第3話


 神さま、あなたに慈悲じひの心はないのですか?  

 もし、これが罰だっていうなら、俺は前世でどんだけ悪行を重ねたというんだ……? 

 そんなことを真剣に思い悩むほど、今日は最悪の一日だった。


『なんかショック、曇良瀬くんけっこういいと思ってたのに』

『そのキャラ変、何? 高二デビュー?』

『さっき他の子にも声かけてたよね? そういうの、女子の間ですぐ広まるよ』

『まじ最低』『自重しろ』『ウケる』


 頭の中でいくつもの罵詈雑言ばりぞうごんが渦巻いていた。

 別に恋愛対象じゃなくても、こんなに一斉攻撃されるのはやっぱり精神的にくる。魂が抜けたみたいに机に突っ伏していると、放課後のチャイムがようやく鳴った。だけど、もう動く気力なんて欠片も残ってない。


「あぁぁぁっ……」


 思い返すだけで顔から火が出そうだった。

 SHRから始まり、合間の休憩時間、移動教室へ移動中、果ては授業中でさえお構いなしだ。昼休みなど、ただすれ違っただけの女子を追いかけて他の学年の教室まで遠征に行く始末。必死に「止まれ」と願うほど、俺の体はサカる獣のように異性を追い求める。


「いや、普通にキャラ崩壊だから。マジ明日からどうすりゃいいんだよ……」


 ひそひそと噂話をしているクラスメイトの男子の声が聞こえる。

 安堵あんどすればいいのか悲しめばいいのか、どうやら女子は全員ここから避難したらしい。まるで教室に変態でも現れたかのような扱いだ。 


「くそっ」


 思いっきり毒づいた瞬間、普段仲良くしているやつらと目が合った。


 ……ちくしょう。


 いそいそと帰り支度を始める彼らを薄情だとは思わない。

 誰だってとばっちりを食らいたくない。口の悪い陰キャが、普段絡みのない女子をガチトーンで口説きまわってたら、俺だってそうする。


「つか、そんなん事案でしょ……」


 思わず頭を抱えた。

 俺、普通にやべぇだろ。

 変人を通り越して狂ってる。下手に触れちゃ自分まで村八分、事情を聞くにしても人目がある場所で絶対に関わりたくはない。


「ふふんっ。やはりこうなったわね!」

「……めろん」


 突然、頭の上から声がした。

 こいつは一日中、好き勝手に動き回っていたらしい。教室での出来事も、ずっと眺めていたのだろう。


「せっかくの忠告が無駄になったわね。これであなたも嫌われ者、失った信頼は簡単には取り戻せないわよ?」

「うぅ」

「ま、その様子じゃ遅かれ早かれだったでしょうけど」

「もしかして、原因に心当たりがあるのか?」

「あの子と話をしたというのは聞いたけれど、それだけではなかったのでしょう? もっと、決定的な何かがあったのではなくて?」

「……たとえそうだとして、それがどう関係すんだよ?」


「あなた、恋愛なんてもうしたくないって思っているんじゃない?」


 図星をつかれ、唇を噛む。

 よくよく考えると昨日はここまでの醜態しゅうたいはさらしていない。春休み明けの登校で忙しく、異性を意識する余裕がなかった。

 ……それが良かったのか? すべてが動き出したのは放課後のあの瞬間だ。あの時、本当に何かが変わった。


「まさか、恋愛を諦めたことまで呪いで裏返ってるっていうのか……?」


 恋愛を避ける気持ちが女子に近づくことで反転している? ――馬鹿な。もしそうなら、どうすれば…………あれ?

 じゃあ、自分の意思でそういう行動を取ればどうなるんだろう?


「どうしたのよ? いきなり黙り込んじゃって」

「……いや、俺から女子に積極的にアプローチするのも手かと思ってさ」

「えぇっ! 何言ってるの!?」


 耳元でかん高い声が響き、俺は顔をしかめる。


「誤解すんな。呪いで行動がひっくり返るなら、上手くいけば女子を避けられるかもしれないだろ?」

「あ、あぁ、そういうこと……だったら一応忠告しておくわ」


 顔を上げるとめろんの険しい表情が視界に入った。


「その呪いは本心の逆をいくものよ。うわべだけ取り繕ったところで意味がないわ」


 つまり、心からチャラ男にならないといけないのか? ……そりゃ無理だろ。

 俺が何年片思いしてきたと思ってんだ。あっさり次いける性格ならここまでこじれていない。


「それに、他人の迷惑を全く考えていないでしょう? 十中八九、無駄に騒ぎを引き起こすだけよ」

「……なるほど。成功しても、得られるものとリスクが釣り合わないな……」

「もちろん、自分から孤立したいのなら止めはしないわ」


 呆れた顔で、めろんが見上げてくる。


「先が思いやられるわね……」

「とにかくやるしかないんだよ。幸い、明日我慢して登校すれば週末だ」

「……正気? まだりないの?」 


 目を丸くする小人にあいまいに笑う。

 そりゃ俺だって、こんな羞恥しゅうちプレイ二度とごめんだ。でも、いきなり俺が不登校になったりしたら、みそらは自分の責任を感じてしまうかもしれない。


「私、いくら大嫌いな相手でも人が苦しむ姿なんて見たくないのだけれど……」

「だったら留守番しとけ。俺は最初から頼んでない」

「ねぇ、どうして? もう辞めてしまった方がいいと思うわ」


 退学か。

 ピュアなめろんの顔には疑問符が浮かんでいる。まさか、こんな小っ恥ずかしい自意識過剰じいしきかじょうな本心を暴露ばくろできない。ここは適当にかわそう。


「高校はそう簡単に辞められるものじゃない。現代のルールでそうなってる以上、文句言っても仕方ないだろ?」 

「……おかしな仕組み。お家にいた方がずっと集中できそうなのに……」


 腕を組んで首をひねる純粋さに苦笑いがもれる。

 勉強なんかもう、どうでもいいんだよ。


「でもいいの? 断言するけど明日はさらに辛い日になるわよ?」

「やめてくれ、縁起でもない」

「あら、大げさな話じゃないわ。だってあなたの心に巣くった鬼は、絶対に安寧あんねいを望まないもの」

「……」

「あなたが人の輪の中に留まろうとする限り、その鬼畜は周囲に牙をむき続けるわ」


 白は黒へ、黒は白へ。

 綺麗は汚い、嬉しいは悲しい――好きは嫌いへ。


「今ならあなたも理解できるでしょう? ……それは人の繋がりを破壊するものよ。何せ、ひねくれ者の代名詞、すでに概念と化した正真正銘の鬼なのだから」

「そんなやからが由来となった呪いが真っ当なわけがないか……」

「ゆめゆめ忘れぬよう行動なさい。あなたの心に巣くったモノは、そういった類いの最悪な代物なのだから」


 “あまのじゃく返り”


 すべてに逆らい、場を乱す混沌の鬼。

 目の前の少女を惨殺ざんさつし、彼女の愛する人たちを地獄に叩き落とした妖怪の名を冠する呪い、か。


「ここでこうしていてもらちが明かない。話の続きは家でやろう」


 窓から見える雲は赤く染まっている。じきに日も沈むだろう。遠巻きに見ていた連中も動きのない俺に飽きてとっくに帰ったようだし、いい頃合いだ。

 スクールバッグにめろんを移動させながら思う。みそらが休みでよかった。こんな姿、彼女にだけは見せたくない。

 ……でも、伝わるのも時間の問題か。もしかしたら、すでに連絡が行ってるかもしれないな。


「げっ」


 校舎から出ると、少し先に背の低い女子生徒が歩いていた。今日はとことんツいていない。人の多い時間に帰るのが怖くて、教室で時間を調整したのが裏目に出た。興味を持っためろんがバッグから顔をのぞかせる。


「あの子がどうしたの?」

「あ、ああ。うちの学校の生徒で同学年の雨宮さんだ。たしか下の名前はしずく、だったかな? クラス違うから接点ないけど、結構な有名人だよ」

「なによ? ちょっと髪の長い女の子じゃない」

「追い越す時さ、顔に注目してみろ。びっくりするから」

「……」


 俺の発言にむむっとめろんは眉をひそめる。

 まあ、陰口とか好きじゃなさそうだもんな、こいつ。


「俺だって、知りもしない顔についての注意喚起なんて本当はしたくない」

「はぁ? 有名なのよね? 顔を知らないってどういうことよ?」

「――ヤバいのは前髪なんだよ。異様な長さの髪が顔全体を覆っている。ちょっと目が隠れるとかそういうレベルじゃないぞ? 完全に髪で顔が隠れてしまっているんだ」  


 要は超のつく変人だった。いかにも井戸から這い出てきそうな女子だから、うちの学校でも触れちゃいけないれ物だ。俺も、初めて姿を見た時はぎょっとして二度見してしまった過去がある。


「? それって大丈夫なの? 目にいいとは思えないし、色々と不便でしょう」

「どうかな。でも、教師おとなは誰もそこに触れない、ちょっとしたホラーだよ。それであまりいい噂も聞かなくてさ……」

「ふうん? 出る杭は打たれるということかしらね。よくない噂といえばあなたも明日から大変になるのではなくて?」

「たぶんSNSじゃ今も燃えてるよ」

「……え、えす?」


 ゆらゆらと夢遊病者のように歩く雨宮さんの髪が揺れている。

 決して不潔なわけではないけれど、伸びっぱなしであまり手入れされているように見えない。そのまま追い越そうとした瞬間、ぶつぶつと何かを呟く声が聞こえ、自然と目が吸い寄せられる。


「今日はとっても良い日だったの。前の席の佐々木さんが話し掛けてくれたわ。内容は提出物についてだったけど……もしかしたら友達になれるかもしれないね。うふ、ふふふっ」


 やべぇ。

 雨宮さんは手に持った人形に語りかけていた。完全に髪に隠れた顔がその異様さを際立たせている。人形もファンシーな物だったら幾分かマシだったが、違う。よりにもよって年期の入った和製の物、日本人形とかいうヤツだ。その人形はくすんだ緑の着物をまとい、感情の読めない目、口元は柔らかい曲線を携えていて不気味なコントラストを奏でている。


 夕暮れ時、気味の悪い人形に語りかける廃井戸系はいいどけい女子。


 これもう現代の怪談だろ……。

 そういえば黄昏時たそがれどきは人が魔に出くわす時間と聞いた。事実、俺はめろんみたいな不思議な存在を知っている。

 ぶわっと二の腕に鳥肌が立った。


「ちょっと変わっている子ね」


 ちょっとじゃないだろ、いい加減にしろ!

 心の中でめろんにツッコミを入れながら足早に彼女の脇を抜ける。これは歩く爆弾だ。絶対に関わりたくない――そう思った瞬間、思わず声が出ていた。


「ねぇ、雨宮さん。その人形とっても可愛いねっ! よかったら一緒に帰らない?」

「……あなたは何をやっているの」


 呆れためろんの呟きが虚空こくうに消えていく。そんなの俺が知りたいよ。

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