第2話


 口うるさい不可解な存在を横目に洗面台へ向かう。

 いくら可憐で神秘的とはいえ、慣れてしまえば騒がしいちんちくりんだ。大体、俺を毛嫌いしてツンツンしているこいつの小言を聞いていてもキリがない。事あるごとにいちゃもんをつけてくるので、まともに取り合っていたらノイローゼになってしまう。


「私を無視する気!?」


 ――っと。

 真下から聞こえる声に反射的にのけ反った。いつの間にか、玄関を動かずにいた小人が足元で騒いでいる。  


「か、顔くらい洗わせろ。つーか、どっから出てきたんだよ……心臓に悪い」


 危うく悲鳴を上げるところだった。目を離したのはほんの一瞬、まるで瞬間移動だ。

 うちはお化け屋敷じゃないんだぞ!


 この調子で足元をウロチョロされたらたまらない。ぎゃあぎゃあ騒ぐ小人を拾いながら思案する。

 何か、他にこの子の興味を引けそうな物が必要だ。

 俺は、リビングテーブルの上に小人を配置してから冷蔵庫に向かう。


「なによこれ?」 

「遅れたお詫び。頼むから、それ食べて少し落ちついてくれない?」


 試しにゼリーを適当に切り分け、荒ぶる小人に提供してみる。


「……ふぅ。あのね、前も話したでしょう。昔はともかく、今の私の状態じゃ、普通の食事はできないのよ?」

「まあ、聞けって。それはメロンゼリーって名前のデザートでさ……」

「めろん? それって私の」

「名前と同じだな。つまり、が関係する食べものなんだよ」

「……本当に? 私、こんなに澄んだうり、見たことないわよ?」

「あぁ、それは現代の加工食品で――」


 ソファーに腰を下ろし説明する間も、“めろん”は怪訝けげんそうな顔でゼリーを見つめている。


「少しでも瓜が関わるなら大丈夫なんだろ? 疑うのなら食べてみればいいじゃないか」

「……それもそうね。ま、あなたのおすすめなんて気にくわないけれど、せっかくだから試してあげてもいいわ!」


 いちいち腹立つな、こいつ……。

 ぴくぴくとほおが引きつり、腕に血管が浮かぶ。俺は、痙攣けいれんするこめかみを根性で抑えこみ、無理矢理笑顔を作った。


「それでさ、ちょっと質問があるんだけど、いい?」


 放課後のオカルト現象について知るにはこの子の協力が不可欠だ。出会って一週間、まだまだこのデタラメな存在についても謎が多い。


「嫌よ。だって、食事中にお話なんてお行儀悪いじゃない」

「そ、そこを何とか……」

「それとはしくしはなくて? 汁物ではないのだし、こんなさじで食事なんてできないでしょう。というか、最初から用意してくれると助かるのだけれど……」

「ゼリーを箸で食うやつがいるかよ……」

「あら、何か言ったかしら?」

「別に」


 俺は小さく息を吐いた。生きた時代の違うお姫さまにマジになっても仕方ない。

 マドラーを短くした即席スプーンの代わりに、爪楊枝つまようじをカットして小人に手渡す。無駄に流麗な動作でゼリーを口に運んだ彼女は、途端に目を見開いた。


「っ! お、美味し――くはないわね……」

「え、不味かった?」

「ま、まあ、悪くはないかしら? この、例えようのない独特な食感に爽やかな甘み……悪くないわ。うん、悪くない!」


 俺がジト目で小人を見つめると、彼女はぷいっと顔を背けた。


「そりゃ良かったね」


 かなりお気に召したようだ。

 どうやらツンデレみたいな態度は俺への反発らしい。見た目も相まって、気分は反抗期の娘を持つ父親だ。


「まあ、俺は自分の娘に“甜瓜めろん”なんてキラキラネームはつけないけどな」

「……あむ。何よ、私の呼び名に文句あるの? 少なくとも“南瓜かぼちゃ”や“胡瓜きゅうり”より、響きが可愛らしいでしょう?」

「まずそのがおかしいから。比較対象が人の名前じゃないんだよ」


 この島の住人は無闇やたらにこの子の本名を語れない。その名は一種のタブーであり禁句である。もし、口うるさい年配の人にでも聞かれたら小一時間説教をくらうハメになるだろう。


「仕方ないじゃない。私のように存在が不安定な者は、自分の名前を大きく偽れない。だから、これでいいの!」


 ……そして、この子と話しているところを他人に聞かれてもマズい。


“魂だけの存在であるこいつの姿は、俺以外の人間には見えない”


 怪異、幽霊、妖精。

 近い意味の単語は数多く存在するけど、この子の出自を考えれば幻――幻の亡霊となるのだろう。とにかく、万が一会話を聞かれてもトラブルにならないように、めろんという呼び名は二人で相談して決めたものだった。


「ご馳走になりました。さて――」

「っ」


 カタン、と。

 串が皿の上に落ちると同時に、めろんの姿がふっと消えた。


「――そろそろ本題に移りましょう?」


 いきなり目前に現れためろんが、姫カットを優雅になびかせる。

 ……精いっぱい威厳を出そうとしているが、頬にゼリーがついていた。格好いい着物も、さっき騒いでいたせいか、よれよれだ。黙っていればアイドルも太刀打ちできないレベルの容姿なのに、残念美人を全身で体現している。


「何よ? 黙ってないで答えなさい。今日、何があったの?」

「……放課後、みそらと二人で話す機会があった」

「っ! そ、それで……?」


 なぜかそわそわするめろんに促され、あのおぞましい感覚を思い起こす。瞬間、傷ついたみそらの顔がフラッシュバックし、俺は静かに首を振った。


「予兆なんてない。本当にいきなりだ。体が言うことをきかなくなったんだ」

「もっと具体的に説明しなさい」

「体を動かそうとしても動かなかったり……いや、違うな。そんなレベルじゃない。苦悩が笑顔で現れ、気遣いが暴言に変わる。自分の意思と正反対の行動を強制される感覚……」

「ふぅ、確定ね。呪いが目覚めたのよ」


 やっぱりか。わかっちゃいたが、この子に断言されるとさすがにへこむ。


「抵抗は、無意味だったな……はは、俺はさ、自分の手で大切な人を傷つけてしまったんだ……」

「だ、か、ら、言ったでしょう!? あなたは呪いを甘く見てるって!」


 めろんの正論に肩を落とす。

 願いが叶ったことで気が緩んでいた。まさか、こんなオカルトが現実に存在するなんて――。

 俺は、腕を組んでこちらを見上げる小人に頭を下げた。


「頼む。こうなってしまった以上、呪いをもっと知る必要があるんだ」


 原因は一週間前にさかのぼる。俺は、島に昔から伝わる奇祭の禁忌きんきに触れて呪われたらしい。

 呪い。めろんいわく、異性に対して思っていることと真逆の言動、行動を強制されてしまう例の怪現象がそれにあたるようだ。


「私、ずっと警告していたわよね。その耳は飾りなのかしら?」

「一応、ちゃんと聞こえてるけど……」

「……かわいそう。あなたの耳に同情しかないわ。自分はキチンと役目を果たしているのに、それを生かす頭が仕事を放棄しているのだもの。大体――」


 これ見よがしなため息など挟みつつ、小人の嫌みがとまらない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺が呪いの存在を疑っていたのは、めろんにも原因があるんだぞ」

「はぁ? どうして私のせいになるのよ!」

「だって、めろん相手なら何ともない。めろんは女性で、現にこうして普通に話せているじゃないか!」


 もちろんこの子が実在する以上、気には留めていた。ただ、うちは片親で家に住んでいる家族は父親だけ。異性に真逆の行動を取るはずの呪いも、女性である小人に沈黙を保っている。

 こんなの、誰だって半信半疑になるだろう。


「――ふんっ。それは呪いの“元凶”となったアレが関係しているのよ」

「どういう意味だよ?」

「もう! たまには頭を働かせなさいっ」


 ……くそ。

 この子が素直に質問に答えることは少ない。むしろ、言質を取られるのを嫌がるように、逆に俺に答えを求めてくる。


 しかし、この子とみそらの違い、元凶か――。


「……アレは元々人をあざむく“妖怪”だった。そういう理屈で、人じゃない者と接したところで呪いは表面化しない……とか?」

「正解よ。とにかくむしばまれた者が接する相手が人であるならば問答無用なの。実際、異性と接して、身をもって体験したでしょう?」


 めろんが何かを探るような目つきで俺を見ている。


「ちなみに制御する方法とかあったりする?」

「ないわ。ソレが起きてしまった以上もう無理よ。今後、まともな人付き合いなんてできると思わないことね」

「……ええと、誰もいない山奥にでも行けとでも?」

「あるいは」

「お?」

「神さまならある程度の抵抗はできるでしょう。もっとも、ソレを完全に御することなんて神さまにも不可能でしょうけど」

「んだよ、それ……」


 気づけばのどがカラカラにかわいている。俺は、ため息をついて席を立った。

 ――さて、どうする? 家に引きこもっていれば安全だ。実際、連休中はそれで何も問題なかった。

 ただ、学校が始まったからにはそんな生活は無理だ。呪いが本物だった以上、何らかの対策は必須だろう。


「おはらい的なものって効果あると思う?」


 カップに湯を注ぎながら大声で呼びかけると、呆れたような声がすぐに返ってきた。


「あなたねぇ、神さまですら干渉を避けたい部類の呪いだと説明したはずよ? どんな大神であれ、祈られる方も迷惑するんじゃないかしら」

「……そう、話が繋がるのか。まさか、この年齢で結婚が夢物語になるとは思わなかったな……」

「もうっ、まだまだ認識が甘い!!」

「いや、呪いうんぬんをいきなり理解しろって方が無茶だろ? 正直俺、オカルトなんて詳しくないし……」


「――――お前、誰と話しているんだ?」


「っ!?」


 しまった! めろんとの会話に夢中で気づかなかった。

 突然聞こえた第三者の低い声に慌てて振り返る。すると、部屋の入り口から険しい表情でこちらを見つめる父親がそこにいた。


「きょ、今日は早いんだな」

「電話、か? イヤホンはしてないようだが。それに今、呪いと……」

「――大丈夫だよ。少なくとも、あんたには迷惑をかけない」

「う」

「それより、夕飯は材料がなかった。悪いけど、いつも通り適当に済ませてくれ」


 動揺している父の隣を通り、さりげなくテーブルの上の小人を回収する。

 肉親との微妙な会話を、めろんは複雑な顔で聞いていた。なんだかんだ言ってもこの子、根は優しいやつなのかもしれない。

 めろんと共に自室に戻る。あの人にこの子の姿は見えない。あのままあそこで会話を続けていたら、ただでさえ悪い関係が致命的なものになってしまう。


「とりあえず、だ。ある程度の距離さえとれば、呪いは表面化しないのはわかった。明日からは極力女子には近づかないようにする。それで直近は様子を見るしかない」

「……そ。なら明日は私もその、がっこう? とやらに連れて行きなさい」

「まじ? ……別にいいけどさぁ。あっちは人目もあるし、あまりかまってやれないぞ?」

「最初から頼んでないわ」

「はいはい」


 なんだか異様に眠い。

 風呂は明日の朝、登校前でいいや。今日は本当に堪えた、もう何も考えずに眠ってしまいたい。ベッドに潜り込むと意識が急速に薄れていく。


曇良瀬くもらせ一途いと。あなた、まだ勘違いしているわ。結婚? ……夢を見るのも大概にしてよね。それは私を手に掛けた鬼のなれの果て……人間など容易に殺してしまう、孤独の呪いなのよ」

 

 そんな呟きを、眠りのふちでぼんやりと聞きながら、意識は完全に闇に飲まれていく。

 呪いの目覚め。そして、学校には島中の同年代の異性が集結する。

 俺は、これらが何をもたらすか、後になって身をもって知ることになる――


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