夏に帰る

浅川瀬流

前編

「早く行くよー」

 五歩先を歩くなっちゃんが振り返った。水曜日の午後、私たちは新しい服を新調するためにショッピングモールに来ていた。

 なっちゃんの横に並び、ブラブラと歩きながら辺りを見回す。パン屋さん、果物屋さん、眼鏡屋さん、雑貨屋さん、映画館、ゲームセンター。


「どっから見る?」

 スポーティな服装をしているなっちゃんは、近くのマップで立ち止まった。タッチパネル式で五階までのフロア検索ができるみたいだ。ファッションカテゴリを選択すると、ズラッと洋服屋さんの名前が並ぶが、英語が多くて、読み方がいまいちわからない。

「端から見てみない?」

 腕を組んで仁王立ちしている隣の親友をうかがった。

「だな。あたしもあんまりブランド知らないし」


 発言は頼りないけど、なっちゃんの近くは安心する。今日だって洋服屋さんに一人で入るなんて無理だったし。性格が全然違う私たちは、中学のとき出席番号が前後でそこからよく話すようになった。別々の高校に進学したけど、大学ではまた一緒だ。


 早速、一階にある洋服屋さんに入ってみた。「いらっしゃいませー」と店員さんのよく通る声に一瞬びっくりする。なっちゃんは全く動じずに店内を進んでいった。

「これとか灯里あかりに似合うんじゃない?」

 ハンガーラックから一枚のワンピースを手に取って私の前にかかげる。それはシンプルな藍色のシャツワンピースだった。なっちゃんからワンピースを受け取り、鏡の前で合わせてみる。

「……可愛い」

 裾も長いから膝が見える心配もなさそう。

 大学で同じ講義を取っている女の子たちはワンピースを着ている子が多い。楽だよねーと、みんな口をそろえて言う。たしかにこれなら上と下で何を合わせるか考えなくて済むかも。


 少しの間固まっていると、「すみませーん」と声がした。あれ、この声。どこかで聞いたことがある気がする。

 声のする方をちらっと見ると、私より少し背の高い女の子がいた。くるっと巻かれた髪の毛はハーフアップに、胸元にフリルのついた白いブラウスと、無地でピンク色をしたプリーツスカートをはいている。

 女の子にしては低めの声だったけど、彼女はスカートを片手に、店員さんと話をしていた。


「ねえねえ、なっちゃん」

 てっきり隣にいるものだと思って親友に声をかけたが、当の本人はもうすでにボトムスコーナーを見に行っていた。

 私は手に持っていたワンピースをかごに入れる。視線を上げると、話が終わったらしい女の子とバッチリと目が合ってしまった。相手は目をまん丸にし、私たちだけが停止ボタンを押されたかのように動かなくなる。

 やっぱり、その人は私が思い描いている人に違いない。でも、どう声をかければいいのだろう。第一声がわからない。

 私が一人で悩んでいる間に相手はパッと顔をそむけ、何事もなかったかのようにレジへ向かってしまった。


「おーい、灯里? 固まってたけど、どうした?」

 なっちゃんの声で再生ボタンが押される。親友は私の顔の前で手をひらひらとさせた。

「なんでもないよ」

 首を横にふると、なっちゃんは「ふーん」とジトっとした目を私に向けた。なんでもないことない。私が黙ったままでいると、なっちゃんはかごをのぞいた。

「あ、それ買うことにした? スカートも見る?」

 そう言って、二人でスカートが並ぶハンガーラックの前に移動する。そこには女の子が持っていたスカートの色違いもあった。レジの方を振り返るけど、そこにはもう彼女はいない。


「……なっちゃんって、桐生きりゅうくんのこと覚えてる?」

 私の急な質問に親友は目を細め、服をあさっていた手を止める。

「突然なに。あいつがどうかした?」

 ちょっと不機嫌そうに返すなっちゃん。地雷だったかもしれない。

「ううん……なんとなく思い出しちゃって」

「なに、まーだ引きずってんの?」

「もっとちゃんと話せば良かったなって後悔してる」

「ほらーだからあたし散々言ったじゃん。ケリつけなって」

 ため息交じりにこぼすなっちゃん。彼女の視線に耐え切れなくて、私はレジに逃げた。


 *


 中学二年、当時を思い返す。恋愛、特に付き合うということに周りの子が興味を持ち始めた時期。誰が誰を好きとか、誰が結ばれたとか、誰がフラれたとか。ちょっとでもクラスの子に話すと、すぐに噂は広まった。


 私と桐生くんが仲良くなったのは、委員会が一緒だったという本当に些細ささいなこと。広報委員会は各クラス男女一人ずつで構成され、学級新聞を作るのが仕事だった。クラスの紹介や行事の意気込みなどの記事を書く。

 桐生くんはサッカー部、私は美術部に入っていて、部休日が月曜日で同じだった。だからその日の放課後は、教室や図書室で一緒に作業することに決まった。


「ここにいた! 立花たちばなさーん!」

 ある月曜日の放課後、二人で冷房の効いた図書室にいると、クラスメイトの佐藤さとうくんの声が響いた。室内には、図書委員と書かれた腕章を付けた子がカウンターに二人、模造紙を広げて話し合いをしている四人グループが窓際の席にいる。私たちを含め、室内にいた人たちが一斉に佐藤くんの方を向いた。

 図書室で話しちゃいけないわけではないけど、彼の声はちょっと大きかった。


 佐藤くんはあわてて手で口を抑え、申し訳なさそうに姿勢を低くしながら、私たちの元に来た。小声でノートを差し出す。

「立花さん、これ提出用のノート。遅れてごめん」

 理科の宿題の提出日だった今日。日直の私がクラスみんなの分を集めて名簿にチェックをし、先生に提出することになっていた。

「わざわざ持ってきてくれてありがとう。提出しておくね」

「よろしく頼んだ! 桐生もまた明日な!」

 佐藤くんは手を挙げ、図書室を退出していった。


 彼の背中を見送ると、なにやら視線を感じ、私は対面に座る桐生くんを見る。

「なに……?」

「あ、ごめん、つい。立花って、ここにホクロあるんだな」

 桐生くんは自分の首を指さす。私は桐生くんが示す部分を手で触りながら「うん」と頷く。桐生くんはなにやら真剣な表情で「たしかアリッサも同じ位置にあったはず……」とぶつぶつ言い出した。

「……アリッサ?」

 私が単語だけ繰り返すと、彼はなんでもないと目をそらす。


「それって、『ときめき魔法少女カノン』?」

 たまらず私は、日曜朝に放送しているアニメの名を挙げた。すると、桐生くんは目を見開く。

「え、立花も見てるの?」

「小さいころから好きなシリーズなんだ」

 言いながら私はスクールバッグの中からイラスト練習ノートを取り出した。『ときめき魔法少女カノン』の主人公カノンを描いたページを開いて机の上に置くと、桐生くんは身を乗り出し、テンション高めに「すげぇ!」と言った。

「美術部だから絵が上手いのは知ってたけどさ、すっげぇ! アリッサも描いたりしてる?」

 そう言って桐生くんが勢いよく顔を上げると、想像以上に近い位置に顔があった。バチッと音が聞こえるかのように目が合い、二人して数秒固まる。


 私は恥ずかしさを誤魔化すようにあわててページをめくった。

「あ、アリッサね。描いてるよ」

「……ああ、うん。おおー、めっちゃアリッサだ」

 桐生くんは鼻の頭を掻きながらノートを食い入るように見ている。耳がほんのり赤いのが目に入った。

 桐生くんが照れてるところなんて初めて見た。新鮮な姿がちょっぴり面白くて、思わずふふっと笑い声が漏れてしまう。急に笑い出した私を桐生くんは不思議そうに見ながらも、彼の口角は柔らかく弧を描いていた。


 *


 その日を境にグッと距離が近くなった気がする。お互いの好きなアニメや漫画の話をしたり、部活でのハプニングを教えてくれたり。私はなっちゃんと話しているときも桐生くんを目で追うことが増えていった。桐生くんは視線が合うと、いたずらっぽく笑う。あれは反則だ。

 と、彼への思いを密かに募らせていると、告白された。三年生に上がる前、最後の委員会集会のあと。もう嬉しくてしょうがなかった。


 だけどここは光の早さで噂が広まる中学校。徹底して隠していたわけでもないので仲の良い友だちは知っていたけど、中学生がよく遊びに行く映画館やゲームセンターでのデートは控えめにしておいた。

 変に同級生とすれ違うと気まずいからだ。だから私たちは個人経営の小さなカフェをデートスポットにしていた。そのカフェで二人で勉強していると、偶然にもなっちゃんと遭遇したことがあった。


「やっほー。あたしも一緒に勉強していい? ここ勉強するのに穴場だと思ってたんだけど灯里も知ってたとはなー」

 そう言ってリュックから手早く問題集を取り出し、なっちゃんは私の右隣に座る。小さな四角い机の三辺が埋まった。


「桐生さ、この問題わかる?」

 と、苦手な数学をちゃっかり桐生くんに質問し始める。

「あー、それさっき立花と一緒に考えてたんだけど、解き方わかんねーんだよな」

 彼は教科書と参考書をめくりながら、悔しそうにこぼす。声変わりを終えて、その声は去年よりも低かった。

 なっちゃんは「なーんだ」と頬杖をつく。

「灯里も数学苦手だもんね。あ、アプリに教えてもらえばいっか」

 問題を打ち込むと答えを教えてくれるスマホアプリが最近話題だ。クラスでも使っている子が多く、「自分の力でやりなさい」と先生からよく注意されていた。


「それは……ずるくない?」

 私がそう言うと、親友は口をとがらせた。

「まあね。でも途中計算は教えてくれないやつだし、答えから解き方逆算すればいいんじゃん?」

 得意げに話すなっちゃんに私は「たしかに」と思ってしまう。けど、桐生くんは一人黙々と計算をしていた。

「俺はできるとこまでやる」

 こういうところが彼の好きなところだ。なっちゃんは効率を重視するし、楽な方法があるならそれを選ぶ。でも桐生くんはどんなに時間がかかろうが、こうと決めたことは曲げない。私にはないものだ。


「私ももうちょっと挑戦してみようかな」

 なっちゃんは「あたしは調べまーす」と宣言して、スマホを操作し始める。桐生くんは私に顔を向けると、楽しそうに笑った。

「どっちが先に解けるか勝負だな」

 夏の暑さと彼のまぶしさに、私の体温はぐんぐん上昇していった。

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