後編

 桐生きりゅうくんに見せたいものがあると言われ、初めて彼の家に向かった日がある。その日はお家の人は誰もいないみたいだった。どきどきと緊張が混ざった、どこか心地良い気持ちのまま彼の部屋に入る。


「見せたいものって?」

「ちょっと準備するから。良いっていうまでこっち向かないで」

「なんか鶴の恩返しみたい」

 私は桐生くんに言われた通り、彼に背を向けて床に腰をおろす。借りていた漫画の続きを読んで待つことにしよう。桐生くんが何かしている物音を聞きながら、漫画を読み進めていくこと十五分。


「もういいぞ、立花たちばな

 漫画を閉じて振り返ると、そこにはワンピースを着て髪をポニーテールにした女の子、いや、女の子の格好をした桐生くんがいた。

「えっと、これが、見せたいもの?」

 桐生くんを見上げながら恐る恐る口に出すと、「ああ」と小さく頷いた。


 気持ち、悪い。

 脳裏にお父さんの顔がチラつく。


 小学生だったころ、お母さんの化粧品を使ってメイクをしていたお父さん。真っ赤な口紅を塗り、頬にはピンクの粉をはたいていた。目尻にはラインを引き、まつ毛をビューラーであげる。カツラをかぶってワンピースを着て、鏡の前で微笑んでいた。


 私は急いで首を横に振った。違う。桐生くんは桐生くんだ。気持ち悪くなんかない。自分に言い聞かせてから再び桐生くんと視線を合わせると、彼は傷ついた顔をしていた。あっ……と思ったときにはもう遅い。声に出していなくてもきっと顔に出てしまったんだ。

 私は罪悪感で思わずうつむいた。気まずい沈黙が流れ、私は耐えきれなくてカバンを手に取った。

「ご、ごめん。今日はもう帰るね」

 彼の家を飛び出すと、太陽の日差しが照り付けていて目を細める。外にいるだけで汗がふき出す。額の汗をぬぐい、私は夢中で走った。


 それからはSNSのやりとりも電話も、パタリとなくなった。学校ですれ違っても、不自然に顔をそらしてしまう。

 なんで女の子の姿をしていたの? 女装が趣味ってこと? もしかして心が女の子とか? 疑問があれこれ浮かぶのに、私はどうしても声をかけることができなかった。話すことを、私は放棄した。


 *

 

 あの傷ついた顔が忘れられないまま、中学を卒業し、桐生くんとは違う高校に進み、大学一年になった。金曜日、私はこの前買った藍色のシャツワンピースを着て大学に向かった。普段ズボンをはくことが多いから、なんだか変な感じだ。

「おはよ~、灯里あかり。いいじゃんそれ」

 大学近くのコンビニでなっちゃんと合流すると、開口一番そう言われた。

「買い物付き合ってくれてありがとね」


 一限、なっちゃんと同じ授業を受けたあと、二限のある彼女とわかれ、私は大学内の図書館へ行った。なっちゃんとはお昼休みに学食で待ち合わせをする。

 駅の改札みたいになっている図書館の入り口で、学生証を取り出した。入出ゲートにかざすと、ピッと軽快な音が鳴る。座る場所を探していると、男性にぶつかってしまった。ちょうど棚があって死角になっていた。

「「すみません」」

 小さな声がハモり、次の瞬間息を止める。

「き……」

 桐生くん、という言葉が喉に引っかかる。私が固まっていると、彼は横を通り過ぎるとき「ごめん」と呟いた。振り返ったときには、彼はすでに入出ゲートを通過していた。今追いかけて当時のことを謝ってスッキリしたところで、自己満足ということはわかってる。でも、話したい。これだけは自分の中ではっきりしていた。


 急いでカバンにしまった学生証を取り出し、入出ゲートに向かう。図書館から出て、彼の背中めがけて走った。

「桐生くん!」

 両手で腕をつかむと、桐生くんは驚いたように目をパチパチとさせた。追いかけてくると思っていなかったのだろう。


「立花……久しぶりだな」

 気まずそうな表情をしつつも、声色に拒否は感じられなかった。私は息を吐き出し、頭を下げる。

「ごめんなさい、あのときのこと。何も聞かずに飛び出したあげく、直接謝りもしないで」

「ちょ、頭上げて立花」

 あわてたように桐生くんは私の顔をのぞきこんだ。顔を上げると、彼は「あー」とうなりながら頭をかく。

「立花は二限空いてる?」

 私は頷く。

「学食もあれだし……サークル室行くか。ちゃんと、話そう」

「う、うん。私もちゃんと話したい」


 桐生くんに連れられ、事務室でサークル室の鍵を借りたあと、三階建てのサークル棟にやってきた。サークルに入っていない私には未開の場所だ。階段をのぼって二階の一番奥、『コスプレサークル』と書かれた貼り紙のある扉で桐生くんは止まった。


「コスプレ……」

 思わず漏れた言葉に桐生くんは苦笑したあと、鍵を開ける。中に入ると、ハンガーラックに服がぎゅうぎゅうに掛かっていた。二、三人座れるくらいのソファの上にもアイドル衣装のようなワンピースやお姫様みたいなドレス、勇者のような鎧が積み重なっている。

「だいぶ汚くて悪い」

 桐生くんはそう言いながら、壁に立てかけてあったパイプ椅子を二つ用意した。促されるまま座る。


「えっと、まず、俺の方こそごめん。あのとき、受け入れてくれることを期待して、見せたいものがあるって言った。でも立花の表情見たら、ダメかってなって。説明すればよかったんだけど、どうせわかってくれないって線を引いて避けてた。ごめん」

 あのころと変わらない。桐生くんは人の目を真っ直ぐに見て話す。


 私は視線をそらさず、彼の話に耳を傾ける。

「俺の女装は完全な趣味。姉貴が小さいころ俺を着せ替え人形みたいにして遊んでてさ、気づいたら俺もハマっちゃって。男の姿のままスカートはくとからかわれるから、だったら女の格好すればいいじゃんってなって、女装するようになったんだ。んで、アニメ好きの友だちとコミケに行ったとき、レイヤーさんにたくさん出会って、やってみてぇってなって、今に至ります」

 なぜか最後だけ敬語になった桐生くんは、スッキリした顔をしていた。私の中にあったモヤモヤもすーっとなくなっていく。これだけの会話なのに、今までしてこなかった私は大馬鹿者だ。

「そっか……あのときちゃんと聞けなくてごめん。話してくれてありがとう」


 立ち上がった桐生くんはソファの上の服を畳み始める。

「どんなコスプレしてるの?」

 訊ねてみると、彼はポケットからスマホを取り出し、画面を見せてくれた。

「これが最近したやつ。一緒に写ってんのがサークル仲間な」

 それは私も知ってる忍者アニメのコスプレだった。みんな笑顔で、すごく。

「楽しそう」

「ああ、すっげぇ楽しい」

 桐生くんは眩しいほどの笑顔で即答した。


 楽しそうであることだけがわかる。メイクをしていたお父さんと同じ。楽しそう、なのだ。とても。

 けれど私には何が楽しいのか、わからない。コスプレの良さが、わからない。

 それでも、誰かの好きなものを否定したくない。肯定もしないけど否定もしない。理解しようとしなくていい。私はただ桐生くんの好きなものを「そうなんだ」と心に落とした。


 何枚か写真を見せてもらっていると、扉をコンコンとノックされた。

 サークル室に入ってきたのは長い髪の毛が印象的な男性だった。私たちを交互に見ると、「タイミング悪かった?」と桐生くんに問いかける。

「大丈夫。話はできたから」

 桐生くんがそう返すと、男性はそっかと言って室内に入る。


 私は立ち上がり、男性に会釈してから桐生くんを振り返る。

「じゃあ、私は出るね」

「うん、じゃあな」

 桐生くんは軽く手を挙げ、笑った。

 夏が来るたび、彼の傷ついた表情が浮かんでいた。だけどこれからは彼を思い出すとき、笑顔が浮かぶ気がする。


 サークル棟を出てからスマホで時間を確認すると、まだお昼までは一時間ほどあった。キャンパスの喧騒にまぎれる蝉の声を聞きながら、一度大きく深呼吸をする。

 私は再び、図書館へ足をのばした。

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夏に帰る 浅川瀬流 @seru514

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