くもらせ君は彼女を曇らせる

畔藤 

第1章 くもらせ君は美空を曇らせる

第1話


 あの噂、知ってる?

 お祭りの日に嘘をつくと、その嘘が“本当”になるって話。

 でもね、その代償は……呪い。しかも、ただの呪いじゃないよ? 死んじゃうかもしれない呪いなんだって! 

 ふふっ、馬鹿げた話だと思った? でもさ、誰だって叶えたい願いの一つや二つはあるはず。たとえどんな代償を払ってでも、ね。


 ――君はどう? 

 死に繋がる呪いを受ける覚悟で、願いが叶う嘘をつけるかな? 




 もし、気になっていた人が自分に思いを寄せてくれていたら。


 そんな妄想を誰もが一度はしたことがあると思う。たとえば放課後の高校の教室で二人きり、そんなシチュエーションで告白されるのを想像してみてほしい。

 ……まあ、人によって色んな感じ方がある。もちろん、これはあくまで妄想の話、緊張する人間はいないはずだ。


 ――でも、それが現実で起きてしまったら?

 

 しかも、ほぼ不意打ちで完全に油断したタイミングで告白じゃ無理だろう。

 きっと今の俺のように、多くの人は頭が真っ白になると思う。


「あはは。思ったより緊張するね」


 ハッとして、目の前の女の子を見つめた。

 思考が追いつかない。女の子の顔はリンゴみたいに真っ赤っかだ。

 笑顔はどこかぎこちなく、目は潤み、声は震え、肩まである髪も不安げに揺れていて、まるで緊張を隠せていない。俺よりもちょうど頭一つ分小さい背丈がさらに小さく感じてしまう。


 あ、これマジなやつ。


 なんて他人事みたいに思う。だって、目の前の女の子のすべてから本気が伝わってくる。胸の鼓動こどうが伝わってきそうなほどの思いを、ありったけの勇気で言葉に託して、思い人はこちらの返事を待っていた。


 どうやらこれは本当に現実らしい。


 ――いや、ヤバいって。

 理解した瞬間、心臓が爆発しそうなほど高鳴り出した。意味もなく叫びだしてしまいたい衝動を必死に押さえ込む。顔がニヤけるのを抑えられている自信がない。

 誰かに認めてもらえることがこんなに嬉しいなんて知らなかった。しかも、相手は初めて好きになった人だ。人に生まれてきた意味があるなら、俺はこの日のために生まれてきたんだろう。


「あの、よければ……へ、返事を聞かせてほしいな……なんて」


 女の子は少しうつむいて恥ずかしそうに前髪をいじっている。

 返事、か。そりゃそうだよな……うん。今後のことは置いといて、今は嘘偽りなくこの気持ちを彼女に伝えよう。


 ありがとう。俺も、みそらが好き……だ?


 ――は? なんだ、これ。

 声が出ない。反射的にのどを押さえようとして失敗する――腕が動かない。石のように固まった自分の手に愕然がくぜんとする。

 ぞくり、と全身に鳥肌が立った。俺は、ようやく己の体に意識を向ける。


一途いとくん?」


 ジリジリと後ずさった。まるで猛獣に怯える人みたいに、俺は彼女から距離を取ろうとしている。

 決して自分の意思じゃない。なぜか足が、身体が、勝手に動いている。


『この島の人間は鬼の血を引いている』


 ありえない。

 冷や汗が頬をじっとりと伝う。とっさに体を引こうとすれば、今度はなぜか前に足を踏み出してしまった。


 ――馬鹿げてる。

 心臓がさっきとは違う理由でバクバクと異音を発していた。最悪なことに俺はこの怪奇現象に心当たりがある。

 思いを伝えようとして声が出ない。弁明のために近寄ろうとして距離を取る。そして今、逆に彼女から離れようとして近づいている。


 全部、逆だ。 


 行動が俺の意思に逆らうように、あべこべにひっくり返っている!?


『お祭りの日に嘘をついてはいけないよ? 嘘つきの鬼が目を覚ましてしまうからね』


 あまりの絶望で目の前が暗くなる。

 次の瞬間、俺の表情筋がまたも勝手に動いた。頬がゆるみ、目尻が下がって、口角が持ち上がる。

 ……間違いない。自分は今、笑ってる。

 その証拠に、俺の挙動不審な態度に戸惑っていた女の子がようやく安心したように微笑んだ。


 まずい!!


 この身体は俺のものだ。ソレを強く意識して全力で体に命令を下す。絶対にしゃべるな、死ぬ気で口を閉ざせ――頼む、頼むから。


 みそら、気づいて。そいつ俺じゃない。


「ごめん。みそらとは付き合えない」

「え?」


 ごく自然に、心とは正反対の思いが口からこぼれていた。自分でもびっくりするほどの感情のない冷徹な声だ。さっきまでのふわふわ浮ついた空気が一瞬にして凍りつく。


 ――ちくしょう、あいつが言っていたのはこういうことかよ!


 覚悟していたつもりだけど甘かった。こんなのあんまりだろう。

 俺の乾ききった目は、彼女、晴川みそらの動きを捉え続けている。


「……え……え? ……あの、えっと……」


 みそらは完全にパニック状態だった。目は泳ぎ、声は震え、言葉にならない音だけが口かられている。

 無理もない。俺たちは家も隣同士で、物心がつく頃からずっと一緒だった。お互いの好意だって暗黙の了解で、今まで口にしなかっただけなんだ。こんな態度は予想していなかったに違いない。


「……」


 気まずい沈黙が再び流れたその時、みそらの頭上でキラリと何かが光った。

 そこに白いうさぎがいる。何のことはない。うさぎをモチーフにした少し子供っぽいヘアピンである。たぶんあれが西日にでも反射したのだろう。

 遥か昔、彼女を想って誰かが送った、つまらない品だった。


「悪いけど、どう考えても異性として意識できないんだ。付き合うなんて、無理だよ」


 言動も、行動も、内に秘めた心以外のすべてが反転する。裏返ってしまう。

 自分で自分をコントロールできない。俺の支配権はすでに別のものに移っている。だが、自由の利かない体でも予想はできる。あの噂が真実なら、今の俺は困ったように笑っているだろう。


 まるで、迷惑な告白を早く切り上げたい、どうしようもない男のように。


「――――っ。あっ」


 みそらの瞳から透明な雫が一滴、床に落ちた。

 学校という頑丈な建物の中、降らないはずの雨が降る。誰が雨雲を呼び寄せたのか、考えるまでもない。


『嘘つき』


 瞬間、心がきしむ。

 際限なく湧き上がる真っ黒な感情に胸が塗りつぶされ、コントロールできない。もはや思考は定まらず、右も左もわからなかった。

 ……どのくらいそうしていたのだろう。前後不覚に陥った俺の耳に彼女のぎこちない取りつくろった声が届く。

 

「あ、あはは。ご、ごめん。ごめんね。なんか私、色々あってひとりで舞い上がってたみたい……ち、違う。嘘。そう、嘘だよ。もしかして、だまされちゃった? やだなぁ、今の冗談だってば。だから、忘れて。うん。だから、その…………ぐすっ。ごめ、ごめんなさいっ」


 反射的に手を伸ばそうとするが、まるで鉛のように重く動かない。全身が見えない力で縛られているようだった。


 たったったっと、遠くへ過ぎ去っていく背中を呆然と眺める。

 そうやってしばらくの間立ち尽くしていると、唐突に体が軽くなった。


「――っはぁ。はぁっ、はぁ、はぁ――」


 大きく息を吸って、はく。

 途端に全身から力が抜けて、俺は崩れるように床に腰を下ろした。


「……俺が、振った……?」


 ぽつりと呟く。

 結果的に体が動かなくて正解だ。こんなクズに彼女を呼び止める資格なんてあるわけがない。


「……は、はは。嘘、か……ちくしょう…………――ざけんな、くそっ!」


 気づいた時には床に拳を叩きつけていた。

 自分の行いに吐き気がする。目を閉じ、深呼吸をしても、ショックを受けた彼女の顔がまぶたの裏に焼きついてはなれない。


「っ」


 歯を食いしばり怒りを飲みこむ。

 勢いで舌を噛んだのか、口の中には鉄の味が広がった。思いのほか傷は深いらしく、鼻から抜ける血の匂いはどんどん強くなっていく。


「落ちつけ」


 自分に言い聞かせながら考える。

 こうなってしまった以上、みそらとは距離を取る必要がある。感情的なものを度外視すると状況はむしろ好都合だ。なぜなら――


 これこそ俺の望んだ未来で、自分の選択でつかみ取ったものなのだから。


『死に繋がる呪いを受ける覚悟で、願いが叶う嘘をつけるかな?』


 シンプルな二択だった。みそらと共に歩む未来と、俺自身の願いごと。

 それらを天秤にかけて掲げた方を選び取った。この結末は自分のエゴを優先した結果に過ぎない。

 はぁ、はぁ、と乱れる呼吸を繰り返しそこでようやく気づく。


「あぁ、意識の及ぶ距離がアウトなんだっけ……」


 俺は立ち上がり、手を開閉して体の具合を確かめた。いつの間にか感情と行動が正しく一致している。

 みそらがいなくなったから戻ったのだ、通常の状態に。


「死に繋がる呪い、か」


 選択を後悔はしていない。過去をもう一度やり直せたとして、俺はまた同じ選択をするだろう。

 ただ、もし願いが叶うなら、彼女と気持ちを共有したあの短い幸せを、もう少しだけ長く感じたかった。


「っ」


 ポタリ、ポタリと温かいものが頬を伝う。

 何度ぬぐっても、ぬぐっても、瞳の奥から降り出した雨は強さを増していく。

 心にぽっかり穴があいたよう。肩が震え、しゃくり上げる自分の姿はとても人に見せられるものじゃない。


「……は、はは、ははは…………あー、情けねー」


 ふらふらと手近にあった席に腰を下ろして、叶った瞬間に終わってしまった初恋に思いを馳せる。


 朝、待ち合わせで俺を見つけた時、はにかんだように笑う顔が好きだった。

 休み時間にとりとめのないことを言い合って過ごす時間は退屈とはほど遠く、あかね色に染まる空の下、また明日と笑顔で別れる日々は何よりも大切で、かけがえのないものだった。


 ――だから嘘をついた。

 誰よりも好きだからこそ、さようなら。

 願わくばどうかこの嘘の果て、彼女へ幸せが訪れますように。


 俺はすべての思いにフタをするために、ゆっくりと瞳を閉じて、自分の初恋に別れを告げた。




 家につくと、陽はすでに沈み辺りは暗闇に包まれていた。薄暗い街灯がかすかな光を落とし、冷たい風が通りを吹き抜ける。


「っ」


 つい隣の家に目が向きそうになり、俺は未練を振り払うように首を振った。また同じ過ちを繰り返しちゃいけない。


「……あー。そういや冷蔵庫の中、卵と貰いもんのゼリーくらいしかないんだっけ。今晩どうすっかなぁ」


 ぼそぼそ呟きながら曇良瀬くもらせと表札が掲げられた自宅のドアを開く。

 人がいない家の中は当然ながら真っ暗闇だ。手探りで明かりのスイッチを探していると、無人のはずの室内から可愛らしくも鋭い叱咤しったが飛んできた。


「こんな時間まで何をしていたのっ」

「うわ!?」


 暗がりから急に声をかけられビクッと背が跳ねる。

 音源は目線の遥か下、床に近い場所から聞こえてきた。慌てて電気をつける。


 小さな、とても小さな少女が足元にいた。


 若葉を連想させる若草色の着物を身にまとい、なまめかしさすら感じるうるしのような黒髪、まさに大和撫子を体現する完璧な容姿は無条件に誰もの目を奪う。ぷりぷり怒って歪めている表情でさえ愛くるしく感じてしまうのだから、相当の美貌びぼうの持ち主だろう。

 まあ、ここまではいい。異常なのは――この子の大きさだ。いくら小柄だとしても、手のひらサイズの少女なんてどう考えても普通じゃない。


「ふりょうっ、ふりょうよ! こんな遅くまでお外を遊び歩いてどういうつもり!? おかげで私、真っ暗で大変だったのだか、ら?」

「……ただいま、

「その目……あなた、泣いて……? ――ふふんっ、良い気味だわ! その様子だと、呪いを存分に堪能できたみたいね」

「うっせ。つか、居るなら俺の部屋の明かりだけでもつけとけよ」

「何よ? こっちが悪いって言うの? 私、でんき? の使い方を教わっていないわ! ほら、結局全部あなたが悪いんじゃないっ」

「あー、はいはい。俺が悪い、俺が悪い……」


 足元で偉そうにふんぞり返るコレとの出会いが俺の運のつき。現在この家には、とびきりの不幸を呼ぶ、おとぎ話のお姫さまが住んでいる。

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