毛と一緒に料理を囲んでいる。
宋が声をひそめた。
「鍾会が死んで、鄧艾の部下たちがやっこさんの身柄を取り返そうと追いかけたんだと。そこで護送する側の兵と斬り合いになり、鄧艾も巻き添えをくって殺されたとのことだぜ。なあ、毛」
「その通りだ、宋」
「それはそうと、ついに司馬昭は晋王となったんだってなあ」
それは今年、咸熙元年(二六四)三月の話だ。
毛がおれの空いた皿に料理を盛ってくれた。
「ありがとう」
「ところで、李の具合はどうなんだ」
「ああ、たまに寝込むけど、元気だよ」
父上は蜀から帰ったあと、体を壊した。でも、曹魏を司馬氏の手に引き渡すまでは死ねないと、今日も彭祖どのや曹奐のもとへ出向いている。
「飛将将軍はお元気かい」
「元気さ。父上につきっきりだよ」
飛将のおじ上は父上が来るなと言っても平然と言い返す。
「君といつも一緒にいたいんだ」
毛が笑う。
「仲がいいんだな」
宋がお湯をついで、おれたちに配ってくれた。
「それはそうと安楽公は洛陽で暮らしていらっしゃるのだって?」
「ああ。今ごろ荀節が徐覇と一緒に様子を見に行っているよ」
安楽公とは劉禅の新たな地位だ。
郭皇太后は亡くなる直前、荀節に、洛陽に移り住む劉禅夫妻の助けになりたいと仰せになられたのだという。
宋がにやける。
「好きなんだなあ、荀節どのが」
「このあとここへ来るはずだ」
おれがそう言ったとたん、荀節と徐覇が姿を見せた。
「よう、お疲れ様」
おれが声をかけると、荀節はにこりと笑った。
「竜兄さま、暑いですね」
「公はお元気だったか?」
「ええ。お元気そうでしたよ」
徐覇が荀節の隣に腰かける。二人は目が合うと、幸せそうにほほえみあう。
おれも宋と同じようににやけ顔で冷やかす。
「徐覇、嬉しそうだな、荀節といて」
「幸せすぎて死にそうだ」
徐覇がうっとりした目で言う。荀節が徐覇の耳に唇を寄せ、妖艶な声音でささやいた。
「わたくしの住まいに戻るまでは生きていて。そのあとたっぷり殺してあげる」
徐覇が荀節の形のよい耳にささやき返す。
「君に殺されるのならば本望だ」
おれが暑く感じるのは今の季節が夏だからだが、この二人の熱愛ぶりも充分暑苦しい。
おれたちは久しぶりの平穏に身をゆだねていた。
この年の十月、司馬昭は長男の司馬炎を太子に任命した。かつておれのじい様曹操が、曹丕を太子としたのと同じだ。
咸熙元年はこうして暮れた。
明くる咸熙二年(二六五)五月、曹奐は詔勅を下した。これにより司馬昭はまた曹操と同じように、十二旒の冠をかぶることを許されたのである。
実はこれも、曹魏を司馬氏に譲り渡すために、彭祖どのと父上が考え、曹奐が行ったことだった。
曹奐は賢い、冷静な男だ。今年数えで二十歳となる。おれにこう語った。
「武祖と同じ道すじをたどれば、司馬昭は満足するでしょうから」
「陛下もそのようにお考えになりますか」
「はい。父上と、暁雲のおじ上とも語り合いまして、このように処理いたしました」
「ですが司馬昭は今、病のため床に就いているという話ですが」
「ええ。舌がうまく動かず、言葉を発することが難しくなったと聞いております。私も先日見舞いに参りましたが、彼は一言も話すことができませんでした」
「せっかく帝と同じ車馬衣服を認められたのに」
「そうですね。本来であれば喜びを隠せないところでしょうに。私を見る目はとても無念そうでした」
曹奐は言って、静かにおれを見た。
その目は、西の空に沈みゆく太陽のように強く、そして赤い。
おれは直感した。
おれたちの曹魏の最期が来るのだ。
虎豹騎の詰め所にいる時、曹鈺が困った顔をしておれのもとへ来た。
「司馬炎が来ているのですが」
こいつは曹鈺と仲が良かったのだが、先帝が亡くなったあとで親父の司馬昭が野望の権化となったのと時を同じくして、おれたちを無視するようになった。今は位が上がり、その上晋王の太子という立場にある。本来であればそんなお方がおれたち虎豹騎なんぞの詰め所に顔を出すなんてことはしないはずなのだ。
「おまえに用があるのか、鈺?」
「いえ。父上に火急の用があるのだと申しております」
「おれに?」
司馬炎は来客を応接する小部屋で待っていた。大柄で派手な目鼻立ちをしていて、今年数えで三十歳になる。凝った刺繍をほどこした明るい色彩の衣服が映える。
司馬炎はおれを見ると立ち上がり、礼儀正しく頭を下げる。
「思翼どの、ご無沙汰いたしておりまする。突然お邪魔いたしまして、誠に申し訳ございません」
「それがしに火急の用件がおありだとうかがっておりますが」
「はい。実はそれがしの父がこのところ急に容態が悪化いたしまして、ぜひとも思翼どのにお目にかかりたいと切に訴えているのです。おいでくださいませんか」
司馬炎は目の下に濃い隈ができていた。
「承知いたしました」
「かたじけのうございます」
おれたちは司馬昭の屋敷へ向かった。歩いて行ける距離にあるので、司馬炎と肩を並べて話しながら歩く。
「太子はずいぶんお疲れのようにお見受けいたしますが」
「母や弟と交代で看病しています。それがしも含めて家族全員、満足に眠れておりません。食事も簡単な物を短い間でとるしかないので、食べた気がいたしません」
「ご家族おんみずから看病なさっておられるのですか。医師や側仕えの者に任せずに?」
「父はもう長くないと、それがしらにもわかっております。それならば普段の務めに多少さしさわりが出たとしても父のそばで過ごそうと、家族で話し合って決めたのです」
「それほど重篤なのでございますか」
「熱が下がらないのです。薬湯を飲ませても吐いてしまって。飲み込む力がなくなりつつあるようなのです。父も眠れておりません。だから目が離せないのです」
屋敷に招き入れられ、司馬昭が床に就いた部屋に通された。
司馬昭も隈が濃かった。頬はそげ、土気色をしている。顔をぎこちない動きでおれに向けた。
司馬炎が寝台のすぐそばに椅子を出し、おれに座るよううながす。司馬昭は司馬炎の袖を震える指で引っ張り、口だけ動かす。
――思翼と話したい。
おれは口の動きを見れば何を言っているかわかる。しかし司馬炎がことづてするのを待つことにした。ここは司馬氏の家だから、司馬氏の人がすることを邪魔してはいけないと思ったからだ。
司馬炎はおれに伝えた。
「父は思翼どのと二人で話したいと申しております。それがしは退出いたしますが、異変あらばすぐにお声をおかけくださいませ」
「はい。そのようにいたします」
司馬炎が静かに歩き、注意深く扉を閉めて部屋から出た。
司馬昭はかくかくと震えながらおれを目だけでにらみ上げる。
こいつは何を語ろうとするのだろう。おれは口が動くのをただ待つ。
――はかったな。
「何をです、王」
――とぼけるな。
「おっしゃることが、それがしには理解するのが難しいのですが」
――おれを、さらに、追い詰めやがって。
「王の位に上られたことは、喜ばしいことではございませぬか」
――王など、針のむしろだ。
「ご自身がお望みになられたことではなかったのですか」
――ああ。確かに望んださ。しかし蜀の地をおれは踏んでいない。おれは、何も手柄を立てていない。おれが無能だと、天下の人にわかってしまったではないか。
「考えすぎではありませぬか」
――暁雲や飛将、彭祖の差し金か。
本当はその通りだ。しかしおれは黙っていた。
――あの曹奐も、若いが、食えない男だよ。
やはりおれは無言のままでいる。感情が顔に出ていないか心配だったが、司馬昭は自分の感情を訴えるのに必死だから、おれがどんな顔をしていようと関係ないのかもしれない。
司馬昭の怒った目から、涙が流れた。
――くやしい。情けない。
それでもおれは応じないでいる。
――武祖になるなんて、普通の出来のおれが、武祖になろうなんて、考えたことが間違いだった。
司馬昭の全身がかたかたと震え出した。
おれは席を立つ。司馬炎たちを呼ばなければ。
――逃げるのか。
司馬昭の目はなおもおれに鋭くかみつく。
おれは無表情で司馬昭を見下ろし、答えた。
「逃げたのは、おまえだ」
――逃げただと? おれが?
司馬昭が涙を流しながらつぶやく。
おれは説明してやった。
「ああ、そうさ。以前のおまえは、おのれが無能だとわかっていた。それが先帝を賈充が殺した時から、おのれの無能から目をそむけた。逃げたのはおまえだ、司馬昭。結果、おまえは何もしなかった」
――蜀を滅ぼしたぞ。
「おまえは命令しただけだ。これが武祖なら、自ら甲冑を身につけて馬に乗り、おれたちと共に剣を振るい、おれたちと共に策を練った」
司馬昭は歯を食い縛った。震えがさらに細かくなる。
おれは扉に向かって大声で叫んだ。
「早くおいでください! 王が!」
司馬炎がすぐさま飛び込んだ。
「父上!」
司馬炎の弟と母親、そして医師がばたばたと駆け込む。
「父上!」
「王! あなた!」
司馬昭は目を開けたまま震えていたが、やがて動かなくなった。
医師が司馬昭の手首を持って脈を取る。開けたままの目をのぞき込む。
そして静かに司馬昭の手を置き、おれたちに向き直った。
「ご臨終です」
司馬炎と彼の弟、そして母親が大声で泣き叫ぶ。
曹操になろうとしてなれなかった男司馬昭は薨じた。咸熙二年(265)八月、まだ暑い盛りだった。
曹奐は司馬炎を前に告げた。
「このたびはそなたも苦労いたしたであろう。晋王の薨去は実に残念であった」
「ありがたき仰せにございまする。父も喜びまする」
「安世。晋王の領地と官位を継げ」
司馬炎は大きな体を折り曲げてうけたまわった。
司馬昭の葬儀は薨去の翌月に行われた。
もっとも暑い時期に亡くなったので、埋葬は先に済ませてある。
王の葬儀だけに、文武の官吏はほとんどが参列した。おれと曹青、曹鈺、徐覇、飛将のおじ上は甲冑をつけている。曹維は官服を着て、まげの上から冠をかぶる。
父上と彭祖どのは皇室の衣冠をつけて曹奐の後ろに立っていた。
司馬炎は堂々と葬儀を取り仕切った。父の死後も淡々と職務をこなしており、もうその顔の隈は濃くない。
「司馬昭は皇帝になれませんでしたね」
葬儀が終わったあと、曹奐は静かに言った。
曹奐と同じ部屋にいるのは、おれ、父上、彭祖どの、飛将のおじ上、そして荀節と徐覇である。
彭祖どのが曹奐を見て、背筋を伸ばした。
「いよいよ司馬氏に我らの曹魏を譲り渡す時が参りましたな」
父上が強いまなざしで言う。
「恐らく司馬炎が禅譲を打診してくるはずだ。その時にこちらから渡すということでいかがか、彭祖どの」
「それがしも同様に考えまする、暁雲の兄上」
曹奐が荀節を見て頭を下げた。
「また荀節どのにご助言いただきながら詔書を作成いたしまする。何とぞご教示のほど、お願い申し上げます」
荀節は優しいほほえみで答える。
「よろしゅうございます。わたくしたちの曹魏のおおもとを守ることができるよう、文章を練りたいと存じます」
徐覇はそんな荀節をとろけるような目で見つめている。
曹奐がいたずらっぽく目を細める。
「義道どの、貴公の荀節どのを独占いたしますこと、どうぞお許しくださいませ」
曹奐の視線に気づくと、徐覇は即座に真顔に戻って座り直す。
「めっ、滅相もございませぬ」
荀節が妖艶にほほえんだ。
「陛下。わたくしは義道どのの持ち物ではございませぬから、さようなお気づかいは無用にございまする。これは国家の大事でございますから、義道どのもご理解くださっておりまする」
「さようでございましたね。これは失礼いたしました」
曹奐が屈託なく笑う。
飛将のおじ上が天井を見上げてつぶやいた。
「これでぼくたちの国も終わるのか。孟徳のおじ上や父上は、どうご覧になるだろう」
父上が飛将のおじ上を温かい目で見る。
「父さんは別に何とも思わないさ。父上も同じだと思うぜ。父さんは漢のために、父上は父さんのために命がけで戦ってきた、ただそれだけなのだから」
飛将のおじ上は引き締まった腹の上で組んだ自分の両手の指に目を落とす。
「それはそうなのだけどさ……。曹魏のためにぼくたちはたくさんの仲間と血を流した。そうまでして守ってきたこの曹魏が無くなるのだろ。あの司馬昭のせがれに、皇帝の位を譲り渡すというのだろ。そしたら奐は献帝と同じになるじゃないか」
「それは違います、飛将どの」
彭祖どのが柔らかいが真剣な口調で飛将のおじ上に説いた。
「確かに行うことは献帝と同じです。しかし奐は新たな世を開くために我らの曹魏にとどめを刺すのです。我らの曹魏を基盤として、司馬氏に国を開かせようとしているのです。それがしはそのように理解しておりますし、奐もそのように覚悟を決めているはずです。そうだな、奐」
「はい、父上。父上のおっしゃる通りでございます」
明快に言い切ると曹奐は、今にも泣きそうな飛将のおじ上を真正面から見つめた。
「武祖がご覧になっていると肝に銘じて、私は禅譲の儀に臨む所存です。飛将どののお気持ちはよくわかります。何とぞお見守りくださいませ」
飛将のおじ上はまた天井を見た。そして深いため息をつくと、曹奐に正対した。
「見届けるよ、奐」
おじ上の目から、涙がひとすじ流れて落ちた。
咸熙二年(二六五)の暮れも押し迫る十二月の声を聞くと、司馬炎はあくまでも低姿勢に曹奐に禅譲を打診してきた。むろん司馬炎自身の言葉として語っているのだが、それだけではないだろうことはおれたちにさえわかる。
「恐らく賈充が一枚かんでいるでしょうな。あの口ぶり、あの言葉づかいは賈充独特の言い回しですから」
彭祖どのが整った眉目を不快げにゆがめた。
父上と飛将のおじ上は、曹奐の正面に、おれは曹青や彭祖どのと一緒に曹奐の隣にいる。
父上と曹奐は厳しい顔つきで向かい合う。
「回答の期限は明日だったな、奐」
「はい、暁雲のおじ上」
「口上は練習してあるな?」
「ええ。父上や荀節どのにも聞いていただきながら何回もいたしました」
「それを聞いて安堵した。当日はおれたちも同席する。安心していいぞ」
「心して務めまする」
その日の夜はおれたちにとってあっという間に過ぎ去った。そしてついに曹奐が司馬炎に回答する日の朝が来た。
曹奐は真っ赤な両目をいからせて玉座につく。彭祖どのが疲れきった顔で肩を落としておれに小声でこぼす。
「奐はゆうべ一睡もしておりません。休むように再三諭したのですが、口上の練習をすると申して頑として聞き入れませんで」
父上はまばたきもせずに曹奐をじっと見ている。
飛将のおじ上の目も真っ赤だ。これは涙をいっぱいにためているせいだ。
おれは曹奐を内心はらはらしながら見守る。
曹青も寝ていない。何度も目をこする。
司馬炎はどっしりと構えていた。鋭い大きな両目で曹奐に対峙する。
「陛下。恐れながら申し上げまする。我ら司馬氏は武祖の代より文帝、明帝、斉王、高貴郷公そして陛下にお仕えし、社稷を支えて参りました。なれど過ぎ去った昔を思い起こしますと、斉王は幼く自覚に欠けるところがおありでございました。高貴郷公に至りましては大将軍として補佐いたしておりました我が父の殺害をお企てになりました。そして陛下、恐れ多きことながら、蜀を討伐いたし我が国の領土に合わせましたる際にも、陛下はご出陣なされず、すべて我が父が指揮をとりましてございまする。ことほどさようにこの曹魏を軽んじられましたる上は、これ以上曹氏の方々に社稷をお任せいたすことは果たして――」
司馬炎はそこで言葉を切った。曹奐の表情をうかがう。
曹奐は目は赤いままだったが、いからせていた肩はいつも通りの位置に戻り、ゆったりと玉座に収まっていた。
司馬炎は続けて口を開いたが、出た声は揺れ動いていた。
「このまま我が国を存続させうるであろうかと我々文武百官は懸念する次第でありまして、何とぞ陛下ご自身のお考えをたまわりとう存じまする」
曹奐はゆっくりと落ち着いて、司馬炎に言った。
「そなたの言、実にもっともである」
そのまなざしの強さに司馬炎の体が震える。
曹奐ははっきりとした声で続けた。
「確かに我ら曹氏が帝としてなしたことどもが社稷を先細りさせたことは事実である。ゆえに安世、そなたに問うが、そなたならば我らが曹魏に代わる良き国を築くことができうるか」
司馬炎がぎゅうっと口元を引き結ぶ。
曹奐は司馬炎を見据える。
「できうるか、安世」
司馬炎はどっと汗をかいた。
広間は、誰かが少しでも身動きすればそのまま弾け飛びそうなほどだ。
司馬炎が、床に額を近づけた。その姿勢のまま、体も声も震わせながら、答えた。
「で――できまする」
おかしがたい気迫をもって、曹奐は宣言した。
「では、朕はそなたに、位を譲ることといたそう」
司馬炎は床だけをまばたきもせずに見たまま、額を激しく打ちつけた。
曹奐は立ち上がり、声を張って命じた。
「禅譲の儀を執り行う。都の南の城門の外側に壇を設けよ。朕の印などを晋王司馬炎に捧げよ。すべて文帝が献帝より位を譲り渡された故事のごとく支度せよ」
その場にいる文武の官吏は皆、ひれ伏してうけたまわった。
築かれた壇の上、冠を取り平服で、曹奐は司馬炎に印と、それにつけるひもである綬などを手渡した。
曹奐の顔はこの国を譲り渡すことに何のこだわりもないように見えるが、ほんとうは違う。内心を気取られぬよう、必死に心の動きを抑えているだけだ。
十二旒の冠をつけ、重たげな王の衣服をまとった司馬炎が、印綬を手にする。
天を祭るための炎が舞い上がった。
おれ、父上、曹青、飛将のおじ上、彭祖どの、徐覇、荀節、雷松と雷柏、曹鈺と曹維、賈充、安楽公劉禅と諸葛京は炎を見つめ、壇上の二人を目に焼きつける。
陳寿は『三国志』魏書「三少帝紀」の陳留王紀に記す。陳留王とは曹奐が司馬炎から封ぜられた官位だ。
――天祿永終、暦数在晋。
天祿の永きは終わり、暦数は晋に在り。天の恵みは曹魏の上で永く続いたが、天命は今や晋にある。
まだ中原は統一されていない。長江より南にはまだ孫呉が続いている。
文武の官吏が万歳を唱えた。
おれたちの曹魏は、こうして滅びた。
曹奐はきざはしから降りるなり、彭祖どのの腕の中に崩れ落ちた。
「よくやった。璜。よくやったぞ」
彭祖どのは曹奐のもとの名を呼びながら涙を浮かべて抱きしめる。
「やりました。やりました、父上……」
曹奐も彭祖どのを抱き返す。
おれたちも曹奐に近寄り、その背を優しく叩いた。
「皆みな様、ありがとうございました、ありがとうございました……」
彭祖どのと曹奐が深々と頭を下げる。
「よくやってくれた、見事だったぞ、奐」
父上も泣きながら曹奐の両肩を手のひらで包む。
曹奐が笑った。
「暁雲のおじ上、飛将のおじ上、思翼どの、子宇どの、義道どの、荀節どの、貴行どの、文結どの、まことに、ありがとうございました。皆様がたの、おかげです」
文結とは曹維のあざなだ。曹維はにこりと笑って答える。
「ゆっくりとお休みくださいませ」
おれの隣に誰かが並ぶ。
父上? いや、違う。でも似ている。
――まさか。
その人はおれにほほえむと、消え去った。
主な参考資料
陳寿 裴松之 注 今鷹真・井波律子・小南一郎 訳「正史 三国志 」(ちくま学芸文庫)
小川環樹 金田純一郎 訳「完訳 三国志」(ワイド版岩波文庫)
なお、この物語はフィクションであるため、司馬昭のあざなを『三国志演義』にもとづき、「子尚」としています。
晋よ曹魏の上に立て 亜咲加奈 @zhulushu0318
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